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夢幻圓喬三七日

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 動機は不純だが、この忘年会が朝太さんの成長に役立つような気がする。早くもカレーを食べている外人さんに向かって話しかけている。カレーが辛いみたいでアンナさんが笑いながら怒っている。辛いのはきっとアダルトカレーの方だろう。ゴロゴロカレーは肉がゴロゴロ入っているに違いない。食べたらお腹がゴロゴロではないはずだ。師匠に明日のことを聞いてみる
「明日は朝太さんに稽古ですか?」
「稽古っていうか、今後に役立つ噺を聴いて貰おうと思ってね」
「何を演るんですか?」
「執拗(ごうじょう)がいいと思うんだ」
 強情灸のことだろうか。
「ひょっとして強情灸ですか?」
「なんだい強情灸って」
「サゲが『五右衛門はさぞかし熱かったろうな』っていうお灸を我慢する噺です」
「そりゃ上方の『やいと丁稚』を拵え直したような噺だな。執拗とは違うよ」
 なんだろう。意地になってきた。強情な人が出てくる噺……、これかな
「意地くらべですか? 『俺が代わりに立っているから』っていう?」
「そりゃ、落語研究会を一緒にやった岡鬼太郎さんが作ったやつだろ。圓左さんや小さんさんが演ってたけど、それとも違うよ」
「降参です。どんな噺だか教えて下さい」
「落し噺なんだが、あまり面白くない噺だよ。ただ短い割に大勢出てくるから難しいんだよ。自分の芸を確かめるためにたまに稽古したり、高座にかけるんだよ」
 そんな噺があるんだ。福禄寿でも登場人物は多かったが、師匠は難なくこなしていたと思う。でも、そんな難しい噺で朝太さんは大丈夫なのかな。そこへ美代ちゃんが小皿に上品に盛りつけられているカレーライスを持って来てくれた。
「あと十五分ほどで閉会になりますから、今のうちにどうぞ」
「悪いね、お美代ちゃん。これがゴロゴロカレーかい」
「そうです。お肉がゴロゴロ入っているでしょう。河井さんはこっちね」
 ご飯の上にハーフアンドハーフだ。アダルトカレーは見た目はゴロゴロカレーとほとんど変わらない。香りも普通のカレーだ。ゴロゴロカレーの肉から一口食べてみた。旨い。肉が軟らかいし、きちんと調理された肉の味だ。恐る恐るアダルトカレーを一口……、ひ〜〜〜!! 痛い、痛い、痛い、慌ててスプマンテを飲むと、あら不思議、辛さが一気に引いた。
「なにこれ? あっという間に辛さが消えたんだけど」
「でしょ、でしょ。甘口の炭酸飲料で魔法のように辛さが消えるの。面白いでしょ。カレー自体は美味しいから、飲料との組み合わせで頒布会で取り扱えるかもね」
「あたしにも一口おくれでないかい」
 誰の物まねだろうか、師匠はおかしな声でリクエストした。小皿を差し出すと、アダルトカレーを一口……、やっぱり慌ててスプマンテを飲んだ。目が大きく開いて、顔が歪んでいる。
「これはダメだろう。官憲に捕まっちまうぞ。でも不思議とこれとは合うね」
 スプマンテのグラスを掲げている。外人さんのテーブルでもアダルトカレーを食べた朝太さんが大騒ぎをしている。アンナさんがグラスを掴んで朝太さんに飲ませないようにしていた。
「アイムソーリー、ソーリー、日本の総〜理〜がコロコロ変わって、アイムソーリー」
 いくら総選挙が近いとはいえ、本職とは思えない駄洒落を言ってアンナさんにすがりついている。ここで司会の方が前方のマイクに向かって歩いていった。そろそろお開きだろう。師匠が僕と朝太さんに声を掛けた
「朝太さん、追い出しを打つんだろう。河井君も手伝ってもらえるかな」
 三人で高座に進む。朝太さんが司会の方に断ってから高座に上がる。師匠は高座の座蒲団をどけて座っている。僕は太鼓持だ。司会の方の閉会の挨拶と同時に朝太さんが太鼓を打ち始めた。ドドドドドン、ドドドドドン……師匠が
「ありがとうございました。ありがとうございました。どうぞお忘れ物の無いように、ありがとうございました。お気をつけてお帰り下さい。ありがとうございました。……」
 皆さん拍手で会場を後にする。わざわざ高座の前へやって来てお辞儀をする人までいた。外人さんもその中の二人だった。総務の人たちだけが残った会場から、僕たち三人も控室へ移動することにした。美代ちゃんから、後で部長と行くから待っていて、と声が掛かった。
 控室では真っ先に朝太さんが炭酸飲料を飲んだ。
「あのカレーはすぐに炭酸飲料を飲まないと後まで響きますね。まだ少し口が痛いですよ」
「ずいぶん外人さんと盛り上がっていたようだったね。さすが一八さんだ」
「いや〜、噺家の打ち上げと違って食べ物・飲み物が上品でいいですね。アダルトカレー以外は」
 控室にノックの音が響き、社長さん・部長さん・美代ちゃんが入ってきた。
「みなさん、ありがとうございました。例年にない盛り上がりで、社員一同大喜びでした。これだけ盛り上がると、来年からも考えないといけませんね」
 チャンスですよ朝太さん! 社長の神林さんも朝太さんを見ているし
「柴田さんも、大阪の件もお引き受けいただきまして、ありがとうございます。私はこれで失礼しますが、詳しいことは部長からお聞き下さい。大阪でお会いできるのを楽しみにしています」
 神林さんが出て行くと代わりに部長さんが、
「それでは本日の謝礼と大阪の忘年会の説明をさせていただきます」
 朝太さんが着替えてきます、と言って控室を出て行く。朝太さんの気遣いがありがたい。部長さんが先を続けた
「まず、こちらが本日の謝礼の五万円と領収書ですので、お名前をご記入の上押印して下さい」
 すでに収入印紙の張られた領収書には、僕のマンションの住所と河井誠方と記入されている。美代ちゃんが機転を利かせてくれたのだろう。師匠は『柴田 清五郎(せいごろう)』と達筆で書名をして、押印した。
「それで、大阪の件ですが弊社の役員規定に基づきまして、交通費は実費で、宿泊旅費はお一人一泊二万円です。今回は当日泊ですので一泊分のみのお支払いです。前泊や後泊は自己負担になりますのでご注意下さい」
 さすがしっかりした会社の部長さんだ。立板に水の説明に聞き惚れてしまう。
「旅券の手配は清水君にしてもらうとして、宿泊の手配はどうしましょうか? これも清水君に頼みましょうか?」
「私がお好みをお聞きして手配しますよ」
 美代ちゃんが申し出てくれて一安心だ。
「それと大阪分の謝礼がお一人十万円とさせていただきましたので、こちらに領収書の用意をさせていただきました」
 僕にも謝礼が出るのか……、しかも十万円だ。人生初めての謝礼だ。金魚の糞みたいに師匠に付いて廻っていただけなのに。どちらが興行師だか分らない現状だ。
「急な話ですので、河井さんは本日ご印鑑をお持ちではないですよね。領収書をお預けしますので、後日清水君にお渡し下さい。柴田さんはこちらにもご署名と押印をお願いいたします」
 そう言って部長さんは、源泉徴収と消費税が含まれて、中途半端な金額が書き込まれた領収書と十二万円入の封筒を二つ差し出した。師匠は領収書に署名押印して部長さんに返しながらお礼をしている
「何から何までお世話になりまして、ありがとうございます。大阪でも精一杯させていただきます」
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢