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夢幻圓喬三七日

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「あたしの時代には口話(こうわ)っていってたけど、それとはちょっと違うな。上手くいえないんだが、今誰が話しているってのが分かったんだよ」
「話してたのは志ん朝師匠でしょ」
「おまいさんも与太郎だね。その志ん朝さんが誰の役をしてるかが分かったんだよ」
「芝浜は夫婦者しか登場しないから、上下(かみしも)で誰の役かは分かるでしょ」
「やっと結論に近付いてきて嬉しいよ。その役が今どんな感情なのかが分かったんだよ」
「志ん朝師匠の仕草で感情が分かったってことですか?」
「志ん朝さんの仕草ってのは、志ん朝さんの時代に合わせたのかあたしに言わせると、芝居掛かって少し大仰(おおぎょう)なんだよ。最初はそのせいかとも思ったんだが、振りのないところでも感情が伝わってきたんだよ。顔で表現してたんだな」
 きっと師匠の言いたいことの半分も僕は理解していないのだろう。自分の理解力が恨めしい。
「ちょっと見せてください」
 タブレットを操作して、師匠が気づいた場面を映し出してくれる。当然イヤフォンは耳に挿さない。熱演している画面の志ん朝師匠を凝視する。あッ、少し見えた
「この場面は、亭主に財布を拾ったのは夢だと言い聞かせるところですか?」
「よくわかったね。そうだよ。志ん朝さんを見てると分かるだろ?」
 師匠、御免なさい。少しだけインチキしました。画面のタイムスタンプで場面の見当をつけました。でも、今はわかります。亭主のいぶかしむ顔も、おカミさんの言い聞かせている顔もわかります。
「それで、ホテルの鏡に写しながら稽古をしたんだよ。そこで色々気づいてな」
「何に気づいたんですか」
「最初は声を出さないで、顔が作れるかやってみたんだよ。そしたらな、これがまるで駄目でな。自分で笑っちまったよ」
「声を出さないと無理なんですか?」
「ためしに怒った顔を作ってごらんよ」
 とりあえず、顔だけ怒ってみた。
「それじゃあ、落語の『にらみ返し』だよ。そんな鬼瓦みたいに怒る奴は見たこと無いだろ。次は声を出して怒ってみなよ」
 どんなセリフが良いかな……、これにしよう
「だから片せっていってんだろ!」
「江戸荒物かい。声だけで顔が怒ってないよ」
「もう限界です。僕には無理ですよ。それにそろそろ出発しないと、朝太さんも来ますから」

 大将の所ではすでに朝太さんが待っていた。師匠が声を掛ける。
「遅くなって悪かったね。それで、二階を借りるかい?」
「いえ、こちらで結構です」
「じゃあ、まずは乾杯でもして落ち着こうか。これは大阪の土産だよ。おカミさんに渡しておくれ」
 お酒におつまみで静かに飲み始める。一口飲み落ち着いたところで、朝太さんが困った顔で口を開いた。
「うちの師匠がどうしても、柴田さんにお会いしたいって言ってるんですよ」
「別に礼なんかはいいよ。といったら身も蓋もないな。いいよ明日御出でよ」
「明日の落語会ですか? 来ても良いですか?」
 大将から聞いて知っているのだろう、朝太さんは嬉しそうにたずねている。
「構わないよ。大将いいでしょう?」
 師匠の問いかけに大将は嬉しそうにOKサインを出している。これで朝太さんも安心して……いない、まだ何かあるみたいだ。
「それと、圓馬師匠のことなんですが……」
「圓馬さんと何かあったのかい?」
「実は、お二人が大阪に行っているあいだに寄席に訪ねてこられたんですよ。普段は協会が違うのでお会いすることはないんですが、楽屋に来られたんです。居酒屋に誘われてご馳走になりながら、色々と聞かれました」
「なにを聞かれたんだい?」
「先日ここでやった、柴田さんとの落語会のことを圓馬師匠はご存じでした。柴田さんから聞いたっておっしゃってましたよ」
「ああ、末廣亭の楽屋でそんなことも言ったな」
「やっぱりそうですか。それで、圓馬師匠は柴田さんの落語はどうだったと聞かれて、正直に素晴らしかったって言いましたが、俺にも聴かせろってしつこいんですよ。メアドまで交換させられちゃいましたよ。それで明日の落語会なんですが」
「わかった。わかった。大将大丈夫だよね?」
 再びのOKサイン。朝太さんはメル友になったばかりの圓馬さんにメールを打って一息ついた。すぐに返信が来たようだ。
「圓馬師匠は金曜日から名古屋の寄席なんで、明日の夕方なら大丈夫だそうです」
「そんなに偉い人が二人もいたんじゃ、緊張してしまうな。噺が出てこなかったらどうしよう」
 師匠のきつい一言に朝太さんが下を向く。そこへ父がやってきて夜回り前の一杯に参加した。
「おや、今日は朝太さんも参加してくれるの?」
 僕が朝太さんに夜回りのことを説明していると、大将が追加のおつまみを持ってきた
「今日は、商店街だけじゃなくて、隣の町会へも夜回りをしたいんだけど、師匠良いかい?」
「構いませんが、どうしたんです?」
「昨日の師匠の火の用心は隣町(となりちょう)まで聞こえていて、近くで聞きたいなんて声が上がったんだよ。隣町っていっても、小学、中学と同じとこ出てる先輩後輩の仲だから断りづらくてな」
 朝太さんがすかさず聞いてきた。
「火の用心って、二番煎じですか?」
「二上(にあが)り新内(しんない)だよ」

***************
* 来ると そのまま 喧嘩して
*  背中合わせの 泣き寝入り
* 火の用心 さしゃりあしょう

* 江戸端唄 二上がり新内 より
***************

「だったら三味線持ってくれば良かったですね」
 朝太さんの言葉で、大将は何かを思いついたみたいだ
「もう少し早かったら、隣町の幼稚園で借りられたんだけどな、もう閉まっちゃてるな」
「そんな幼稚園があるんですか? まだ開いてませんかね」
 朝太さんは三味線にこだわっている。
「こんな遅くまで開いてるわきゃねえだろ。その幼稚園は三味線だけじゃなくて、落語とかも聞かせているんだぜ。どっちも月に一回くらいだけど、何とか教育っていって、子どもには良いみたいだな」
「情操(じょうそう)教育だね。きっと幼稚園の偉いさんが決めたんだな。上層(じょうそう)部が」
 みんなで父を無視して、大将の話を聞く。
「でも、少子化で幼稚園も大変みたいだね。今いる子どもで終りにして、どこかへ引っ越すようなことを聞いたな。引越し先を俺の後輩の不動産屋が探しているみたいだよ」
 少子化でこういう古い町だと幼稚園や学校は大変なんだ。

 夜回りは昨日と同様に、師匠の声が商店街に静かに響き渡っていく。初めて聞く朝太さんも、自分の落語に取り入れる気なのだろうか、真剣に聞いている。商店街を抜けて隣の町会内に入ると、冬だというのに窓を開けて待っている家も見られる。「来たよ! 早く! 早く!」部屋の奥へと誰かを呼ぶ声が聞こえる。
 カァ〜ン、カァ〜ン
「ひの〜よ〜じ〜ん さっしゃりあしょ〜〜〜」
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢