新選組異聞 疾風の如く
「何故、上洛の噂が漏れたと思う。誰かが漏らしたのさ。江戸中にいる俺たち浪士に伝わるように、業とな。乗っかっても損はないだぜ? 近藤さん」
それから間もなく、立て看板が立った。
「凄いなぁ、土方さんの勘」
総司が感心しながら見上げるそこには、こうあった。
――――この度、将軍御上洛に際し、警備の為の浪士隊を募ることになり候。志ある者、身分問わず。小石川伝通院に集まれたり、と。
※※※
蒼天の中、鳶が輪を描いて飛んで行く。
(ガキの頃から変わっちゃいねぇな、ここは)
久し振りに戻った故郷の日野。嘗て牛革草を摘んだ浅川の土手に寝そべり、歳三は空を眺めていた。牛革草はミソソバともいい、土方家の家伝薬である石田散薬の原料である。
世の中が変わり始めても、故郷は変わらない。草が茂る浅川の土手、点在する田畑、木登りをした樫の木。これかも、ここは変わることはないだろう。
「――聞いたよ。京に行くんだってな?」
義兄の佐藤彦五郎が、よっこいしょと隣に腰を下ろす。
「姉貴から聞いたのか?」
「また、直ぐに戻ってくるってよ。そう言やぁ、奉公先からよく出戻っていたなぁ。おめぇが戻って来る時は、いつも何かあった時だ。そして必ず、ここに来る」
「そんな昔の事、よく覚えてるなぁ」
「おめぇは、おめぇのやりたいようにやればいい。人生は一度きり、悔やみを残したまんま終わるなんざ面白くねぇじゃねぇか。漸く、おめぇの夢が叶うんだ」
そう言って差し出してきたものは、多額の金子だった。金子をせびりに戻ってきたわけではなかったが、彦吾郎はいつも歳三の応援者だった。
そんな京――、暮れゆく空を旅籠の二階から眺めている浪士がいた。ふと、視線を落とせば、ある男がこの旅籠に入ってくる所であった。
「梅太郎はん、今夜は煮鍋でもどうどす?」
部屋の入り口から、女将が声をかけてくる。
「酒瓶も頼むわ。もうなくったきに」
「この都も最近はえろう騒がしくならはって」
「そう言えば、この宿はよく長州の者が来ちょる」
「梅太郎はん、長州のお方とお知り合いどすか?」
「知り合いというほど者ないがよ」
二階から下りてきた才谷梅太郎は、店に丁度入ってきた男と目が合う。
「広江さん。おんし(あんた)とは、よほど縁があるぜよ」
「はて、君とは初対面の筈だが?」
「何度も、こん店でわしは見てるがよ。おんし、桂小五郎さんじゃろ? 長州に桂あり−――、土佐でも有名じゃき」
広江――、桂小五郎は、その名を否定しなかった。
「君も、才谷梅太郎と言うのは偽名だろう。この桂の正体を見抜くとは只者ではあるまい」
「――さすが桂さんじゃき。土佐郷士、坂本龍馬っちゅう者ですき。ってちゅうても、脱藩した身ですきにの」
「脱藩……か。それは偽名を使わんといかんな」
「そげな警戒されちゃあ、話にならんぜよ。わしも、こん国は変わらんといかんと思うちょる。けんど、やり方を間違えたらあかんちゃ」
「それは、忠告かい?」
「桂さん。おんし、誰と戦うがよ」
「決まっているだろう。攘夷の元に、帝をお護りして異国を払う」
断言して、横を通り過ぎて行く桂に、龍馬は呟く。
「桂さん、なんでかいの(何でだろう)。このどうしようもない不安は」
その不安が何なのか、龍馬自身まだわからなかった。
(三)
江戸・小石川伝通院――、浪士隊募集に集まった浪士で境内は溢れている。もちろんその中には、試衛館の面々もいる。
「凄い人ですねぇ。もう、参加決めたんでしょ? 土方さん」
そう言って、総司は首を傾ける。
上洛する将軍警護の浪士隊−−――、たとえ浪士であっても参加できると云う。
ようやく巡って来た機会、農家出身でも武士になれる。それも、将軍警護という名の下で。
「ああ」
歳三は、強く頷いた。
集結した面々は、個性派揃いであった。
浪士はもちろん、農家の出や商家の出など様々だ。伝通院の壇上では、幕府より浪士組結成を任されたと言う男がいた。
「ふん、御託を並べ立てやがる」
群衆の注目を一身に浴びる男は、満足そうに声を張っている。
「おい、歳。聞こえるぞ」
「聞こえやしねぇよ。俺はああいった奴は気に入らねぇだけさ」
「清河八郎、別に怪しい奴ではないようだが?」
「――諸君。我々の目的は、この度上洛される家茂公の護衛、警備をする事にある! 存分に働いてくれたまえ!!」
清河の最後の言葉に、集まった男たちが「おおーー!!」と声を上げる。
「帰るぞ」
「えー、もう帰るんですか?」
「源さんに、留守番させちまったからな」
「井上さんも、来れば良かったのに」
「言っておくが総司、寄り道はしねぇからな。お前の事だ、また何処かに寄ろうって言いだしかねねぇ」
「いいじゃないか、歳」
「近藤さん!」
「こうしていられるのも、あと僅かさ」
「じゃ、団子屋に寄りましょうよ。井上さんに、お土産買って」
京に行けば、忙しい毎日が待っているだろう。冗談を云う事も、ゆっくり杯を傾ける事もなくなる。
歳三は、試衛館の面々から少し遅れて立ち止まり、「しようがねぇな……」と頭を掻きながらも、再び歩き出した。
翌朝――、『天然理心流試衛館』と門に掲げられた看板を歳三は見ていた。
「早いね、土方くん」
「源さんか……」
「この試衛館とは暫くお別れだね」
「いいのかい?」
「何がだい?」
「向こうへ行けば、戦場と同じだ。嫌でも人を斬らなきゃならねぇ」
井上源三郎は、歳三と同郷で、近藤より年上、『試衛館』の面々の中では温厚な性格である。
「土方くん、ここの者は一歩も引かない。やっと己の力を生かせる時と場所が出来たんだからね」
いつしか、二人の周りには『試館』の面々が旅支度を終えて立っていた。
「行くぞ!」
歳三の声で『試衛館』を背に、彼らは歩き出す。動乱の京の都へ向かって。
そして、この男も動き出そうとしていた。桂小五郎である。
「桂さん、幕府は本当に攘夷断行するんでしょうか?」
「わからん。だが、もしもの場合は我らがやる。帝のおわすこの京で、我々長州が実行するのだ」
そんな長州に対し、もう一つの藩は違った。
「こんままじゃ、長州の思うとおりじゃ」
「朝廷も向こうの勢力で占めておる。西郷さぁ(西郷さん)、どけんすっとじゃ?」
西郷吉之助(※ 後の西郷隆盛)は、黙っていた。
そして。まだその時ではないと、薩摩藩浪士たちを制した。
動乱の京の都――、歴史に名を連ねる志士たちが集う千年の都。桂小五郎ら長州藩浪士、西郷吉之助ら薩摩藩浪士、坂本龍馬ら土佐藩浪士、そして――。
文久三年の二月、将軍・徳川家茂の上洛に伴い、浪士組が後に続く。
彼らの誠の旗が翻るのは、もうすぐであった。
作品名:新選組異聞 疾風の如く 作家名:斑鳩陽菜