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夢幻圓喬三七日

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「三味線栗毛(しゃみせんくりげ)にしよう。落語研究会の二回目で掛けた根多だよ」
「鰍沢じゃないんですか」
「なんだい鰍沢が好きなのかい」
「柴田さんの鰍沢を聴いてみたかったんです」
「そりゃ嬉しいが今日はダメだ」
「何で今日はダメなんですか」
「初見のご婦人がいるときは演らないんだ。それに鰍沢はもう一度復習(さら)いたいんだ」
 ということはこの先、男性限定落語会じゃないと聴けないってことなのかな。
「それより下へ行かなくていいのかい」
「そうでした、白湯の用意をしてきます。少ししたら呼びに来ます」
 鰍沢を聴けないことに少し落ち込んで僕は準備に取りかかった。座敷は最前列から埋まったのだろう、最後列が空いている。河井一家は最後列になってしまった。座蒲団の横に白湯を置いていると、最前列真ん中に男の人が腕組みをして陣取っているのが目に入る。きっとこの人が蕎麦屋の大将だ。隣の女性は奥さんかな。父もお茶も配り終えた。師匠に声をかけ、口上を述べる
「本日の二席目は三味線栗毛です。どうぞお楽しみ下さい」
 蕎麦屋の大将はもう拍手をしている。僕も拍手をしながら最後列の両親の隣に座る。師匠はやっぱり少し猫背で入ってきた。

 仏壇の前へ座って頭を下げて手を合わせる。
 どれくらい時間が過ぎたのだろう。おもむろに座蒲団に座りお辞儀をして話し始める。ここでの拍手はなかった。

◇ ◇ ◇

「これもまた お古いお噺でございます これは全体午年(うまどし)の関係で……」


「あ〜面白い奴だ 按摩というのはその方か」
「左様でございます」

 僕はおどろいた、誰が聴いてもこれは盲人だとわかる声だ。聴いている人たちの頭が細波(さざなみ)のように揺れている。ためしに少し頭を下げ目を閉じて聴いてみた。やっぱり盲人だ、それも按摩にしか聞こえない。師匠の声はどうなってるんだ。
 ここから若様角太郎(かくたろう)と按摩錦木(にしきぎ)のゆったりと温かい交流が始まった



「……身体(からだ)にあるのだな …… ありがたいな」

 もうだめだ、涙が自然に出てくる。この間(ま)はとんでもなかった。『ありがたいな』の言葉でほぼ全員、同時に涙したのが、後ろからでもわかった。噺の前に仏壇に手を合わせた師匠と、角太郎の出世を喜び信心深く、『ありがたいな』と手を合わせる錦木の姿がだぶる。



「……一生懸命に飛んでまいりました」
「吉兵衛! 彼を検校(けんぎょう)に取り立ててやれい!」

 自分を祝福するために飛んできてくれた錦木に対して、即座に、検校にするという約束を果たす角太郎。ここでも涙が出る。隣にいる両親も、最前列の蕎麦屋の大将も涙を拭っている。



「……バチがあたるわへ」

 求めた馬に三味線と名付けた角太郎。それではあまりに戯(たわむ)れが過ぎると、吉兵衛は旧知の錦木に意見をするように頼む。ここに三人の信頼関係が現わされている。

◇ ◇ ◇

 サゲて師匠がお辞儀をして座敷から出て行った。慌てたようにみんなが拍手をし始めた。僕は挨拶をするため急いで正面へと進む。
「これにて本日の落語会は終了です。誠にありがとうございました」
 みんなの拍手で温かく終えることが出来た。突然、蕎麦屋の大将が叫んだ。
「ちきしょう、店開けたくねえな、このまま酒を飲みてえ」
 隣の女性に肩を叩かれている。やっぱり奥さんみたいだ。みんなの笑い声のなか父が大将に声を掛ける。
「あとで師匠と一緒に寄せてもらうよ」
 師匠って言っている。
「本当かい? 絶対来てくれよ」
 大将は奥さんと飛んで帰った。僕も二階にいる師匠の所へ飛んでいった。

「お疲れさまでした。素晴らしかったです。皆さん喜んでいましたよ。蕎麦屋の大将なんかは店を休んで酒を飲みたいなんて言ってましたよ」
「そりゃ嬉しいね。この噺は今の人たちにも喜んでもらえるんだな」
 それは違うと思う。四代目橘家圓喬の噺だから喜んでもらえたんだと思う。師匠は噺の中で昔の言葉をそのまま使っていた。にもかかわらず、それが聴く者の耳に無理なく入ってきていた。知らない言葉が耳に障らなかった。
 なぜなんだろう、録音しておけば良かったと後悔したが、思い直す。録音したら師匠が消えてしまいそうな気がしたからだ。
「いや、柴田さんの噺だからですよ。他の噺家だったらこうはいかないと思います」
 志ん生師匠が比べちゃいけないんだと云った意味がわかる。

***************
* お父っつあんと比べてどのくら
* い違うの?

* 比べちゃいけねぇんだ、そうい
* うものは

* 今、ほかに比べられる人は?

* 誰もいないよダレも、まるで
* 違う人だよ

* 落語 文七元結のマクラ
* (古今亭志ん朝)より
***************

 圓喬師匠の三味線栗毛に比べたら、失礼だが志ん生師匠の三味線栗毛は……、やめておこう。比べちゃいけないんだ。どうしても師匠には教えてもらいたいことがある。
「錦木の声はどうやってるんですか?」
「目(めぇ)つぶって聞いても按摩に聞こえたかい」
 暴露(ばれ)ていた。
「按摩にしか聞こえませんでした。どうやったんですか?」
「喋っただけだよ。耳で」
 耳で喋る? あれこれ細かいことを言わないのは圓朝師匠だけじゃないと思います。
「着替えたら下へ来て下さい。高座着はここへ置いていただいて結構ですから」
「はいよ、じき下りるよ」
 階下では両親が後片付けをしていた。僕も手伝いながら父へ話し掛ける
「みんな喜んでくれたみたいだね」
「ああ、大喜びだったよ、それにしても驚いた。柴田さんは凄いね。始まる前にお前が珍しく自信満々だったのが理解できるよ」
「母さんはどうだった?」
「三味線栗毛っていうの? 落語を聴いてあんな気持になったのは初めてよ。人の幸せを喜べることって素敵よね。あ〜ダメ、思い出しただけで涙が出てくる」
 目を真っ赤にして母は興奮していた。そこへ着替えを済ませた師匠が下りてきた。居間へはいる前に腰を折る。
「本日はお席をご用意いただきまして、ありがとうございます。お耳汚しで失礼いたしました」
 師匠そんなことは全くありません。耳福(こんな言葉はあるのかな)でございます。父は慌てて、
「いえいえ、こちらこそわがままで二席も演っていただきありがとうございます。師匠はお疲れになったでしょう」
「柴田とお呼び下さい。久しぶりだったのでこちらも気持ちよく演ることが出来ました」
 かたくなに柴田で通すつもりみたいだ。母が白湯と少しだけ残しておいた甘納豆を運んできた。つまみながら父が話を進める。
「三味線栗毛という噺は初めて聞きましたが、いい噺ですね。あまり演らない噺なのか?」
 後半は僕への質問だ。
「最近のことは僕も知らないけど、あんまり演ってないと思うよ。落研でも聴いたことないし。でも、確か志ん生全集に入っているよ」
「そうか、なら聴いたことがあるはずなんだが、思い出せないな。惚けたかな」
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢