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Haze

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 確か目の前には道路と、葉物畑と小屋があり、少し向こうにはシダ景色が蔓延っているはずだ。首だけを動かして白の中を探すが、どこにも色がない。白に染色され、輪郭だけでも残っていてくれれば多少なりとも安心できそうだが、それすらない。一切合切分厚い白で塗り固められている。
 焦る気持ちは次第に行き場を失い涙となってあふれ出した。小さな隙間で身動きができなくなってしまった時の、閉所での恐怖、「それと似たものがあった。私は久しぶりに素直な感情というものをしたという妙な気になってしまい、涙を止めることはしなかった。


 当然だが、座り込むことはできない。膝の下はもう存在していない世界なので、そこに体の大半を埋めることは非常に危険に思える。そのため、私は棒立ちのまま、泣いている。
 涙は視界を邪魔することなく、視界は変わらず白い壁が続いている。涙までも排出された後の一瞬で染めてしまうのだ。白の明暗や濃薄は一切なく、しばらく一点を見つめていると平衡感覚が鈍るような奇妙な空間ができている。その空間を埋め尽くしている霧というやつは、そこに停滞しているのではなく、淵のない四方からどういうわけか生まれ、どういうわけか空間の中を対流しているような、そんな気がしてならない。空気の流れも揺れも見えないが、そんな気がしてならないのだ。そしてその循環の一役を担っているのが私の呼吸だということにも気づいている。
 即ち、私の肺の中、もっと言うなら全身にこの奇妙な霧が侵食しているということで、私はそのことに体の不安を感じ始めていた。今は霧以外の透明な空気が微かに残っていて、奇妙な霧の影響を受けないで済んでいるだけかもしれない。今にも、この奇妙な霧が精神を犯して、どうにかおかしな体に変化してしまうのではないか、もしくは絶命、それに似た結末を経験することになるかもしれないという恐怖があった。
 
 思い込みだろう。そうだろう。ただの霧かもしれない。そうかもしれない。






 白壁に濃薄な流れが生まれた。唐突の変化に私は喜んだ。白い壁の中にどこかからか、風が吹き込んできたのだ。そのまま白壁は押し流されるように薄れていき、数舜後には霧が完全に晴れていた。霧の侵攻よりも撤退がはやかったことに私は妙な空虚を感じた。圧倒されていた意識を嘲笑うかのように去っていった。超越した何かの存在を確かに感じた瞬間であった。



 道路が見える。霧が落としていったのか、路面が酷く濡れて、自身の色を濃くしている。しかし視界は実に透明であった。


 
 そう、透明であった。
 私は何気なくこの風景を透明だと表現したが、それが奇妙なことだと気が付いた。

 あの霧が生まれた所は何の変哲もないただの空間であり、そこには窒素や何かが見えないながらも確かに占領していた。その成分の何れかから、あの霧が生成され、そこは霧の場所となって私に見えていた。
 霧が生まれるまでのそこには、透明というものはなく、ただ何もなかった。無であったのだ。闇ではない。向こうの景色に一切干渉することなく、透けて見えるという透明のような無がそこにはあった。
 そこに存在していたものたちは私の目では捕らえられないほど微細であるか、概念が根本から違うものたちだ。私とよく似た機構を持つ多くの人間たちも同じように思い、日常の風景を観測している。天体の光だけを純粋に観測していると勘違いしている。
 しかし、流星が渡った後の残光や、月明りが邪魔をしたとき、覗き込んだ景色が濁ってしまった時、その時に初めて天体との膨大な距離、体積に透明な何かがいることに気が付かされる。それが私にとってはあの霧であった。

 無は見えず、霧は見える。しかし触ることはできず、吸い込むことはできる。そんな霧は間違いなく無であった場所から湧き出るように、生まれたようにして出現した。しかしそれは新出ではなく、あくまで変化であった。





 そう結論が出た途端、私は辺り一面を無に包まれていることに気が付かされた。辺りのすべての風景が無によって支えられている! 目に見えているものの根拠が盛大に揺らされている。無はいつ変化するだろうか。分からない。無はどう変化するだろうか。また霧になるのか。爆発して火を見せるか。向こうの木々を粉々に潰すか。分からない。
日常的な葉物畑が非日常で、歪で、基礎を欠いたビル群のように思え、その隙間を無が埋め尽くしているのだと思うと、見えないながらも不安で仕方なくなってしまった。
 そしてこの不安というものは特に現実に影響を与えるものではないということが、解消法の存在しない、無治癒で未知の伝染病のように私を蝕んできた。蝕まれた事実だけは残り、治癒のための手法がなく、どういう症状が出るのかもわからない、不明という異常な不安、そしてそれを他者と共有することは不可能であるという無慈悲があった。


風が無を揺らしている。しかし無は動かない。ひたすらに向こう側の景色を邪魔しないことに専念している。いや、そういう風に振る舞っている。 


 この不安というものを、霧の中でも感じていたことに気が付くと、私はおかしな気持ちになった。あの奇妙な白壁の中の方が、今の葉物畑の風景よりも随分不安なものに思えるが、私は両方に、同程度の不安を抱いていて、むしろ今のこの風景の方にこそ、この不安を少し強く抱いている。霧は奇妙ながらも白く見え、周りはすべて白で埋められているのだ。あの霧の中は変化がなく、静かな安寧がそこにはあった。しかし、この葉物畑は無から有というこれまで見逃していた現象の繰り返しを、その都度現れる根拠のない、先の見えない不安と一緒くたにして向き合っていかねばならないということを明示していた。さらにその不安というものを治癒させるための手段を、先人たちは何一つ私に手渡してくれてはいなかったということに、私は今更ながらに気づいてしまったのだ。
 ほら、また。葉物畑が夕闇に染められて暗くなっていく。無が染色され、有が生まれていく。一体、何が無を染めたのか。そしてどうやって見えるようになったのか。わからない。根拠がない。今まではこの光景を美しいと感じていたのに、今はただただ不安で不安で仕方がない。



 

霧はもう、空中へ昇ってしまっただろうか。もう一度霧に包まれて、そのままその中の安寧に浸っていたいと切に願う。

                晴

作品名:Haze 作家名:晴(ハル)