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新選組異聞 疾風の如く

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「随分、彼らに肩入れするじゃねぇか? 龍馬。となるとこの喧嘩、長引くぜ。何も起こらなきゃいいんだが」
 龍馬――、後に維新を成す二藩を結びつける男の意見に、勝も同じ考えだった。
 そんな想いを抱いて、夫々が同じ空を見上げていた。

            (三)

 翌年――春も近いと云うのに、江戸に雪が舞う。
 雪は瞬く間に地を隠し、この武家屋敷も雪に染った。
「殿、登城の時刻にございます」
 空を仰いでいた男は家臣に促され籠に乗る。将軍継嗣問題と日米修好通商条約調印問題をめぐり多忙に多忙であったが、今やその権威は揺るがないものとなった。
 将軍継嗣問題は、時の将軍・家定が病身の為に政が行えなくなってきた事に始まる。世継ぎがいなかった事もあり、これを憂慮した島津斉彬・松平慶永・徳川斉昭ら有力な大名は、大事に対応できる将軍を擁立すべきであると考えて斉昭の実子である一橋慶喜擁立に動く。これに対して保守的な譜代大名は、家定に血筋が近い従弟の紀伊藩主徳川慶福(後の徳川家茂)を擁立しようとした。だが安政五年、家定が重態となると、譜代大名は彦根藩主井伊直弼を大老に据えて、六月に家定の名で後継者を徳川慶福とすることが発表された
 残る問題は、日米修好通商条約の帝の勅許だけである。
「もうすぐ江戸城桜田門か……」
 心地よい揺れに、井伊直弼は籠の小窓から外を見る。そこには、目指す江戸城があった。
「と、殿……! ぐぁ……っ!!」
「何事だ!?」
 だが、帰ってきた声は見知らぬ者の声であった。
「――大老、井伊直弼どの。お命頂戴致す!」
 何が起こったのか――、深々と体を貫く刀身に彼は理解できないまま、地に崩れた。世にいう、桜田門外の変である。
 はらはら舞う雪が、一瞬にして赤く染まった夜であった。
  翌、――試衛館。
「歳! 大変だ!!」
 近藤の声に、最初に反応したのは総司だった。
「何事でしょう? 土方さん」
 井戸端で、顔を洗っていた歳三と総司もまだ知らなかった。雪の桜田門で、昨夜何が起きたのか。
「さぁな。近藤さんの『大変だ』は、今に始まった事じゃねぇからな」
「歳……」
「だから何だよ、青い顔して」
「井伊大老が……暗殺された」
 史実によれば、桜田門外の変についてこうある。
 ――度重なる弾圧に憤慨した水戸藩の激派や薩摩藩の浪士は、密かに暗殺計画を練り、一八六〇年三月二十四日(安政七年三月三日)、江戸城登城途中の大老、井伊直弼を桜田門外にて襲撃して暗殺を決行した――、と。
 よりにもよって、幕府の重職である大老が襲撃されると云うこの事態に、幕府の権威は失墜した。
「まさか、大老が暗殺されるとは、な」
「だからって、今の俺たちに何ができる?」
「そりゃあ、そうだが」

 江戸城内では、朝廷の力を借りるべきだと論議されていた。いわゆる、公武合体政策である。公武合体とは、大老・井伊直弼の暗殺によって失墜した幕府の権威を取り戻すべく、が朝廷(公)の伝統的権威と、幕府及び諸藩(武)を結びつけて幕藩体制の再編強化をはかろうとした政策論、政治運動である。
 かくして万延二年――、中山道を輿入れの為の行列が通った。総勢三万人に及ぶ大行列である。本来、行列は東海道を通る予定であったが、河留めによる日程の遅延や過激派による妨害の恐れがあるとして中山道が取られた。
「宮さま、お疲れではあらしゃられませんか?」
 同行人の呼びかけに、籠からの返事はない。
 当然である。この婚姻に『彼女』−−、和宮は最初から納得した訳ではない。和宮は、孝明帝の異母妹にあたる。既に有栖川宮熾仁親王との婚約もあり、幕府からの降嫁要請に異母兄・孝明帝も承諾はしなかった。
 孝明帝は、侍従・岩倉具視に意見を求めた。
「おそれながら、主上《おかみ》に申し上げます。幕府に通商条約の引き戻し(破約攘夷)を確約させ、幕府がこれを承知したら、御国の為と和宮を説得し、納得させた上で降嫁を勅許するべきかと」
「あい、わかった。朕は、幕府が攘夷を実行し鎖国の体制に戻すならば、和宮の降嫁を認めよう」
 幕府は、これに答えてきたが、和宮は宮中へ上がり、縁組みを固く辞退した。既に幕府に攘夷を約させた上で降嫁が成らなければ、朝廷の信義が疑われると苦慮した孝明帝は、決意した。
「和宮があくまで辞退するなら、前年に生まれた皇女・寿万宮を代わりに降嫁させる。幕府がこれを承知しなければ、朕は責任をとって譲位し、和宮も林丘寺に入れて尼とする」と。
 帝の譲位の決意、親族への圧力を示唆された和宮はここに降嫁を承諾するに至る。
 行列は、そんな和宮の輿入れ行列であった。
だが、時勢は激変し、燃え始めた攘夷のは、更に燃え広がる事になる。
 
 文久二年十二月十二日、 品川宿の旅龍屋『相模屋』に、数十人の浪士が集まっていた。高杉晋作や久坂玄瑞ら、長州藩士たちである。
「高杉さん」
「どうだ? 御殿山は」
「警備は厳重です」
「いいんですか? 桂さんは動くなと」
「異人の言いなりの幕府など、あてにはできん! このままでは、この国は異国に支配される」 
 高杉晋作はこの年の五月、長州藩十四代藩主主・毛利定広の命で、上海に渡航の経験がある。たが、上海は清国がアヘン戦争に負けた影響で異国の植民地のような状態であった。このままでは、日本もいずれ上海のようになる! 高杉は、その決意に迷いはなかった。
「やるのは、今夜だ」
 後に奇兵隊を組織する事になる高杉晋作の決断に、一同は動いた。場所は――、御殿山・英国公使館。
「やれ」
 その言葉を合図に、火が放たれる。建設途上の英国公使館は、轟音を上げて燃え上がった。 
 そしてこの夜も、歳三と総司は連れ立って江戸の町を歩いていた。
「土方さん……! 御殿山が」
 総司の悲痛な声に、歳三は視線を運んだ。空を紅く染めているものに、自然と体が動いた。
「総司、行くぞ!」
 御殿山――、建築途上の英国公使館は炎に包まれていた。俗に言う、英国公使館焼き討ち事件である。
「土方さん、火が……!」
 そんな二人の前に男が立っていた。顔が炎で照らされ、その顔を歳三は鋭く睨みつけた。
「なるほどな。道理で虫が好かねぇ野郎だと思ってたが、またあんたか? 広江孝介」
「君とは、よほど縁があるらしい」
「あんたがやらせた事か、これは」
「違うと言っても、信じてはくれんだろう?」
「こんなやり方で、本当にこの国が守れると思っているのか!? あんたは」
「土方くん、この国は変わらないといけない。泰平の世に甘んじている時代は終わったのだ。米国《メリケン》、英国《エゲレス》に続き、今に他の国も海を渡ってやって来る。それなのに、この国は動こうとしない。自分の国が冒されようとしているのに、護ろうとしない」
「異国相手に戦をしようって云うのか……」
「それもやむ得ない」
「やっぱり、あんたとは合いそうもねぇな」
「いつか、理解る時が来る。我々の志が」
 炎の中、崩れ去る英国公使館を背に、広江孝介は微笑んだ。
 
「……土方さん」
 瓦礫の山と化した御殿山・英国公使館の前で無言で立ち尽くす歳三に、総司が声をかけるが返事はない。