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夢幻圓喬三七日

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「でも、マクラで確かめないといけませんね?」
「いや、この噺は半分がマクラみたいなもんだから、その必要はないだろう」
 僕も朝太さんも少し戸惑う。半分がマクラって? 福禄寿ってそんな噺だったかな?
 ノックが聞こえ、美代ちゃんが控室に入って来る。
「柴田さん、準備が出来ました。よろしくお願いします。頑張って下さいね」
「あいよ、白湯を頼むよ河井君。朝太さんには片しゃぎりをお願いしよう」
 僕は慌てて師匠の湯呑みに白湯を用意して高座に運ぶ。
 舞台脇では朝太さんが左手で太鼓を提げて、右手一本で打っている。片手で打つから片しゃぎりなのかな? テテンガ テンテンテン テンドドテンドド……、太鼓の音と共に会場が少しだけざわつく。
 後方の入り口から会場に入り直して、最後列の椅子に腰掛ける。美代ちゃんの隣で少し嬉しい。やがて会場は水を打ったように静かになった。朝太さんの片しゃぎりだけが薄暗い会場にこだましている。師匠が舞台後方からゆっくりと舞台に上がり、座蒲団に座って頭を下げる。片しゃぎりが消えて、代わりに盛大な拍手が会場に鳴り響く。今までの四席とは全く違った空間が目の前に広がっている。朝太さんが来て、パイプ椅子ではなく通路の床に直に正座をした。師匠がゆっくりと話し始める。

◇ ◇ ◇

「今夜お聴きに入れますは、三遊亭圓朝がある御方のお供で北海道へまいりました時に、あちらでこういう話があると聞き及びました。その話に少々色気をつけまして、外題を福禄寿と名付けました、極お目出度いお噺でございます」

 これは寝起きで聞いたことがある。福禄寿のマクラだったんだ。マイクが無くても師匠の声が会場の隅々まで届いている。むしろマイクがない方が耳に心地がよい。



「え〜おめでとう存じます。先だってはまたありがとうございます。相変わらず今日(こんにち)はまたお招きでございまして、へえ良い塩梅にこれまで降りもございませんでしたが、今日は少し、もよおして参りましたようですが、大した降りもございますまいかと存じます」

 こんなに登場人物の多い噺だったんだ。まだまだ登場するみたいだ。



「ちょっと金兵衛どん、金兵衛どん」
「へえ」
「あの一番末の方に居るのは、番町へ嫁いだ一番末の妹なんだが、幼い頃から……」

 一体何人登場するんだ。大家族でしかも喜寿のお祝いだから挨拶の人数が多いのは分かるが、それにしても多い。師匠はその一人一人を丁寧に描写していく。ふと横を見ると朝太さんは姿勢を正したまま微動だにしないで聴いている。前方に二つ並んだ金髪も揺れていない。



「こっちへおいで」
「誠にどうもご無沙汰をしました。今日はお父さんの喜の字のお祝いだと言いますから、私が先に来てお手伝いをしなければなりません身の上ですが……」

 長兄の禄太郎が登場して噺がぐっと落ち着いてくる。この辺までが師匠の言うマクラだったのかな。



「何ぞというと運のせいにするがお前は怠けるばかりでなく、どうも大気(たいき)でやれ揃えを拵え、大勢連れて向島へ花見に行くの、今日は月見、明日は……」
「へえ誠にすみませんがどうぞひとつ……」
「どうぞといったって私は言えません。これまでお前幾度無心をしたとお思いだ」
「へえ三十六度」
「おふざけでないよ、私には言えませんから帰っておくれ。帰っておくれ」

 初めて笑いが起きた。しかし直ぐに収り、会場に静寂が戻る。



「……それからお母(っか)さんここにお金が五百円ありますが、今年はこれだけ余分になりました……出入りの困る者が参りましたら貸してやって下さいまし……」

 次男の福次郎は炬燵に隠れている兄を知ってか知らずか、母親にお金を預ける。



「……身でも投げて死のうか、遠いところへでも行ってしまおうか、とつまらん大はずみな心を出して親兄弟へ苦労をかける人がいくらもありますから、そんな困る人が来ましたらどうぞ貸してやって下さいまし」

 次男のこの言葉は隠れている兄に聞かせているようだ。



「お母さん、帰ります……傘を貸して下さい」
「お前は何を貸しても返したためしがない人だよ……」

 懐の五百円に気を大きくして、酒を飲み母親の傘を借りて、雪の中お金の使い道をあれこれ想像しながら歩いていく禄太郎。若者とぶつかりくだを巻くが、それが甥とわかって恥ずかしさのあまりこそこそと退散する。
 本家の母親が居る隠居家へ福次郎が戻ってくる。下駄の歯の間に挟まった雪を落とすときに落ちているお金に気づく。高座の師匠の下駄の雪を落とす仕草と音で会場が少しざわつく。奥にいる母親と玄関の福次郎との距離感が師匠の話ではよくわかる。師匠がマイクを嫌った理由がわかったような気がした。



「一升袋は一升袋でいくら貯めても一升袋は一升しか入りません……兄さんは小さい袋へ無理に詰め込もうとするから袋が破けるくらいです……兄さんは余程ご不運に生まれついた方で……」

 次男が母親に兄の不運を嘆いている。決して兄の人格を否定しているわけではなかった。



「いえ、いりません。余計に持って行くと袋が破けますから三円だけ下さい」
「と真に改心いたしたとみえて、わずかに三円の金を持って福島県へ参りまして、荒れ地を開墾いたして資本をこしらえ、ついに北海道へ渡り亀田村を開墾いたして、たちまちの間に十二町の田地(でんち)持ちになった、と云う。なんでも人は骨を折らんければ大家(たいけ)になれんものとみえまする。三遊亭圓朝作、福禄寿というお噺でございます」

◇ ◇ ◇

 師匠が頭を下げると一拍おいて盛大な拍手が巻き起こった。と、金髪の二人が立ち上がって拍手をしている。他の人たちもつられて立ち上がっている。社長さんまでもが立ち上がって拍手をしている。スタンディング・オベーションは落語では初めて目にした。朝太さんも戸惑いながらも立ち上がって夢中で拍手をしている。師匠がゆっくりと会場を出て行くまで拍手は続いていた。
 会場設営をする美代ちゃんを残して、高座の湯呑みを下げて朝太さんと僕は控室へと向かう。控室に入ると、師匠はすでに高座着から私服に着替え始めていた。着替えを続けながら師匠が話しかけてくる
「こんな席は初めてだから、落ち着くために少(すこぉ)しマクラが長くなっちまったな。2分だけ時間が過ぎちまったよ」
 そういえば会場に大きな時計があった。全体で42分かかったんだ。
「あのお客さんたちを前にしたら、あたしだったらとても話せませんよ」
 朝太さんはきっとプロとして、会場の雰囲気などを感じ取っていたのだろう。本職としての感想を興奮した口調で述べた。着替え終わった師匠はパイプ椅子に腰掛けて
「ああ、この人はどんな噺をするんだろうって気持が押し寄せてきたよ。お美代ちゃんの会社はたいしたもんだよ」
 そこへ、ノックの音が響いて、社長の神林さんと部長さんが入ってきた
「会場の設営を手伝っていて、遅くなりました。良い噺をありがとうございます」
 神林さんが少し興奮した口調でお礼を述べた。それでも師匠の口から最初に出た言葉は
「こちらこそお約束した時間を2分過ぎてしまいまして、申し訳ありません」
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢