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夢幻圓喬三七日

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六日目:平成24年11月27日 火曜日



 
「わたくしは不器用な男で、踊りは踊れず三味線は弾けず、持ち前のお話を致すより外に……」
 今日も寝室まで師匠の声が届いている。しかし、これも何の噺だかはさっぱり分からない。
「おはようございます。踊りも三味線も出来ないんですか?」
「昔は音曲も習ったことはあるけど忘れちまったよ」
「唄は上手いじゃないですか」
「落語を演るのに必要な事は出来るけど、それだけでもってお金(わし)をいただける芸じゃないよ」

 朝食のために、部屋を出ると隣の奥さんが廊下で子どもを抱いてあやしていた。
「おはようございます。納豆ありがとうございました。早速、今朝美味しくいただきまして、主人もよろしくと申しておりました」
 きっと、僕や師匠が出てくるのを待っていたんだ。
「お気に召していただけたようで、ようございます。今夜はこいつの彼女が来ますので、何かと騒がしいかもしれません。宜しくお願いしますね」
「ちょっと、なに言ってるんですか」
 師匠の手を引いてエレベータに急ぐ。
「あんまり、変なこと言わないで下さいよ」
「別に変な事じゃないだろ。なに、あたふたしてるんだい」
 どっちが変なのかわからなくなった。
 管理人さんも納豆のお礼を伝えてくれる。
「気に入ってもらえたみたいで良かったですよ。今日の夜はこいつの彼女が……」
 彼女のことを言われる前に急いで外へ連れ出す。

 定食屋へ行き、手土産の納豆をオバサンに手渡すとたいそう喜んでもらえた。
 コンビニでは店長がお礼を言ってくれる。
「いただいた納豆を食べたんですが、美味しいですね。びっくりしました」
「そりゃよかった、それで今日の夜にこいつの彼女が来るんで、何か好みに合いそうなつまみはあるかい」
 僕はもう諦めた。店長も嬉しそうに聞いてくる。
「お好みは何かありますか」
「特に好き嫌いはないんですが、日本酒はあまり飲んだことがないです」
 僕はなにを正直にぺらぺら喋っているんだろう。
「酒が飲めない訳じゃないんだろ。同じ酒を飲んだ方が仲直りできるぞ。ここの酒なら大丈夫だよ」
 もう仲直りしています! 師匠の言葉に店長が得意げに言った。
「つまみの焼き海苔を仕入れてみたんですが、いかがでしょう」
 店長は先日の海苔の一件で少し意地になったみたいだ。ただ単に『焼き海苔』と印刷された缶を見せてくれた。その無骨なラベルに自信の程がうかがえる一缶だ。鯖缶とモズクと一緒に買うことにする。
「書き物を今日中に終わらせたいから、昼の分も買っとこうか」
「米はありますから、納豆で食べますか」
 僕は天野屋の納豆のお相伴にあずかっていない。
「納豆は定食屋で喰っちまったからなあ。なにか手軽につまめるもんがいいな」
「お握りかサンドイッチにしますか? サンドイッチというのはパンに……」
「知ってるよ。こんな三角のは見たことないが四角のなら知ってるよ」
 店長は僕たち二人の会話に不思議そうな顔をしていたが
「このハムサンドのパックなんかは面白いですよ。四種類のハムが挟んであって、食べ比べが出来るんです」
「こんなにハムの種類があるのか? こいつは贅沢だ」
 パンには牛乳かなと考えて牛乳もレジへと持って行く。

 バスルームから師匠の声が聞こえてくる
「♪きくたびに もしやぬしかと こうしにすがり〜 きけばすけんの〜 そそりぶし〜♪」
 益々声は通るようになっている。圓朝師匠の呼吸法については知らないが、聞いていて心地がいい。
「気持ちよさそうでしたね、何て唄ですか?」
「都々逸(どどいつ)だよ。吉原を素見(ひやか)しながら歩くときのそそり節だな。別名ぞめき唄だ」
 志ん生師匠の二階ぞめきを思い出す。
 その後、師匠は和室にこもって、書き物に集中していた。僕は洗濯と、掃除をすることにした。掃除機の音が迷惑かなとも思ったが、なにせこの部屋に彼女が来るのは久しぶりなのだ。力が入る。
 途中息抜きに出てきた師匠と昼食をとる。僕はコーヒー、師匠には迷った末、牛乳たっぷりのカフェオレを微温(ぬる)めに作った。
「コーヒーは初めて飲んだが旨いね。パンに合うよ。このハムも旨いな」
 ハムサンドを頬張り、微温いコーヒー牛乳を旨そうに飲んでいる。
 腹ごなしの落語鑑賞会に師匠を誘う。
「なにを聴きましょうか。やっぱりお客さんがいる録音の方がいいですよね」
 僕はお客のいないスタジオ録音には馴染めない。なにか物足りないと思ってしまうのだ。
「今まで色々聴かせてもらって、聴き方のコツがわかったからなんでもいいよ」
「聴き方のコツってなんですか? 教えて下さいよ」
「まあ、コツっていうほどでもないんだが、おまえさんは客のいない録音はあまり好きじゃないんだろ?」
「臨場感というか、一体感がなくて物足りないですね」
「でもな、御座敷で噺家が自分一人に向かって話してくれている気で聴いてみな。乙なもんだよ」
 そんな聴き方があるんだ。勢い込んでCDをセットする。八代目桂文楽の明烏スタジオ録音版。僕と文楽師匠の二人だけのお座敷をイメージした。おお、なんかお大尽になった気がしてきた。贅沢な気分で気持ちよく聴ける。突然師匠が呟いた。
「この前聴いた、溲瓶(しびん)の花活(はない)け、とは少し声が違ってるな。歯を悪くしたか」
 僕にはさっぱりわからない。

「ここの大見世の言い立てはいいね。これは吉原を知らない噺家じゃ出来ないだろうな。金がかかった芸だよ」

***************
* 幅が広い梯子段を
* トントントントントン……
* と上がる
* 廊下なんざぁ広くて
* スーーーッと見通せませんな

* 落語 明烏(桂文楽)より
***************

 あとで今の噺家の明烏を聴いてみよう。文楽師匠の明烏がサゲた。
「ずいぶん綺麗な噺に拵え直したんだな。たいしたもんだ。さてと、書き上げちまうかな」
 僕はまだまだ師匠に教えてもらいたいことはあったが、リビングでスタジオ録音のCDをボリュームを下げて楽しむことにした。

 師匠が和室の障子を開けて出てきた時には、和室全体が黄昏色(たそがれいろ)に染まっていた。師匠が筆などの後始末をしている間に、僕は師匠の白湯を入れ替えた。
「後は乾くのを待つだけだな。久しぶりに長いこと書いたから肩が凝っちまったよ。風呂もらえるかな」
「どうぞ、いつでも入れますよ」
「やっぱり便利だな。いただくよ」
 しばらくすると、気持ちよさそうな声がバスルームから聞こえてくる。
「♪しののめの〜 すとらいき さ〜りとはつらいね てなこ〜と おっしゃいましたかね〜♪」
 題名は知らないが、これは聞いたことがある気がする。彼女が来たときのために、米を研いでつまみの用意をしてから、風呂上がりの師匠にお酒を勧める
「先に一杯やってますか?」
「三人揃って乾杯した方がいいだろう」
 先日覚えた乾杯という言葉を師匠が嬉しそうに使っていると、家のインターフォンが来客を告げる。勢い込んでドアを開けるとそこにに立っていたのはお隣の奥さんだった。
「肉じゃがを少し多めに作ったんでよかったらどうぞ。河井さんの恋人の手料理にはかなわないと思いますが」
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢