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新選組異聞 疾風の如く

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 聞けばかれこれ二刻、うろうろしていたと言う。かなりの方向音痴らしく、田んぼに二度ほど落ちたと笑っている。
「……落ちた?」
 いくら暗い道でも、田んぼに落ちるような狭い道ではない。しかも、二度も。唖然としている中、男は頭をかきながら笑顔だ。
「お主の前に人に出会ったのだが、道を聞く前に悲鳴を上げて逃げられてしまってな」
 (……だろうな)
 出会ったその人間が、気の毒に思えた歳三である。
「……誰も通らなかったら、どうしてたんだ? あんた」
「野宿……、してただろうなぁ。いやぁあ、あはは」
 自分のおかれた状況がわかっているのかいないのか、泥で汚れた手で鼻をこする男に、歳三は脱力した。
 この男こそ、近藤勇である。
 近藤も、農家の出自である。前道場主・近藤周助に才を認められ、近藤家の養子となった。それからも何度か佐藤彦吾郎邸で顔を合わせるようになった二人は親交を深め、ある日近藤は「試衛館に来ねぇか?」と、歳三を試衛館に誘った。
「あんたの方向音痴は、あの頃から治ってねぇな。出稽古に行った先で、厠にいったまま戻って来ないと見に行ったら、主とのんびり茶を啜っていやがった……」
「近藤先生、お茶でも――ーと誘われてなぁ。せっかくなのだ、断るのは失礼だろう?」
 まさか、その『近藤先生』が、家の中で迷子になっているとは知らない屋敷の主は、近藤と世間話に花を咲かせていたのだ。以後、出稽古は歳三か、総司が行く事にしたのだ。
「よくもまぁ、呆れるぜ」
「お互いさまだ。お前はすぐカッとなる。喧嘩を止めるの、必死だったんだぞ」
 あの時、近藤が道に迷っていなかったら――、歳三が佐藤彦吾郎邸を訪ねていなかったら――。
 近藤を方向音痴と揶揄しながらも、歳三は彼と出会った事を後悔はしていない。共に、真の武士になろうと誓った当の本人は、運ばれてきた茶を立てて啜っている。
「今夜の用心棒は、お前と総司の番か」
「全く、このクソ忙しい時に」
「あ? 何かあるのか」
「近藤さん、実はねぇ、土方さんは――」
 丁度やって来た総司が、いたずらっぱい笑みを浮かべるのと当時に、歳三の手が伸びた。
「総司……!! 行くぞ」
 言いかける総司を引き摺るように、歳三は『試衛館』を後にした。
「もう、冗談の通じない人だなぁ。クソ忙しいなんて、例の『お籠もり』でしょう? 言いませんよ。土方さんが毎晩俳句を帳面に書いているなんて――、あれ? どうしました?」
「総司……、てめぇ……」
 ふるふると肩を震わせる歳三に、総司は空を見上げて「綺麗なお月さまですねぇ」と、明るい。
「ひっ……」
 パサッと、提灯が落ちる音に彼らの歩みは止まる。
 既に戌の亥(夜中の十時)、今宵の用心棒として付き添っていた歳三と、総司が腰の刀に手を延ばした。
「土方さん、今宵は井上さん自慢の煮魚料理食べられそうもありませんね」
 ――今夜は私の自慢の煮魚料理をご馳走するよ。
 出掛けに、井上源三郎がそう言っていたのを思い出した総司は残念がったが、それどころではない。
「後で、俺が美味いもん奢ってやる」
「約束ですよ。そうだ、万事屋で新しく売り出した汁粉が評判らしいですよ」
「お前、また出稽古の帰りに寄り道したな……」
「いいじゃないですか。この後も寄り道するんですから」
 依頼主の商人を背後に下がらせ、二人は刀を抜く。
 緊張感のないやり取りの中、黒い人影が囲っていく。
「ふん、この夜中に覆面とは余程顔を見られたくねぇようだな。しかも、一人襲うのに数人とは、卑怯者のする事だぜ」
「黙れっ!」
「総司! そっちの二人は任せた!」
「団子も、追加ですからね」
 漸く雲間から現れた月の下、二人は刀を抜いた。
「くそ……っ」
 刀が交じり合うその音は、長くは続かなかった。賊の刀が宙に舞い、鮮血が地に散る。
「あなた方の負けですよ」
「ひけ……!」
 御殿山ま辺りまで追い、賊は闇に消えた。
「往生際の悪い奴らだ」
「土方さん、ここって……」
 眼前には竹を組んだ塀があり、建築中の建造物が見える。だが、そこにはもう一人その建造物を見ていた男がいた。
「君たちは、確か――」
「広江孝介……なぜここに」
 広江孝介――、異国船が停泊していた浦賀で出会った男を、歳三たちも覚えていた。
「ここが何処か知っているかい? 幕府の御用地さ。しかも、異国の為に屋敷を建てている。そのうちこの国は異国に乗っとられる」
「何をする気だ?」
「私にはね、この国の為に、やりたい事があるのさ。天下泰平の世は終わろうとしている。幕府が動かないのであれば、誰かがやらなければならない。君には、ないのかい? やりたい事は」
 去って行く広江の背を見送りながら、歳三は拳を握りしめた。
 翌――。 
「おい、襲われたって!?」
 障子を勢いよく開け放った近藤に、歳三は眉間に皺を刻む。
「声が大きいぜ、近藤さん」
「やっぱり、攘夷派の連中か?」
「違うな」
「違う?」
「覆面してたが、あの太刀筋は真面に剣を学んだものじゃねぇ。あれが何処かの藩の人間だとは思えねぇな」
「じゃ何者だ?」
「こっちか知りたい」
「なんだよ、捕まえなかったのか? お前と総司が一緒にいて」
「逃げ込んだ場所に、入れればな」
「何処に逃げ込んだんだ?」
「御殿山、幕府の管理下にある土地だ」
「それって……、どういう事になるんだ?」
 歳三は、他の事を考えていた。
 広江孝介は、言った。この国の為に、やりたい事があるのだと。ならば、自分には?
 見上げる空の星々は、彼の問いに答えてはくれなかった。
 時が流れ安政五年――、京都御所。
「……それは、真か……?」
 御簾の奥で、孝明帝の声が震えている。
「真にございます、主上。幕府は攘夷を断行するどころか、条約を結んだとの事。朝廷を蔑ろにする、由々しき事態にございます!」
六月十一日に、ハリス米総領事と結ばれた日米修好通商条約は、孝明帝の勅許なき強引な条約締結であった。更に世論や朝廷へ働きかける運動家、幕府内部の実務官僚への弾圧、世にいう安政の大獄は攘夷派を煽る結果となる。
「風が吹いてきたようだな」
 長崎海軍伝習所から江戸の自宅に戻っていた勝海舟は、そう言って表情を曇らせる。そんな勝の前に座している浪士がいた。勝の考えに共鳴し、入門した彼は、口を開く。
「勝先生、こん国は腐っちゅう。こりゃあ、何かあるぜよ。勝先生」
「ははは、腐ってるか」
 勝は、幕府に開国すべきだと意見書を出した事がある。近代的な海軍を作り、軍艦を建造し、西洋式の銃を作るための資金を異国との貿易で得るべきだと。
 だが、幕府は未だそれに至っていない。このままでは益々、西洋に取り残されて行くと言うのに。
「変わらんといかんぜよ、こん国は。でないと、大変な事になるがよ」
「怖い事をいいやがるなァ、おめぇは。だが、おめぇの云う通りだ。幕府の連中は何もわかっちゃいねぇ。そう言やぁ最近、攘夷派の者が辻斬りをしているそうじゃねぇか」
「勝先生、わしやぁ学がないき難しい事は理解らんぜよ。そげなわしでも、こん国は変わらんと思うがよ。じゃが、今回の事は違う。彼らは殺して財布を奪う事までせんちゃ」