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新選組異聞 疾風の如く

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第二章 さらば!試衛館


    (一)
 
 だが和宮降嫁から数年――、朝廷側には幕府への不信が拡がりつつあった。
「――幕府は、真に攘夷の意志があるのでしょうな? 主上におかれては、たいそう心を痛めておられる。しかも、この都では最近は不貞浪士が乱暴狼藉をはたらいている始末。先の条約の事もある。幕府は、朝廷を何と思うてはるやろうなぁ? 会津どの」
 攘夷派と云われる公卿・三条実美は、参内した会津藩主・松平容保を前に不満を露わにした。
 孝明帝は、異人嫌いとして知られていたが、御所深く身を置いているとはいえ心は休まらない。尊王攘夷の風が、いつ自身に向くか理解らないからだ。政から離れていても帝の存在するは、幕府を倒す力を持っている。だが、孝明帝はそこまで考えてはいない。
「主上、徳川どのを上洛させ攘夷断行を迫るべきと存じます」
「口を慎まれよ! 主上に対し何たる非礼!!」
「やめよ。卿の申す事尤もじゃ」
 孝明帝のいる御簾の前で、朝臣たちが一斉に拝礼した。それから数日後、将軍・徳川家茂は決断を迫られる事になったのである。
 
 江戸――。六間堀《ろっけんぼり》の茶屋で、浪士たちによるある計画が画策されようとしていた。
「このままでは、いつ再び幕府に睨まれるか……」
「左様、倒幕の機も逃すというもの」
「まぁまぁ、各方。そう焦らずとも」
 それまで黙していた男が、ふっと笑って杯を置く。
「策がおありか? 清河どの」
 清河八郎は、大老・井伊直弼が水戸浪士に暗殺される「桜田門外の変」を契機に山岡鉄舟、松岡万、薩摩藩士・伊牟田尚平、益満休之助ら十五名と共に、倒幕・尊王攘夷の思想を強めていた。
 そして、同年十二月、益満新八・伊牟田尚平・樋渡八兵衛らが、ハリスの通訳ヒュースケンを暗殺する事件が起こる。
 裏では清河八郎が計画したのではとも考えら、徳川幕府は清河塾を監視。だが、幕府の罠にはまり、清河八郎は罵詈雑言を浴びせてきた者を斬り捨てた。清河八郎は逃亡していたが、密かに江戸に潜伏していたのである。
「その幕府を利用すればよい」
「利用――?」
「朝廷は、幕府に不信を抱いている。政に関わっておらぬとはいえ、帝には幕府を動かす力も――、倒す力もある。幕府はこれ以上、朝廷の信用と己の権威を落としたくはあるまい?」
「どうされると?」
「まずは、これを松平春嶽どのにお渡し願いたい」
 自分たちが助かる策だと、清河は山岡鉄舟に書状を渡したのである。
 それからまもなく、江戸城に、勅書が届く。
「帝は、余に上洛せよとの事だ」
 将軍・徳川家茂は、勅書に目を通した後、眉を寄せた。家茂は病床にあったが、否と返答する事は躊躇われた。御台所・和宮の異母兄である前に、帝である。拒否する事は朝敵となる。
「御上洛を? 御典医どのは、暫く養生とのこと」
「先の条約締結の件もある。しかも上洛は帝の勅命じゃ。往かねばなるまい」
 江戸城天守から、将軍・家茂は溜め息と共に曇天の昊を見上げた。

(二)

 刻々と変わる情勢の中、市ヶ谷甲羅屋敷町の試衛館では別の争いが始まっていた。
「あー、新八……っ。それ俺の目刺しだぞ!」
「目刺しぐらいで騒ぐなって、サノ」
「うるせぇ!」
 原田左之助の膳から奪った目刺しを口に入れ、永倉新八は勝ち誇ったように笑む。だが、原田左之助も負けてはいない。
「あーー! サノ、てめぇ……」
「香の物ぐらいで、騒ぐなって」
 永倉の膳から香の物を奪う事に成功した彼は、同じ台詞で応酬する。
「じつにくだらん」
「ま、試衛館《うち》らしくていいじゃないか。ところで、斉藤くん。土方くんの姿が見てないようだが?」
「食後の散歩では」
 斉藤一と、井上源三郎の会話に、飯のおかずの取り合いをしていた原田、永倉が同時に振り返り叫ぶ。
「あの、土方さんが……!?」
 それほど、珍しかったようだ。
 歳三は、試衛館近くの団子屋にいた。いつもなら、総司がくっついて来るのだが、彼はまだ朝稽古中でこれ幸いと一人で表に出たのである。
 考え事をするのは、一人静かな場所に拘る彼だが、夜中ならまだしも昼間では試衛館の中は賑やか過ぎる。しかし、ここでも彼に邪魔が入った。
「やぁ、また会ったな」
 声をかけて来たのは、広江孝介である。
「とっくに、江戸から逃げ出したかと思っていたんだが?」
「言っただろう? 私にはやりたい事があるのだと。実は京に行くことにしてね。この国の為に戦うのなら、京だと」
「あんた一人で異国相手に喧嘩しようって言うのか?」
「私だけではないよ。この国を憂う者は多くいる。一人一人の力は小さくとも、集まれば大きな力となる。――幕府を倒すような力に」
 広江の言葉に、歳三は思わず立ち上がっていた。最後の言葉だけは、聞き捨てならなかったからだ。
「広江……!」
「少し言い過ぎたようだ。だが、これだけは言おう。もはや、攘夷の火は幕府には止められない。いずれ戦になる。その時君は誰と戦う? 何の為に刀を振るう? 何の為に腕を磨く? 武士道など過去のものとなろう今になって、君は何の為に誰と戦う?」
 広江の問いに、答える事が出来なかった歳三であった。
 江戸城では、将軍上洛に異論も出た。京は、攘夷派浪士だけではなく、不貞浪士も多く危険だと言うのである。警備の面でも、足りなかった。
 そんな中、先の将軍・家慶の従弟にして越前藩主・松平春嶽が口を開いた。
「実はその事につき、打開策がある」
「これは?」
 すっと出された書簡に、幕僚の顔が一瞬曇る。
「清河八郎と言う男からの案との事。それによれば、攘夷の断行、大赦の発令、 天下の英材の教育をすべきだと。彼らに上様御上洛の警備をさせては如何か?」
 そんな江戸城の大奥――。鈴のなる音に将軍御台所・和宮が、はっと顔を上げる。鈴の音は、将軍の渡りを報せる。
「御台、久しいな」
「上様、お加減よくないとうかがいました」
「大事ない。どうだ、庭にでないか?」
「はい、上様」
 京の都から降嫁して、将軍・家茂と顔を合わすのは数少ない。慣れぬ江戸、大奥のしきたり、御所の中とは違う環境に戸惑ってばかりの和宮にとって、夫である家茂との時間は、至福の時間であった。
「実は、上洛する事になった」
「都へ――?」
「そなたに話すのは心苦しいのだが、都も大変なようだ。帝もたいそう心を痛められておられると云う」
「上様もまだ、お躯がよくございませんのに……」
「これは、予の務めなのだ。将軍としての」
「上様……」
「心配いらぬ。落ち着いたら、今度はゆっくりと話をしよう。御台」
 去って行く家茂の後ろ姿が、何故か霞んで見える。それは流れる涙の所為なのか、和宮自身でさえ理解らぬ事であった。
 将軍上洛の話は、試衛館にも伝わった。
 近藤の部屋の座敷には、中央に近藤勇、その隣に土方歳三、沖田総司、対して反対に永倉新八、原田左之助、藤堂平助が座っていた。
「将軍上洛の警護?」
「ふ、面白くなってきた」
「土方さん?」
「やっと、俺たちに風が吹いてきたぜ」
「だかなぁ、歳。公方様の警護に俺たちがついて行く訳にはいかんだろう」