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夢幻圓喬三七日

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「どうですか、お口に合いましたか」
「ああ、おかずが多くて迷っちまったが、旨かったよ。ハムも旨かった、こんなことなら高くっても食べときゃよかったな」
「これからのことなんですが……」
「あたしの面倒を見てくれるのかい?」
「そりゃあの圓朝師匠からのお願いですよ。落語好きで断われる人間はいないでしょう」
「それで、圓朝師匠はなんて云ってたんだい」
「弟子を21日間よろしく頼むとしか、おっしゃらなかったです」
「それだけでよくあたしを引き受ける気になったね」
「大圓朝に名人圓喬ですよ、こちらからお願いしたいくらいですよ」
「随分買いかぶられたもんだけど、落語には明るそうだね」
「落語好きの父親の影響で大学時代に落研に入ってましたから」
「おちけん? なんだいそりゃ」
「落語研究会を省略したものです、学生の天狗連(てんぐれん)みたいなもんです」
「あたし等も落語研究会は作ったがね。略してらくけんと呼ぶやつはいたけど今はおちけんか」
「昔はらっけんと呼んでたみたいですが、今はおちけんです。それで圓朝師匠からはなんと云われたんですか」
「師匠は詳しく話してくれなかったんだよ。百年後の世界で思う存分噺をしろってだけでさ」
「それだけですか」
「師匠は、昔っから稽古以外では、あれこれ細かいことを言わないんだよ。それでいて失敗(しくじ)るとジロリと睨むんだよ」
「何を失敗ったんですか」
「それよりもおまえさんのことを聞かせておくれよ、仕事は何をしてるんだい」
 上手くはぐらかされたが、まだ名告(なの)っていないことに気づいた。
「申し遅れましたが、河井(かわい)誠(まこと)といいます。30歳になりましたが独身です。仕事は先週事情があって辞めました」
「河井誠さんかい、人それぞれ大変なんだね」
 仕事を辞めたことが原因で、彼女との仲がギクシャクしていることを思い出したが、今はそれどころではない。
「それより、思う存分噺をしろっていうことは、その場所や何かを僕がセッティングすればいいんですかね」
「せってぃんぐ?」
「あっ、興行主みたいなことをすればいいんですよね?」
「ありがたいけど、圓喬の名前は使えないよ。そんなことしたら世の中が無茶苦茶になっちまうだろ」
「そりゃそうですよね、柴田さんの正体は秘密にしなくちゃなりませんね」
「そうお願いするよ」
 店内の時計を見ると10時近くになっていたので、部屋に引き上げることにして、会計を済ませる。
 師匠はレジに入ったオバサンに向かって、
「旨かったよ、ハムも旨かったし久しぶりに旨い朝飯を喰ったよ。生き返った気分だ」
 師匠、本当に生き返ったんですけど……、オバサンは笑ってお礼を言っている。

「帳簿に付けといておくれよ」
 店を出ると師匠にいきなり言われた。意外と細かいのかな。でも大切なことだから帰ったらパソコンにでも入力するか。パソコンは何て説明したらいいんだ。インターネットは、携帯電話は、そろそろスマートフォンに変更しようかなどと、ごちゃごちゃ考えていると、師匠は周囲を見回して僕に話しかけた
「この辺で手土産を買えるとこはないかな」
「手土産ですか、どちらへ持って行くんですか」
「さっき掃除をしていた人だよ、あたしのこと説明するんだろ」
 なんなんだこの人は、僕がすっかり忘れていたというのに、シャーロック・ホームズか?
「なんで分かったんです?」
「そのくらい分からないようじゃ噺家はやってられないよ。お客さんがあたしのことをどう見ているのかによって、噺を変えるからね」
「噺そのものを変えるんですか?」
「そう出来るときはそうするし、途中だったらくすぐりを出し入れしたり、間を変えたりはするよ。噺家なら誰でもやってるだろ」
 ちっとも知らなかった。知ったところで僕に出来るとは思えないし、今じゃ落語は専(もっぱ)ら聴くばっかりだ。
 手近なコンビニに行くことにした。
「近くのコンビニにしましょうか」
 言い直さないといけないことに気づいた
「コンビニというのはですね、よろず食料品店みたいなものです」
「じゃあ、そこにしよう」
「何を買いましょうか?」
「何をって、あの人の好みを知らないのかい」
「知りませんよ、ほとんど喋ったこともないですし」
「しょうがねえな、同じところに住んでるんだろ」
「あの人は通いの管理人さんですよ」
「それでも掃除してもらったりしてるんだろ。そのくらい知っとかなくっちゃダメだぜ。おまいさんの住んでる建物は何て言うんだい?」
「マンションですか」
「マンションか、後はあたしに任せときなさいな」
 マンションと目と鼻の先のコンビニに二人並んで入っていく。
「御免なさいよ」
 やっぱり明るく切れのある声だ。コンビニにはちょうど店長がいた。
「いらっしゃいませ〜」
 明るいが耳障りな声だ。何が違うんだろう。師匠は若い店長に向かって
「ちょいと教(おせぇ)えてもらいますよ、そこのマンションの管理人さんの好みを知りてぇんだが」
 ちょ、ちょ、その物言いは師匠の時代では普通かもしれませんが、今の時代では通報されますよ。心配とは裏腹に店長は外を指差しながら気軽に応対してくれた
「そこのマンションというと、それですか?」
「そうそう、そこの管理人さんにお世話になるからね。挨拶をしときたいんだ、何がいいだろう?」
「管理人さんというと、お客様と同じようなお歳の……」
「そうなんだよ、よく買いにくるものはなんだい?」
「たまにお弁当とお茶を買いますよ」
「茶かぁ、それにするか」
 師匠は勘違いをしている、絶対にお茶葉だと思っているはずだ。僕が正さなくては
「お茶ってペットボトルですよね?」
「そうですよ、ホットが多いですね」
「ちょっと安すぎますよね、百二十円ですもんね」
 師匠に分かるよう、カウンター横にあるホットウォーマーを指差した。師匠は理解してくれたようで
「そうだな、他には何か買ってかないかい」
「そうですね……タバコを買われますね」
 店長は比較的軽目の銘柄を教えてくれた。
「おお、そいつはいい、ひとつじゃ愛想がないな、二つ貰おうか。なに熨斗(のし)なんかはいらないよ。そのまんまの方が向こうだって気兼ねしなくっていいだろう」
 タバコに熨斗を付けてくれるコンビニは、恐らく日本にはない。ぽかんとする店長に八百八十円を払い、お礼を言って店を後にした。
「世話んなったね、また宜しく頼むわ」
 師匠の声が店内に残された

「帳簿に付けといてくれよ、それにしても安いな」
 2年前一気に百四十円も値上がりして、それを機に禁煙したことを思い出した
「昔はそんなに高かったんですか」
「あたしは刻みも巻きもやらないが、他の奴が楽屋でこぼしてたよ、一箱盛り蕎麦二枚分だ」
 今なら千五百円くらいか。この時代のタバコが安いのか、盛り蕎麦が高いのか分らなくなってきた。多分両方なんだろうと無理矢理納得することにした。師匠は少し不安そうに聞いてくる
「それであたしをなんて紹介するんだい」
「そうですね、僕の叔父さんってことにしましょう。会社を辞めて心配だから様子を見に来てくれた。それでどうでしょうか」
「あいよ委細承知之助」
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢