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夢幻圓喬三七日

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 蕎麦屋に着くと、今日も大将が出迎えてくれたが、その顔は少し曇っている
「やあ師匠、今日は悪いね。奴(やっこ)さんもついさっき来て二階に案内したから、師匠も二階で支度をして待っていてくれよ」
 女将さんが師匠と僕を二階へと案内してくれる。店内の隅には朝太さんの父親だろう男性と、僕の父が椅子に腰掛けている。朝太さんが控えている部屋とは別の小部屋で、師匠は僕の高座着を身につけてくれた。
「ずいぶん軽いな。着ている気がしないな。裸でいるみたいだね」
「そんな高座着で大丈夫ですか?」
「誰に言ってるんだい。さて、朝太さんに挨拶に行くとするか」
 師匠は隣の部屋の前で声をかけた
「朝太さん失礼しますよ」
 朝太さんの、どうぞの声で師匠と二人で中に入る。師匠は僕より若い朝太さんに対し、畳にきっちりと正座をして
「朝太さんには初めてお目通りいたします。立花家蛇足と申します。本日はこの様なお席をご用意いただきましてありがとうございます。前座を精一杯に勤めさせていただきますので、宜しくお願いいたします」
 その前座時代を思い出しているのか、それとも昔の噺家の心意気なのか、師匠は真摯に口上を述べた。一方の朝太さんはあまり慣れていないのか
「あっ、こちらこそよろしくお願いします」
 目に険があり、少し落ち着かない様子で応えていた。
「根多は『たらちめ』を考えているのですが、お差し合いはございませんか?」
「あたしは『火焔太鼓』ですので古道具屋が……」

***************
* ひょいと脇を見ると道具屋の
* 前に箪笥と屏風が置いてある

* 落語 たらちね
* (現代の型)より
***************

 古今亭のお家芸ともいえる演目に朝太さんの意気込みを感じるが、そうか、火焔太鼓は古道具屋の噺だ。
「あたしのたらちめには古道具屋は出てきませんので、大丈夫だと思います」
 師匠の言葉で朝太さんは納得したみたいだった。
「それではお先に勉強させていただきます」
 師匠のその挨拶で小部屋に戻ると、大将がやって来る。
「そろそろ始めようか」
 大広間には、ぽつんと僕を含めて四人の聴衆。朝太さんも入ってきて、隅の座蒲団に正座をしている。師匠が高座にゆっくりと進み、頭を下げる。
 噺が始まった。

◇ ◇ ◇

「本日はたらちめというお噺でございます。その昔、顕昭法師が母親が亡くなりましたときに詠みました『たらちめや とまりて我を をしままし かはるにかはる 命なりせは』とございますようにたらちめとは枕詞でございます。また、言葉というものも、世の中の進歩に連れてたいそう変わってまいりました。『恐れ入谷の鬼子母神』、これはご案内の通りですが、『智恵も浅草猿廻し』や『銭が内藤新宿』などはトンと聞かなくなりましたが、その意味するところはお分かりになるかと存じます。しかし『酔うて九段の坂の下』ですとか『間夫(まぶ)は深川八幡宮』となりますと、もういけません……」

 師匠がマクラでサゲの一部を説明している。



「……その娘の云うには土地に慣れませんから、どうぞ舅のねえところのどこでも、夫婦共稼ぎの温和(おとな)しい人のところへ行きてえと……」

 京都で奉公していた娘さんがご両親を亡くして江戸にやってきた。可哀想な娘さんなんだ。



「……ここで見合いをしちまいな。もちろん女はお前を見て知っているんだから、お前さえ見合いをすりゃいいのだ……」

 見合いをするんだ。自分でも演った噺ながらこんなのは初めて聴いた。



「どうも素敵!」

 江戸の時代の見合いをして、男の人が一目惚れをした。男の人が楽しそうに浮き立つ様子が、家主との会話で見て取れる。



「そも我父は大和の侍 四条上がるの横町に住まいを構え 苗字は佐藤 名は敬蔵 字(あざな)は広行(こうこう)と申せしが 三十路に娶(めと)りし我妻の 今我母のことにはべりこれをしべ女(じょ)と申せしが 子無くして三年(みとせ)経ぬれば 去らるゝと思うものから 天神へ掛けし誓いの届きてや 短き春の手枕に梅子を胸に宿せると 見しより早く夢覚めて程無く母は懐胎し 十月を過ぎてぼやのこと 母(たらちめ)の胎内を出でし時より 七夜の後名を改め清女(きよじょ)と申しはべる」

 清女さんの名前を京都弁で優雅に、そして一息で語った。息継ぎがわからなかった。これが圓朝師匠の呼吸法なのか? 聴いている方が息苦しくなって、名告り終わると安堵から自然と笑いが出る。とある噺家が『緊張と緩和』といったけれど、師匠は呼吸だけでやってのけた。



「……天は梵天(ぼんてん)、地は奈落、ひよくれんりとどこまでも君のお言葉変ずる事なかれ」
「……未だ暗いからもう一遍這入(はい)ってお寝」

 『ひよくれんり』がわからないが、とにかくこの二人は新婚初日から仲が良いんだ。京都弁の清女さんと江戸っ子職人の夫婦が愛おしく見えてくる。



「ウフッ 飯を喰うのが恐惶謹言なら、酒なら酔って件の如しだろう」

◇ ◇ ◇

 聴いていた全員から、ほうっ、との感心した声が出てから拍手が起こった。師匠はそのまま控えの小部屋へと下がっていく。マクラがあったから師匠がきれいなサゲといっていたのがわかる。今まで何度か自分でも演ってきたし、それ以上に何度も聴いてきた噺だけど、こんなにこの夫婦の行く末に幸多かれと願ったことはなかった。それはここにいる人たちも同じ感想だと思う。
 朝太さんはと見ると、正座したまま下を向いている。膝の上に置いた拳が震えている。朝太さんの父親が心配そうに見ている、と大将が声をかける。
「どうする、すぐ演るかい? それとも一息入れるかい?」
「大丈夫です。すぐ演ります」
 大丈夫そうには見えなかったが、プロとしての意地だろうか、朝太さんは気丈に言って高座に向かった。そこへ師匠が座敷に現れる。
「あたしも前で聴かせていただきます」
 朝太さんが座っていた場所の座蒲団を脇に退けて直接畳に正座をした。これも昔の噺家の心意気なのだろうか。朝太さんの噺が始まる。

◇ ◇ ◇

「え〜道具屋さんという商売がございまして、え〜今はもうあまりみか、見掛けなくなりましたが、え〜昔は……」

 緊張しているのはわかるけど、朝太さん、語りが速すぎます。所々つっかえているみたいだし、『え〜』が多いです。



「ドンドンドン……」
「やかましい! 表を通る人がびっくりしてるじゃねえか」
「許せよ」
「へい、え〜、……」

 やばい、次が出てこない。朝太さんの目が泳いでいる。他の人たちもざわつき始めた。そんな中、師匠だけが静かに高座を見詰めている

「……勉強し直してまいります」

◇ ◇ ◇

 文楽師匠のように言って、頭を下げて引っ込んでしまった。

***************
* 台詞を忘れてしまいました……
*  申し訳ありません、
* もう一度……
* ……勉強をし直してまいります

* 落語 大仏餅
* (桂文楽 最後の高座)より
***************

 朝太さんのお父さんも心配そうに後ろ姿を目で追っている。と師匠が、
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢