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夢幻圓喬三七日

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「マクラで分かるよ。言わなくても良いことまで言っちまうところなんかは品川ソックリだよ。でも、弟子にはあまり恵まれなかったようだな」
 圓生師匠の弟子には自称名人はいたが、特段上手な人はいなかったと思う。
「そんなことまで分かるんですか?」
「品川が弟子に稽古をつけているのにソックリだからな。受け継いでくれる弟子がいたら、こんなレコードは残さなくても良かったんだろうよ」
 このCD一枚でそこまでわかるのか。今の噺家は圓生師匠の思いをどこまで理解しているのか、どこまで圓生百席を聞き込んでいるのか、圓生師匠が残そうとした三遊の話芸の数々が滅びないことを願うのみだ。と同時に師匠の三軒長屋を聴いてみたくなった。
「柴田さんの三軒長屋もお聴きしたいですね」
「時間があれば聴いてもらうよ。でも、この圓生のも悪か無いよ。特に頭の女房は良いね。喋りすぎるところなんかは任に合ってるよ。それと、地噺なんかは良かったんだろうな。聴かなくてもわかるよ」
 師匠の落語に関する眼は素晴らしいものがある。落語だけじゃなくて師匠が生きていた当時の風俗なども驚くほど記憶している。そんな師匠に僕は今の時代でどんな役に立っているのだろうか? 圓朝師匠に頼まれた、圓喬師匠が思う存分に噺が出来る環境を提供できているのだろうか? 考えても仕方のないことかもしれないが、悩んでしまう。
 出発までにはまだ少し時間があるので、師匠に聞いてみる。
「次は何を聴きますか? 同じCDケースに『佐々木政談』が入ってますが『三十石』にしますか?」
「佐々木政談ってのは上方の『佐々木裁き』だろ。それでいいよ」
 これも師匠は最後まで穏やかに聴いていた。
「うちに来た三木助のことを話してたな。あいつが教(おせ)えたのか、面白いな」
「三木助っていうと、桂三木助ですか?」
「上方で桂派と一悶着おこして、あたしのところに来たんだよ。桂は名乗れないから、橘家三木助にしたんだけどな」
 そうだったんだ。でもなんで師匠のところに来たんだろう。
「三木助さんは柴田さんを頼ってきたんですか?」
「あたしは東西に跨った揉め事はお手の物だからね。上方も長かったし、東京も長いし、上方には圓馬さん始め知った人も多いしね」
「揉め事が多かったんですか?」
「それほどじゃないが、たまにあるんだよ。この時代と違ってお互いのことはあまり知れないから、知ったときには大事になるなんてこともあったな。一圓遊(いちえんゆう)の時は苦労したよ」
「何があったんですか?」
「圓遊さんの弟子で一圓遊って奴がいたんだけど、東京で売れなくて上方に行ったんだよ。圓遊さんが死んだ後に、そいつが突然むこうで二代目圓遊を名告りやがってな、それに負けじと東京の小圓遊(こえんゆう)が慌てて圓遊を名告ったんだよ。四代目にしとけばいいものを、むこうに合わせて二代目としてな」
「ステテコの圓遊さんの前に二人いたんですね」
「そうなんだよ。だからステテコの圓遊さんは三代目なんだけど、一圓遊が二代目って名告ったから、ややこしくなっちまってね」
「その揉め事をどうやって収めたんですか」
「本当は自称三遊宗家が収めれば良いんだろうけど、そんなときに限って頬っ被りだからな」
 三遊宗家って聞いたことがある。たしか圓朝師匠のひいき筋で借金の肩代わりに圓朝の名跡を預かったんだった。
「三遊宗家って頼り無かったんですか?」
「口先ばっかりの金の亡者だよ。圓朝師匠の名前もそうだけど、師匠は絵とか色々遺したんだけど、息子の朝太郎が継ぐと都合が悪かったんだろうな。病気で伏せっていた師匠を丸め込んで朝太郎を廃嫡にしちまうし、圓朝の名前もなにもかも葬式のどさくさで独り占めにしたんだよ。藤浦の周助さんが生きていたら、そんなことにはならなかったんだろうけどな」
「そんなに酷かったんですか?」
「ああ酷かったよ。ひいき筋や席亭から圓朝師匠の名前をあたしに継がせたらって話が出ていたんだが、ある日、三周(さんしゅう)があたしんところへやって来て、圓朝の名前を一万円でどうだなんて云いやがってな」
 え〜! 当時の一万円の要求にもびっくりだが、圓喬が圓朝を継ぐ話にもびっくりだ
「三周さんて、周助さんの息子さんですか」
「そうだよ。三河屋周吉で三周だよ」
「結局一万円は払わなかったんですよね」
「払うかよ。師匠の名前に値段なんて付けられないだろう。断ったよ。そしたら、新聞なんかに手を回して、圓喬は私生活が色々あるから、圓朝には相応しくないなんて記事が出始めてな。つくづく大人の世界が嫌んなったよ」
 恐る恐る聞いてみる。
「私生活が色々あったんですか?」
「機会があったら話すが、今は一圓遊の話を続けよう」
 どこまでだったかな……、そうだ
「三遊宗家が頼り無いって話でしたね」
「三遊を代表して圓生が行けば良いんだろうけど、その時は圓生は空跡でな。名前からいけば品川の圓蔵なんだけど、あいつは言葉が軽くて押しが利かないから、あたしに御鉢が廻ってきたんだよ。あの連中はそんな時だけはすり寄ってくるんだよ」
「上方まで行ったんですか?」
「行ったよ。身体の調子は悪かったんだけど、最後のご奉公だと思って話をつけてきたよ」
「うまく収まったんですね」
「ああ、あたしが死んだ後のことは知らないが、上手くいって良かったよ」
 熱が入った会話に時間を忘れていたが、そろそろ師匠のバスタイムだ
「お風呂入れますよ。どうぞ」
「おお、悪いね。いただくよ」
 今日もバスルームから師匠の唄声が聞こえる
「♪こいのしんくに〜 あきかぜもれて〜 こえもほそるよ〜 きり〜ぎり〜す〜♪」
 落語にも都々逸は結構出てくるが、これは聞いたことがない。風呂上がりの師匠に聞いてみる。
「初めて聞く都々逸です」
「そうかい。圓朝師匠の作だよ」
「圓朝師匠は都々逸も作ったんですか?」
「少ないけどいくつか作ったよ」
「圓朝師匠の作品には都々逸は出てきましたっけ?」
「多分、鏡ヶ池操松影(かがみがいけみさおのまつかげ)、この噺ひとつだけだと思うよ」
「そうなんですか。もっとあるのかと思いました」
「あたしらのころは、音曲師がいたから噺の中に都々逸を入れるのは遠慮したんだよ。あたしも小夜衣(さよごろも)でしか都々逸は入れなかったよ」
「今も音曲師はいますが、落語の中に都々逸が入りますよ」
「こないだの末廣亭でも聞いたが、今の音曲師は音曲だけだろ。あたしらの頃は、音曲噺をする芸人を音曲師って云ったんだよ」
 音曲噺ってなにがあったかな、音曲噺……、これしか思い浮かばなかった
「音曲噺って稽古屋とかですか?」
「それだけじゃなくて、色々な噺に端唄や義太夫なんかを入れ込んで噺をするんだよ。豊竹屋なんかは端(はな)っから音曲噺なんだが、昨日の二番煎じなんかでも、入れようとおもえば入れられるだろ」
 なるほど音曲噺っていうのはそうなのか。音曲噺を聴いてみたくなったがもう叶わないのかな。時代の流れと共に忘れられていくものがあることは理解しているつもりだが、落語の世界でさえそうだったんだ。これまでにどれほどの芸が失われたのだろう。

 道中、印鑑を買い、忘年会場でもある美代ちゃんの会社へと向かう。
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢