夢幻圓喬三七日
圓馬さんの二番煎じは楽しかった。登場人物の多い噺ながら良く描けていたと思う。先日の妾馬と違い、同心もきっちりとしていて面白かった。隣の師匠も満足そうに、墨芯堂の紙袋をごそごそして、ご主人に戴いた祝儀袋に紙幣を入れていた。二人で楽屋に向かうと、通路で前座さんに声をかけられた
「圓馬師匠がお目にかかりたいと、楽屋でお待ちしております。どうぞいらしてください」
前座さんの案内で再び楽屋に入ると圓馬さんが正座で迎えてくれた
「お退屈さまで失礼いたしました」
「いや、楽しませてもらったよ。これはほんの茶代だけど貰っておくれ」
「こんな事までしていただいては」
圓馬さんはそこに描かれている隈取に目を奪われて、思わず手を伸ばしている。師匠はご祝儀を手渡しながら、
「夜回りのところをもう少し静かに演ると、間の謡や金棒の場面が上手く出せると思うんだけどね」
これだけでわかるのか圓馬さんはハッとして頷いている
「ありがとうございます。工夫してみます」
「いや、本職に出過ぎたことを言って悪かったね。じゃこれで失礼しますよ」
「この後はどちらへ?」
「なに、今夜は朝太さんと落語比べだから、帰ってその支度だ」
「えっ」
という圓馬さんの声を残して楽屋を後にした。
「どうも一言何か言わなくちゃ気が済まない質(たち)だから、つい言っちまうんだよな。よく師匠に窘(たしな)められたよ」
「そんなに言ってたんですか?」
「あたしにはそんな気はなくても、師匠にはガミガミ言っているように聞こえたんだろうね。すべてを噺に喩えて諭すようにっていうように、教えられたよ。中々出来なかったがね」
「夕食はどうしますか?」
「目先を変えて定食屋で喰おう。夜もやってるんだろう」
目先を変えているとは思えない
「夜がメインですよ。え〜と、メインというのはですね。中心かな……違うな、かき入れ時……そう、かき入れ時ですよ」
「そうかい、じゃあ定食屋で決まりだな」
定食屋には朝のオバサンがいなかった。少し寂しい。朝とは違って豊富なメニューに師匠も迷っている
「これは鰻かい?」
ひつまぶし定食の写真を指差している
「そうですよ。いろんな薬味を乗せて食べたり、出し汁をかけて食べたりできますよ」
「なんか、賄(まかな)いみたいだな」
「昔は賄いだったんですか?」
「静岡の鰻屋で聞いたことがあるな。蒲焼きで出せない小さい鰻で拵えたみたいだね」
「昔の鰻は旨かったんですか」
「若い頃の大川の鰻は旨かったよ。上手く焼いてあるやつなんかは、口の中でとろけたね。大川の鰻がなくなってからは、ダメだったな。蒸したり色々工夫はしたみたいだが、あの旨さには敵わなかったね」
「大川の鰻って蒸さなかったんですか?」
「ああ、裂くときにきちんと下拵えをして、真っ当な職人が焼けば蒸さない方が旨かった」
「そうだったんですか。昔から鰻は東京では蒸していたんだと思ってました」
「大川の鰻だけは特別だったな。他から入ってくる鰻は蒸さないと柔かくならなかったみたいだね」
知らなかった。大川の鰻と白魚はどんな物だったのだろうか? 便利さと引き替えに失ったものに僕は思いを馳せた。師匠は鉄火丼、僕は目玉焼きハンバーグ定食にする。
やがて注文の品が運ばれてきて、食べ始める。ハンバーグと目玉焼きでご飯がすすむ。師匠も今の時代の鮪を美味しそうに食べている。
「昔はトロは捨ててたんですか?」
「トロってなんだい?」
「マグロの脂身です」
「捨てちゃあいなかったと思うよ。アブっていって一膳飯屋で葱鮪(ねぎま)として煮たり、屋台洋食で使ってたんじゃないかな。足が早いから寿司屋ではあまり見掛けなかったが、たまに握る寿司屋もあったよ。でも、黄肌(きはだ)のヅケなんかの方が好まれたな」
「そうなんですか。今はトロっていって、そのアブが寿司屋では人気ですよ」
「口ん中が油っぽくなってしょうがないだろうに。好みも変わってきているんだろうね」
落語に対する好みも変わってきているのだろうか。今の時代、油っぽい落語が好まれているのか。油っぽい落語って何だろう? 2回の落語会を通じて少なくとも四代目橘家圓喬の噺は、ある層の人たちには最高の賛辞を持って受け入れられていた。油っぽい落語を好む人たちにはどう受止められるのだろう。今夜、朝太さんとの二人会でその答が見つかるのかな?
コンビニにお昼のお礼をして部屋に戻ると師匠から思わぬ申し出があった。
「今日はおまえさんの着物を貸してもらえるかな」
「いつもの羽織袴じゃないんですか」
「ああ、今日は朝太の席だからね。あたしは前座だよ」
そんなに気を遣わなくても良いのに、それとも噺家の不文律なのかな?
「お風呂に入っている間(あいだ)に用意しておきます」
師匠が僕の着物を着てくれる、それもあんな色の着物を。クローゼットから落研時代の高座着を一式取り出し、和室に用意する。虫食いや皺などは大丈夫だ。さすがはポリエステル。
「……飯を食うのが恐惶謹言なら、酒なら酔って件の如しだろう」
『たらちね』のサゲがバスルームから聞こえている。今日の噺は前座噺のたらちねなのかな。 風呂上がりの師匠に訊ねた。
「今日はたらちねを演るんですか?」
「そのつもりだけど、まあ根多が付かないように朝太に聞いてからだな」
似たような系統で、噺が被らないようにと、師匠は結構気を遣っているんだ。それとも大看板の矜恃かな。たらちねのサゲについて聞いてみたいことがあった
「ある噺家が酔ってグデンの如しってサゲたことがあるんですが」
「そりゃダメだろ。『酔って件の如し』ってサゲには、『酔うて九段の坂の下』の地口(じぐち)にもかかっているんだから」
「そうなんですか」
「何だ知らないのか。こないだ言った『値は高輪の泉岳寺』や『びっくり下谷の広徳寺』と同じ江戸の頃から云われていた地口だよ『恐惶謹言』が謹んで申し上げるのに対して、『酔うて九段の坂の下』は酔ってくだを巻くことだからな。それに、演題の『たらちめ』が和歌の枕詞だろう、そしてサゲが手紙の結び言葉なんだよ。だから、きれいなサゲなんだぜ」
落研時代にはたらちねも演ったが、ちっとも知らなかった
「そんな地口は初めて知りました。今の人は知らないと思いますよ。恐れ入谷の鬼子母神(きしぼじん)くらいじゃないですか、知ってるのは」
「それをいうなら『きしもじん』だな。だったらマクラで少し触れておくか」
「マクラでサゲに触れちゃってもいいんですか?」
「そんなことは別に珍しいことじゃないだろう。マクラで仕込みをしないとサゲがわからない噺はあるだろ」
「そうですね。今の時代は特にそういう噺が増えてますね」
それから師匠は、白湯を飲みながらマクラを考えていた。一段落して高座着を師匠に見てもらう。
「凄い色だね。バッタみたいだな。昼に喰ったキウイにも見えるな」
薄緑の高座着を見ての第一声だ。確かに言われてみればバッタに見えなくもない。しかしキウイはやめてください。落語でキウイは洒落になりません。
そろそろ良い時間になったので、蕎麦屋へ向かうことにする。父へは、直接蕎麦屋へ行くとメールをして、出発だ。