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夢幻圓喬三七日

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 会社の前で、高座着だろうかスーツケースを引いた、朝太さんと落ち合い、受付で来意を伝えると、美代ちゃんと部長さんが直ぐに現われた。控室まで案内される途中、忘年会場を見せてもらったが、立派な高座が出来ていて驚いた。会場も後方にテーブルが一塊に置かれているものの優に百人は入りそうだ。中央の通路を挟んでパイプ椅子が左右に6脚ずつ、椅子の数を数えたら百二十脚あった。これで五万円だと一人あたり四百円ちょっとだと計算した。この会場は普段、大会議や商品の品評会場として使用されている多目的ホールだそうだ。そのホールと廊下を挟んだ向かいに用意された控室に入ると、部長さんが師匠に確認する。
「会が始まりましたら直ぐに落語を始めていただきます。清水君から聞いておりますが、舞台以外を少し暗くするのですね」
「そのようにお願いします。それと高座に置いてありましたマイクは不要です」
「では、マイクは下げておきます。それで終りまで何分くらいを考えておけばよいですか?」
「40分で収めるつもりです」
「わかりました。その後に会場にテーブルなどを設置しますから、その間に着替えて下さい。そして社長の乾杯があり通常の忘年会になりますので、そちらへもご出席をお願いします。それも謝礼の範囲と考えて下さい。皆さんもお願いします」
 朝太さんと僕も忘年会に出席できると聞いて、二人顔を見合わせて頷き合う。何について頷いているのかは、たぶんお互いにわかっていないと思う。控室は至れり尽くせりだった。大型ハンガーに姿見、応接セット、テーブルにはポットやソフトドリンク、それにお茶請けのお菓子類まで用意してある。朝太さんも少し興奮しているようだ。
「さっきのご婦人が河井さんの恋人ですか」
「恋人っていうほどの仲じゃ……」
「楚々として落ち着いた美人ですね」
 人の話を最後まで聞かない朝太さんには女性を見る眼がないことがわかった。
「それに、仕事も出来そうで羨ましいですね。私に女房がいなければ、お付き合いをお願いしたいくらいですよ」
「おまいさんは朝太を改めて一八(いっぱち)としたらどうだい」

***************
* え〜、てまい一八という
*  太鼓持ちでございますが

* 落語 鰻の幇間(たいこ)
* (古今亭右朝)より
***************

 師匠、上手い!
 そこで、控室のドアがノックされて、部長さんが男の人を連れて入って来た。
「ご紹介いたします。弊社の社長、神林(かんばやし)です」
 僕の父親よりは少し若く見える社長は三人に名刺を渡してくれたが、師匠も僕も名刺が無いので、挨拶だけを返した。師匠は朝太さんに向かって
「朝太さんは名刺があるだろう。お渡ししたらどうだい」
 すると朝太さんは口の中でモゴモゴと何か言っている。
「なに、あたしに遠慮することはないよ。名刺でも手ぬぐいでも貰っていただいたらどうだい」
 師匠のこの言葉で、朝太さんは持参したスーツケースから名刺と手ぬぐいを出して、社長に渡した。社長の神林さんと部長さん、そして師匠の三人が応接セットで、少しのあいだ歓談をするようだ。朝太さんと僕とでお茶とお菓子を運ぶ。
「それでは柴田さんは福禄寿を何度もお演りになってらっしゃるのですね」
「ええ、あたしの好きな噺でもありますし、演り甲斐もある噺ですね」
「でしたら、うちの社員たちは落語に詳しい者は少ないですが、是非、本寸法で演っていただきたいですね。無理なクスグリなども御無用です。私も福禄寿は何度か聴いていますが、これはという出来はまだ聴いたことがありません。柴田さんの福禄寿を楽しみにしています」
 思いっきりハードルが上がってしまったのかな……
「神林さんのお気に召すかはわかりませんが、精一杯演らせていただきます」
 この言葉を機に神林さんたちは控室を出て行った。朝太さんが師匠に心配そうに話しかける。
「落語がお好きみたいですが、厳しそうな社長さんですね。圓生師匠やさん喬師匠などの福禄寿はお気に召さなかったみたいですが大丈夫ですか?」
「どうだろう。あたしは自分で出来ることをするだけだよ。でも、気の良さそうな社長さんじゃないかな。神林でよかったよ。平林(ひらばやし)だったら笑っちまうところだったよ」

***************
* た〜〜〜いらばやしか、
*  ひらりんか、
* いちはちじゅうのもぉくもく
* ひとつとやっつでとっきっきぃ

* 落語 平林(桂春団治)より
***************

 不謹慎ですよ。その師匠が着替え始める。朝太さんが手伝おうとして師匠に断られ、しかたなくスーツケースから和服を取り出し自分も着替え始めた。朝太さんは高座着で忘年会に出るつもりらしい。師匠のフンドシ姿を見てびっくりして、何か言いたそうにしていたが、遠慮しているようだ。
 着替え終わって白い鼻緒の雪駄に履き替えると古人の風格が漂う。師匠の羽織袴は何度も見たが、雪駄は初めてだ。どこにあったのだろう、師匠に訊ねたいけど、朝太さんがいるから後にしよう。その朝太さんは着替えを終えた師匠の様子に驚いている。
「柴田さん、昨日もあんな雨蛙みたいな着物じゃなくてこれだったら、あたしは無条件降伏してましたよ」
 僕の着物を雨蛙と形容した朝太さんに一八の名はまだ早い。
「おまいさんの火焔太鼓を少しでも聴けたから、あの着物で良かったんだね」
 師匠のこの言葉で朝太さんかなり凹む。
「外が少し騒がしくなってきましたね。一寸見に行ってきます」
 朝太さん随徳寺(ずいとくじ)。廊下に遁走してしまった。

***************
*「一目散随徳寺」
* ひどい奴があるもの
* 風を食らって逃げ出した

* 落語 山号寺号
* (春風亭柳枝)より
***************

 その朝太さんが直ぐに控え室に戻ってきて大声で告げた。
「大変ですよ。外人さんがいますよ。しかも金髪碧眼の美男美女ですよ」

 僕が慌てて見に行くと、会場では確かに外国の方が二人仲良く前方に座っていた。入り口で案内をしている美代ちゃんに聞いてみよう。
「あの人たちは落語分かるの?」
「平気、平気。書く方は少し覚束無(おぼつかな)いけど、日本語の読みも会話も出来るわよ。それに寄席にも行ったことがあるみたい。紙切りでオリンピックを切ってもらって嬉しかったって、さっき聞いたわよ。男性はイギリスで女性の方はアメリカよ。社員の中でも特にあの二人は柴田さんの落語にすごく期待しているみたい」
「でも笑いの少ない、福禄寿だから大丈夫かなぁ。師匠に伝えてくるよ」
 控室では師匠と朝太さんが小さな太鼓を間に挟んで打ち合わせていた。あんな、いかにも仲見世のお土産みたいな太鼓を朝太さんは持って来たんだ。用意が良いというか気合いが入っているというか。美代ちゃんから仕入れた情報を師匠に伝えなくっちゃ
「外国の方は二人とも日本語は大丈夫みたいですよ。寄席にも行ったことがあるようです」
「あたしの噺は言葉が古いから、異人さんも若い方もあまり変わらないよ。それに福禄寿は落し噺じゃないから、言葉がわからなくてもなんとなるよ」朝太さんは心配そうに
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢