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夢幻圓喬三七日

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「そんなご大層なもんじゃないが、初めての席ではやりやすいんだ。それに京言葉だから、こっちのお客さんは途中でゆったりとできるからな」
「口上は何をいえばいいんですか」
「なに、名前と演目だけでいいよ『立花家蛇足の茶金』これだけでいいよ。師匠なんてつけないでくれよ」
 つけるところだった。聞いてよかった。
「あと、注意してもらうことはありますか? こうして聴いて下さいとか……」
「そんなものはないよ。好きに聴いてくれりゃいいんだよ」
「委細承知之助です」
 一度使ってみたかった。
「古いねどうも。着替えたら、この時計で三時に行けばいいかね?」
 普段は主のいない部屋で時を刻み続けている時計を指差した。
「三時ちょうどに来る人もいると思いますから、揃ったら声を掛けますよ」
「じゃあそうしておくれ。湯呑みに白湯で頼むよ」
「はい、僕が用意します」
 居間を覗くと、十分前で半分以上埋まっている。女性も四人来ている。やっぱり後方から埋まっていくようだ。前方にはだれも座っていない座蒲団、後方にはお客さんたち、二色の染め分けみたいになっている。そこへ母が甘納豆を自慢げに配り始める。父はお茶当番みたいだ。僕は戸棚から湯呑みを出して洗い、冷蔵庫のミネラルウォーターも確認する。その間にもお客さんがやってくる。
 早く集まらないかなと座敷を見ると、やっぱりまだ前が二列分空いている。嬉しいことに河井一家は最前列に座れるだろう。新たに来た二人は座敷を見渡すと、後方に空きがないので渋々前方に座る。なんと幸運な人たちだ。
 お茶を供していた父がこちらを見て頷く。全員揃った合図だろう。師匠の白湯を置くついでに頷きかえしてから、二階への階段を上る。ドキドキしてきた、ドアノブを持つ手が少し震える。声を掛けてドアを開ける。
「師匠出番です。お願いします」
「柴田だよ。はいよ」
 もう他のことはどうでもいいと思えてきた。早く始まりますように。そして無事に終わりますように。
「ではお揃いになりましたので、立花家蛇足の茶金でお楽しみいただきます」
 最前列に両親と共に座る。他の人たちが遠慮したため、僕たちの後ろは一列分空いている。師匠、やりにくくないかな。心配していると羽織袴の師匠が少し猫背で入ってきた。座る前に仏壇に向けて軽く頭を下げた。座蒲団に座り扇子を前に置き、今度はお客さんにゆっくりと頭を下げる。拍手がおこり、師匠が話し始める。
 百年前に止まった時間が再び動き始めた。

◇ ◇ ◇

「え〜私にもう少し智恵がありますと今の噺にして申し上げますが、お古い噺でございます。
よく御大名様方がお楽しみに骨董物を列べて嬉しがっておりますが……」



 目利きで有名な茶道具屋の金兵衛、通称茶金さんが、清水(きよみず)の音羽の滝の前にある茶店で供された湯飲みを繁々と眺めて、首を傾げてため息をついた。それを見ていた、江戸から来た油売り。その湯飲みは名器に違いないと有り金の二両で譲ってもらい、それを茶金さんの店に売りつけに行く。
 ところがあに図らんや、茶金さんが首を傾げたのは、茶碗のどこから茶が漏れるのか分からなかったため。茶碗はどこにでもある清水焼の安手物。


「あんさん、江戸のお方だっしゃろ、京の人間にこないな真似はできん。失礼ながら二両と言やあんさんにとっては大金、身上限り。それをたったそれだけの思惑で放り出しなはる……」


 茶金さんは自分のせいで損はさせられないと二両で茶碗を買い取る。
 茶金さんが事の顛末を、関白鷹司公のお耳に入れると、それは面白いと一首詠まれる。

***************
* 清水の 音羽の滝の 音してや
*  茶碗のひびに 森の下露
***************

 これを聞きつけた、鴻池善右衛門は茶碗に千両の値を付ける。茶金さんは半金の五百両を油売りに渡し、この話は一件落着。
 かと思いきや、油売りは古渡唐桟(こわたりとうざん)に茶献上(ちゃけんじょう)の帯という立派ななりで茶金さんの店にやってきて

「今度(こんだ)あ、水瓶の漏るのを持ってきたぁ」

◇ ◇ ◇

 サゲた。座敷から出て行く師匠にお客さんが拍手を送っている。よかった。途中でお客さんはノンビリ出来るといった意味がわかった。
 笑いはそれほど多くない噺だが、とにかく茶金さんの京都弁が心地よかった。そして、江戸弁の油屋との掛合がまた楽しい。それがあるからサゲに向かっての勢いが活きると思う。まあ僕が言うのもおこがましい話だけど。きっとお客さんも喜んでくれたことだろう。お客さんの反応を見るために、振り向くと目の前に顔があってびっくりした。いつの間にか一列分の空きが人で埋まっている。その分最後列が空いていた。みんな乗り出してきたんだと気づき、急いで二階の師匠に知らせに行く。
「入りますよ。師しょ、柴田さん、お客さん乗り出してましたよ」
「あたしは正面で見てたから河井君よりはよくわかってるよ。一人食いつきそうな顔で乗り出してきた男がいたな。少(すこぉ)しはんなり話したら落ち着いたけどね」
 そうだった、僕も興奮しすぎていた。
「ご祝儀期待できますね」
「それ以上の物をお客さんからもらったから満足だけどね。おっと、帳簿の分は稼がないとな」
 そこまで話していると、ノックが響いて父親が入ってきた。柴田さんへのお礼を言うと僕に向き直る。
「柴田さんの噺が終わったのに、お前がいないから下は大変だったんだぞ」
 そうだ、お客さんへお礼を言うのを忘れていた。
「なにかあったの?」
「それがご祝儀のことなんだが……」
 父は言いづらそうにしている。
「少ないの?……、まさかゼロ?」
「いや、みなさん千円ずつ出すから、もう一席やってくれないかって言ってるんだ」
 いきなりのダブルアップだ。父は申し訳なさそうに続ける。
「柴田さんもお疲れだろうから聞いてくるっていって、二階に上がってきたんだが、どうしようか?」
「あたしはあと何席でも大丈夫ですよ」
「そんなこと言ったらダメですよ。蕎麦屋の大将なんか今日は休みにしてでも聴く、なんて言ってるんですから。あと一席だけお願いできますか」
 食いつきそうな男の人は蕎麦屋の大将だったのかな。そういえば見覚えがある。蕎麦屋の落語好きは本当みたいだ。師匠はあっさりと、
「ではあと一席だけ演らせてもらいます。その蕎麦屋は何時からなんですか」
「あそこは夕方五時からですが」
 やった。まだ一時間以上ある。
「では少し長い噺を演りましょう。それと、ご祝儀は約束通りの五百円で結構です。また、次がありましたらその時にお願いいたします」
「よろしいんですか。次があるって聞いたらみんなも大喜びしますよ。お茶の用意があるのであと十分後でいいですか?」
「はい、わかりました」
 父が階下へと戻っていった。下から拍手が聞こえてくる。
「ご祝儀少しもったいなかったですね」
「なに、最初の約束通りでいいよ。それよりも、あたしはお客さんの前で噺が出来て嬉しいんだよ」
 ほんとに嬉しそうだ。死ぬ前はあんまり噺が出来なかったのかな。
「次は何を演りますか」
作品名:夢幻圓喬三七日 作家名:立花 詢