新選組異聞 疾風の如く
「近藤さん、ウチの連中に通じると思うか? ま、膳に乗る飯の数が減ると云えば、少しは真面になるかも知れないぜ。そっちの方が効き目ある」
「それは脅しですよ、土方さん」
「ふん、構やしねぇ。うちはうち流さ」
この言葉を信じたのか、食客としている永倉新八、原田左之助、藤堂平助が揃って青い顔をして立っていた。今にも、泣きそうな顔で。
これより数日後の嘉永七年三月三日、日米和親条約が締結。幕府の鎖国政策は終わりを告げたのである。
――江戸城、渡り廊下。
「――奴らを一掃する手があると?」
時の老中・阿部正弘は、すれ違った男から尊皇攘夷派を叫ぶ彼らをどうすべきか、打開策を告げられた。開国後の更なる騒動をこれ以上大きくしたくない老中・阿部正弘に、彼は更に囁いた。
「某にお任せを。この件が片付けば、上様のお褒めに預かり、異国との交渉に差し支えなくなりましょう」と。
(二)
――江戸の町には、辻斬りが出る。
数日前から、江戸の町にそんな噂が囁かれ始めた。開国に異をと唱える攘夷派による者だといわれ、この日も犠牲者が出たようだった。隅田川に架かる永代橋には人集りができ、奉行所の役人が死体を検分している。
「全く惨い事を……」
商家の角で様子を窺っていた男は、口を開いた。
「誰がこんな事を……っ、桂さん!」
「静かにしないか。久坂」
「しかし、このまま黙っていては、いずれ長州にまで……」
「まだ、動くな」
「わかりました……」
仲間らしき男が去って、桂と呼ばれた男は空を仰ぐ。
(この国は、いずれ異国の意のままになる。それが、幕府は何故理解らない?)
鎖国から開国に方向転換した幕府に対し、武力を以て夷狄を祓うべしという攘夷の火は収まらず、後に倒幕の火となって徳川三百年の歴史に終止符を打つ。
季節は夏――、茹だるような暑さの中、江戸甲良屋敷の『試衛館』稽古場からは、今日も竹刀のぶつかり合う音が聞こえてくる。
「ま、待ったぁ!」
「またですか? これが実戦だったら死んでますよ。さぁ、もう一本!」
倒れて尻もちをつく門弟に、塾頭・沖田総司容赦く竹刀を向ける。
「助けてください! 近藤先生ーーー!!」
「どうする? 歳」
助けを求められた道場主・近藤勇は、笑いを噛み殺している。
「構わねぇ。続けろ」
「だ、そうですよ?」
「そ、そんな土方さん……っ。ひぃーーー!!」
『試衛館』の中は、いつもと変わらない日常が続いていた。足早に遠すぎたこの数年で、世は更に激変した。幕府は下田、箱館を開港後、横浜、長崎を開港した。それと同時に攘夷の声は高まり、何が起きてもおかしくない状況にあった。
「――また一人斬られたそうだ」
稽古場を出て、廊下を歩きながら近藤が溜め息混じりに嘆く。天誅と称した殺しが、この数日で数件起きていたからだ。
「殺ったのは、攘夷派の連中か?」
「奉行所の役人はそう片付けるようだ。殺された男は公使館に出入りしていたって話だが、殺された者は異人でも幕府の人間じゃねぇ」
「――商人か……」
「あんだけ怖がっていた奴に、コロッと態度を変えて商売しようってんだ。そこまでして儲けたいかねぇ」
――だからって殺すか? と続けて、近藤の顔からは笑みは消えていた。反攘夷派が襲われるのはともかく、一般民衆が襲われる。これでは、攘夷の名を借りた殺しだと、歳三は握る拳に力を込めた。それ故か、辻斬りを恐れた商人から、『試衛館』に用心棒の依頼が来る。
「公使館絡みとなると、奉行所も手がだせねぇ」
「まさかその依頼、引き受けたんじゃねぇだろうな? 近藤さん」
「……うちは、門弟も増えたし、……その……、いろいろ……、だな……」
「聞いた俺が馬鹿だったよ……」
頼まれて嫌と言えぬ近藤の性格に、歳三は軽く嘆息して空を仰ぐ。
時代は、加速を始めている。このままでいいのかと己を問う声に、今も答えは出ていない。嘗て武士の魂と云われた刀は泰平の世では使われる機会が減り、武士は戦う事はなくなった。身を守る術と言っても、そう命を危険に晒される事もない。武士でも藩や大名家に仕官できる者はいいが、武家の出自出ないものは、それも出来ない。浪人となりその日の食事でさえ困る者もいる。問題は、刀が金を得る為に人を殺す道具になっている事だ。
だが、それでも武士になりたいと願った者がいた。農家の出自であるにも関わらず、忠義を尽くす真の武士になろうと。
「お、こんな所に蒲公英が咲いてやがるぜ。歳」
中庭の隅に咲く一輪の蒲公英を見つけ、近藤は喜ぶ。
「蒲公英など、珍しかねぇだろ。うちの近くの土手によく生えてたぜ」
「お前と出会ったのは、あそこだったよなぁ」
近藤の脳裏には、懐かしい風景が広がっていた。
※※※
武州多摩日野宿石田村(現在の東京都日野市石田)は、歳三の故郷である。農家の土方家十人兄弟の末っ子に生まれた彼の夢は、武士になる事だ。土方家には、歳三が少年の頃に、「壮年武人と成りて、天下に名を上げん」と言って植えたという「矢竹」今もあるという。
だが、土方家の人々は誰も本気にはしなかった。農家の出の者が、武士になれる訳がないと笑った。それでも家伝薬『石田散薬』を売り歩きながら武士になる道を模索していた彼に、それならと剣術に誘った男がいた。義兄、佐藤彦吾郎である。
佐藤彦吾郎は、日野宿の名主である。歳三の姉で従妹にあたるのぶと結婚。日野宿を焼く大火の際に武芸の必要性を感じ、天然理心流三代目宗家・近藤周助の門人となった。自邸東側の一角に日野宿では初となる出稽古用の道場を設けている。
「遅せぇな。いつまで待たせるんだ? 近藤って奴は」
その日、江戸から義兄弟の契りを結んだと言う男が、出稽古の為、彦五郎邸に訪ねてくると言う。だが、時間になってもやってくる気配はない。
「おめぇは、気が短くていけねぇ」
彦吾郎邸に隣接した道場で、苛立つ歳三を前に彦吾郎は、ふっと笑う。
「あんたが、のんびり過ぎるんだ」
「ま、いっぺん立ち合ってみろや。出稽古にわざわざ来てくれるんだ。『試衛館』道場の若先生だぞ、歳三」
彦吾郎は、小野路村組合の寄場名主・小島鹿之助が近藤と義兄弟の杯を交わしたことに影響され、同じく近藤と義兄弟の杯を交わしている。
「若先生だか何だか知らないが、こっちも忙しいんでな。姉貴に、よろしくと言っておいてくれ」
石田散薬の薬箱を背負い、歳三は帰路につく。佐藤彦五郎邸から石田村までの浅川の土手、周りは田畑が広がり、茅葺きの郷からは囲炉裏の煙が上がっている。家に向かう道は、暗くなってしまえば提灯なしでは真っ暗になる。既に薄暗くなり始めている土手道で、歳三は途方に暮れている男と出会った。
「おお、いい所に」
がっしりとした体躯の男が、笑顔で声をかけてくる。羽織袴を着ていたが、泥まみれであった。
「はぁ?」
「実は道に迷ってな。誰か通らないか待っていたのだ。いゃあ、参った参った!」
作品名:新選組異聞 疾風の如く 作家名:斑鳩陽菜