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Haze

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 その霧は大きくはなかった。そしてそれ以上の成長を見せず、輪郭を変えることなく浮遊している。それもふわふわと浮かぶのではなく、天井から吊るされているかのように、見事な静止を見せていた。そしてその見事な静止はその霧が霧らしくないということの一つの証明でもあった。容易に近づき、触り、吸い込むというようなことはできそうにもない。
 
 畦道の一歩目で先を妨げられ、小屋に続く道を進むことができない。ここ以外の畔は小屋へ向かえず、畑の中を踏みつぶしていくことは到底できない。それは無数の死骸をもう一度踏み殺して、死骸の嫌な雰囲気をここに再出させてしまう。私は退路しか選択肢を見出せずにいた。
 あれが霧なら、しばらくすればどこかに消えるだろうと思い、私は畔の入り口まで戻り、その場で座り込んだ。その動作の際中もあの霧からは目を離さないようにと一心になっていた。























 霧は一向に動かず、何の変化も見せない。

歩いてきた方角、シダ景色の向こうには薄ら夕景が見えていた。シダの壁には隙間などなく、閉鎖的だと嘆いたことはどうやら間違いであった。こんなにも夕景がシダ景色を透過してこちら側までやってきている。あの夕景の空気がこちらまで到達するのにそこまで時間はかかりそうにもない。
 日暮れのこの地域は随分冷える。特に人工的なこの道路というものはそういう自然にうまく適応できないようで、(これは本当に不思議なことだ)林の中よりも冷えがきつく、それを嫌ってか、動植物は夜中道路付近には近づかない。代わりに道路わきのシダが悲痛のような音を出しながら夜の風景の主を彩る。そういう景色を何度か見た。
 しかし今回はその冷えを耐えるためのものがない。服は薄手で、火をおこすものもない。私は痺れを切らして畦道を進むことにした。あの小屋には毛布もマッチもたくさん常備してある。その為に立ち上がったのだが、これがいけなかった。この時、ほんの一瞬だけ霧から目を離してしまったのだ。一瞬の油断であった。その油断を霧は見逃さなかったようで、ゆらりと揺れて風の流れをそこに見せた。私はその霧の、霧らしい様子にどこか怖いものを感じた。

 風は畦道の向こうから吹いているようで、霧はじわりと私に近付いてきた。それがわかった途端、私は畔を進むことが非常に怖くなってしまった。互いに近づき、遭遇した時、吸い込んだ時、何か霧らしくない一面が露出し、私の命や何かを奪ったり、よくない精神を運んできそうだと思えたのだ。


 これを思い込みだと一蹴することは容易だが、絶対にありえないと言うことは誰にもできない。これは非常に重要なことだ。


 私は動かず、霧が動く。霧の動きの度に時間が進んでいて、私はその時間の流れに参加できずにいる。そしてその時間の流れはシダの群れの中にいる時に感じる、疎外に似たものを思わせた。
 風の流れが変わったのか、霧は畦道を離れて私の視界の右にそれていった。しかしその時、私は思い違いをしていたことに気が付かされた。
 霧は大きく伸びていたのだ。正面からはこちらに近づいてきているように見えていた霧だが、本当は伸びていた。すなわち大きくなっていたのだ。
 そして霧は右に動きながらまた伸びていった。そして伸びは次第に湧き上がる雲のように変化していき、数舜の間に霧は畑の一区間を埋めるほど大きくなっている。小屋は霧の色に惑わされるように、向こうに隠れてしまった。私は霧の成長を確実に見ていたはずだが、途中からその成長を追うことができなくなってしまったらしい 。


 相変わらず時間に乗れず、畦道の入り口で立ち止まっている。夕景がもう、そこまでやってきてしまったようで、シダ景色との境界線を赤く染め始めている。霧はその赤の染色を危険と感じたのか、急速に成長し始めた。そしてその成長がシダと畑の境界線まで達した時、霧は成長を止め、ゆっくりとこちらに向かって飛来してきたのだ。
 大きな白い塊が、私より随分大きな塊が覆いかぶさるように接近してくる。これは単純に恐怖であった。しかしそれ以上に、霧が霧ではない未知のものだと思えているので、複雑な恐怖を感じていた。一体、どうすることもできない、不可避の恐怖が目の前にやってくる。
 私は逃げようと思った。非自然的な道路の向こう側まで、数歩の距離を駆けた。そしてそこから霧の侵略を傍観することしかできなくなってしまった。

 霧は道路を悠然と越えてきた。もう私との距離は数歩分しかない。そして霧の先端がこちら側の道路の端を超えた瞬間、霧は速度を上げて、私は一気に霧に飲まれてしまった。巨大な塊に侵略される瞬間の、恐怖に混じる興奮を味わうこともできず、そういう非現実的なことに伴う心酔的なものも一切許されなかった。












しばらく霧の中で呼吸を止めていたのか、肺が空気を求めていると本能的に理解した。
その時には空気が肺に入り込んできて、血流に何か、重いものが混じり始め、皮膚の下で暴れだした。何度も大きく空気を吸い込み、次第に皮膚下からの暴力は体に馴染んで心拍に変わった。しばらく下手な深呼吸が続く。

 安定し始めたころ、私は霧に飲みこまれてしまったことに気が付き、辺り一面の白景色になぜか安堵した。あの霧もこういう平凡な白景色を作るだけで終わったのだと、霧が霧らしく見えたからであった。もっと霧らしくない景色が目の前に創られていたなら、私はここまで平然とはしていなかったであろう。

 
 その景色は細雪がしきりに降っているようなものだったが、雪の粒など一つも見えず、その繊細な流れも見えず、もっと微細な白が空気中を埋めているのだと分かる。もしくは空気そのものが白く染色されていて、それがタイルのように固まっているのだろう。

 白いタイル。そう、辺り一面そういうタイルが敷き詰められているような、真っ白な風景がつくられている。私は次第にそれが異常なことであることに気が付いた。霧というものはどんなに濃霧であっても視界が数メートルくらいはあっていいものなのに、視界はすべて白になっていて、私自身の躰すらも白く染められていて、膝から下は全く見えない。まるでぶ厚い雲の中に足を突っ込んでいるような、ふわりとした白いものが膝から下を奪っている。試しに足をあげてみた。すると白い所から足が唐突に現れ、そこに遅れて足の感覚が戻ってきた。非常に奇妙な霧の中に迷い込んでしまったようであった。

 それはつまり、辺りが白だけになっているということなので、私の周りに何があるのかが全くわからないということでもあった。地面についている足もその感覚がわからないため、土を踏んでいるのか、水を踏んでいるのかがわからない。すなわち、私は自分が今、どこにいて、どういう風景が目の前にあるのか、どんな危険がそこにあるか全くわからないということであった。これは途端に恐怖を運んできた。そして私は一歩動くことすら思い立つことができなくなってしまったのだ。
作品名:Haze 作家名:晴(ハル)