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夢幻圓喬三七日

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 時間をオーバーしたことに対する謝罪だった。部長さんが慌ててフォローした。
「いえいえ、誤差の範囲ですし、お気になさらないで下さい。私は生まれて初めてきちんとした落語を聴きましたが、良いもんですね。大勢の登場人物一人一人が丁寧に描かれていて、さすがに何百年も続いている話芸だと感心しました。セミプロの柴田さんでさえあれだけの落語をなさるのですから、本職の方の落語を聴いてみたくなりました」
 神林さんが、こいつは何を言っているんだ、という顔で部長さんを見ている。少し離れたところにいる朝太さんは顔を伏せる。
「まあ、何事も勉強だから一度寄席に行ってみるといいよ」
 社長さんの助言に従って、部長さんが寄席に行ったときのことを考えると複雑な思いだ。社長さんはまだ何か話したそうな部長さんを遮るように、
「柴田さんにお話したいことがありまして、忘年会が始まりましたら私から声をかけますので、相談にのって下さい」
「あたしに出来ることでしたら精一杯させていただきますので、何なりとお話し下さい」
 二人が控室を出て行くと、朝太さんは申し訳なさそうに、
「部長さんが寄席へ行くことを考えると、嬉し恥ずかしですね」
「寄席には寄席の楽しみ方があるから、部長さんには楽しんで貰いたいね。あたしの福禄寿はどうだったかね? 他の人とはちょいと違っているから、朝太さんには本職としてのご意見を伺いたいね」
 師匠に問われて朝太さんは真剣に考えている……、やがて
「先輩方の福禄寿を実際の高座で拝見したことはないのですが、CDで聴いた限りでは、柴田さんの福禄寿は最高だと思います。話の奥行きといいますか、雪の場景だけでなく、心の情景というか、母子三人の心の距離が次第に近付いていくのが分かりました。それと、隠居屋の玄関と座敷のやり取りでは、実際に離れて聞こえる会話や、禄太郎が雪の中を歩いている様子が伝わってきました。私には一生かかっても出来そうにありません。やっぱり師匠は名人ですよ」
 さすがに本職の噺家だけあって、朝太さんの感想は僕などが言葉に表わせないことを的確に表現していて感心する。師匠も少し微笑んで聞いていた
「さすがは一八さんだけのことはあるね。世辞にも抜かりがないや」
「とんでもない、私なんかよりも他の師匠先輩方が聴けば、もっとこの噺の凄さが分かると思うのですが、私にはこれが限界です。今日のお客さん方は本当に幸せですよ。忘年会でも色々と聞いて廻ろうと思ってます」
「福禄寿の感想じゃ忘年会が盛り上がらないだろう。朝太さんは太鼓を持って盛り上げてれおくれよ」
 太鼓を持った一八を想像してしまった。これぞ本当の太鼓持だ。僕は外人さん二人の感想が気になる。スタンディング・オベーションをしたくらいだから、内容は理解できたとは思うけど、どんな感想を持っているのか忘年会場で聞いてみよう。そこへ美代ちゃんが僕たちを呼びに来た。
「お待たせしました。会場の準備が出来ましたので、ご案内します。柴田さんは社長のテーブル、朝太さんは外人さんのテーブル、河井さんは私たち総務のテーブルへお願いします」
 河井さんだなんて、他人行儀だなと思ったが、会社内だからしょうがいないかな。三人は美代ちゃんの後について、会場へ向かった。三人に気づいた人からは拍手が起こり、他の人へと伝染した。それぞれが笑顔で頭を下げながら席に着く。テーブルにはオードブルや生ハム巻、海苔巻きなどが綺麗に乗せられている。司会の方が僕たち三人を紹介してくれて、社長さんの挨拶から、乾杯になり、本格的に忘年会が始まった。美代ちゃんは同じテーブルを囲んでいる総務部のメンバーを紹介してくれた。僕のことは師匠の大学の後輩として紹介している。もちろん落研出身も付け加えてくれた。総務のメンバーでは、ガーデニングが趣味の女性課長が印象に残った。美代ちゃんはご本人を前に課長さんのミセス・グリーンという渾名を教えてくれる。小石川植物園で研究員をしているご主人との新婚旅行も、沖縄の離島へ珍しい植物を見に行ったと紹介していた。
「口の悪い人たちは、蔭で『緑のおばさん』なんていってるけど、酷いわよね」
 小声で教えてくれたが、面白いが酷すぎる。ミセス・グリーンはきっと社内の安全確保をしているのだろうと、好意的に考えることにした。師匠の座ったテーブルでは、役員の方だろう年輩の人たちが歓談をしている。朝太さんはと見ると、テーブルでは、なにやら金髪の方二人が議論しているようだった。何を議論しているのだろうと聞耳を立てるが、聞こえてくるのは英語だった。諦めかけていると、ミセス・グリーンが助け船を出してくれた
「さっきの福禄寿について話しているみたいですよ。女性のアンナ・ダミットがクラーク・ハワードの短編にテイストが似ていると言ったみたいです。対して、男性のファースト・シェリービーチが全然違うって反論しているの」
 ファーストネームがファーストさんなんだ。多分珍しいのだろう。
「あんな早口の英語が分かるのですか。凄いですね」
「あの二人の英語、特にイギリスの英語っていうのも変ですけど、ファーストの英語はわかりやすいですよ。今はちょっと興奮して早口ですけれど、落ち着いて聞けば誰でも分かりますよ」
「いや〜、僕にはどんな聞き方をしても無理です。クラーク・ハワードという人の小説は読んだことがないのですが、似ているんですか?」
「私は似ているとは思いませんが、先ほどの福禄寿に登場した人物の誰に自分を投影するかで印象が変わりますから、彼女には似ていると思ったのでしょうね。今は、噺そのものの感想を話し合っていますよ。でも英語じゃ古今亭朝太さんが可哀想ですよね」
 そう言うと、彼等のテーブルに日本語で話すように声を掛けた。二人が朝太さんに向かって笑顔でゴメンナサイって言っているのが聞こえた。さすが社内の安全確保員の気配りだと感心した。これでしばし食事とお酒が楽しめる。乾杯にも使ったイタリアのスプマンテと先日の巻き物の相性が良い。特に海苔巻きとスプマンテの相性は抜群で、さすがは食品商社といったところだ。美代ちゃんに聞いてみる
「このスプマンテも会社で取り扱ってるの?」
「そうよ、食器やカトラリーなどのテーブルウエアは扱ってないけど、今日の食材はお米を含めて全部取り扱っているの。今はお酒と相性の良い食材をセットにして頒布会を企画中で、生ハムや海苔はその目玉商品ね。総務はそろそろ次の準備があるから、あなたも他のテーブルで盛り上げてきてね」
 次の準備ってなんだろうと思ったが、美代ちゃんのご指示に従って、朝太さんのテーブルに行くことにした。師匠のテーブルは社長さんなど偉い方がいるので行きづらい。朝太さんはテーブルに太鼓を置いてなにやら説明をしている。テーブルに着くと朝太さんが助けを求めてきた
「河井さん、ちょうど良かったです。太鼓をちょっと持っていただけますか」
 言われるままに太鼓を下げると、朝太さんが打ち始めようとする
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢