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新選組異聞 疾風の如く

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第一章 炎上!!英国公使館


 (一)

 時は幕末−――、浦賀沖。天下泰平三百年の世に激震が走る。開国を迫るペリー提督率いる米国艦隊九隻が、再び来航したのである。
「上様! 一大事にございます!! メリケンの船が……!」
「戻ったのでは、ないのか……?」
 報せを聞いた第十二代将軍・徳川家慶をはじめ幕臣たちは、一様に蒼白になった。
「おそれながら、申し上げます。軍艦九隻にて、再び浦賀沖に停泊とのこと。上様、あちらは本気でございます。開国要求に応じねば戦も致し方ないと――」
  勝てる……と思うか?」
 将軍の問いに、老中をはじめ答えられた者はいなかった。
 その浦賀、野次馬が遥か沖を見ている中で、岩場から沖を窺う二つの影があった。
「あー、いたいた。ほらいましたよ! 土方さん」
「そんな大きな声を出すんじゃねぇ。まったく、だからお前と一緒に来るのは嫌なんだ。出稽古に行くんじゃなかったのか? 総司。まさかと思うが、異国船見たさに俺を引っ張り出したんじゃねぇだろうな?」
 総髪に結った黒髪を靡かせ、男が如何にも面倒さそうに眉を寄せる。
「出稽古の話は嘘じゃありませんよ。散歩に出た帰りに、試衛館の方に是非ってお願いされちゃいまして」
「総司……、お前また何処かに寄ったな」
「散歩をしていると、甘いものが欲しくなりません?」
「ならねぇ! 第一、浦賀だとは俺は聞いてねぇぞ!」
「出稽古って言わないと、豊玉先生の重い腰、上がりませんからね。部屋で句札を睨んでいても、あまりいい句は思い浮かばないと思いますけど?」
 豊玉という名前に、男のこめかみがピクりと動く。
「……っ、なぜ俺が俳句をやっていると知ってやがる……?」
 したり顔の青年、総司は睨まれたぐらいではめげない。試衛館道場師範代・土方歳三は、俳句をやっている――、これは現存する『豊玉句集』が物語る。豊玉とは、俳句をやる上での歳三の名前だ。だが、彼の唯一の楽しみは誰も知らない。特に、知られたくない相手がいる。沖田総司である。この青年、笑顔で堂々と人の地雷を踏む。
「手のひらを硯にやせん春の山」
「総司……!」
「別に覗こうと思ったら訳じゃありませんよ。声をかけても返事しないので、覗いたら……」
(そこから先は言うんじゃねぇ……総司)
 肩を震わせ笑い声を殺している総司に、歳三は一発殴りたい心境になった。
「だ、大丈夫ですって。……他のみんなには言いませんから……、そ、それにしても……、ぷっ。あはは」
(この野郎……)
「近藤先生にも、秘密にしておきます」
「当たり前だ! そんな事をしてみろ。即刻、実家《うち》の畑に埋めてやる。いい肥やしになるだろうよ!」
「肥やしにされないよう、努力します」
 にっこり笑う総司に、歳三は思う。
(この笑顔が、一番怪しいんだ)
 そう思うのは、総司の最終目的がこの後のお楽しみにある事だ。
「それより早く帰らねぇと、近藤さんに何云われるか。嫌味を聞かされる俺の身にもなってみろ」
「やだなぁ、異国船なんて滅多に見れないじゃないですか? それに、今から急いでも試衛館道場に着くのは夜中ですよ。土方さん」
 危険を察知して言ってみたものの、「それから」と続けた総司の言葉に、案の定だと、舌打ちをした。だが、視界に入った一人の男の姿に、身についた警戒心が即座に反応した。
「やぁ、君たちも異国船見物かい?」
 柔らな口調ではあったが、男には一切の隙はない。
「あんたは?」
「広江孝介という君たちと同じ浪士だよ。だが、そろそろ引き上げた方がいい。幕府の役人に見つかれば一大事だ。密航するのではないかと疑われては適わない。ま、奉行所も今回はそれどころじゃないみたいだが」
 じゃなと去って行く広江に対し、歳三の警戒心は解けない。
「胡散臭い野郎だ」
「土方さん、あの人なかなかの腕ですよ」
「……だろうな。ただの浪人じゃねぇな」
 広江孝介――、この男が誰か、彼らがその正体を知るのはかなり後の事である。
 その広江に駆け寄って来た者がいる。
「先生」
「ここで、先生はやめろ。で、藩内はどうだ?」
「上は、幕府は開国するだろうと言う声が大半だそうです。高杉さんたちは、即攘夷を決行すべきだと……。どうかしましたか?」
 背後を振り返った広江のその視線の先には、波に洗われる岩場がある。広江が出会った二人の人間は、もうそこにはいない。
「君は、千葉道場の門弟だったな」
「かなり前の事ですが?」
 千葉道場は、江戸三大道場の一つで流派は北辰一刀流である。
「試衛館という道場を聞いた事は?」
 広江が偶然にも耳にした道場名だが、彼に問いかけられた青年は眉を寄せた。
「いいえ……、それが何か?」
「いや……」
 この時、何が心に引っかかったのか、広江自身わからなかった。
 
※※※

 歳三と総司がいる剣術道場『試衛館』は、天然理心流三代目近藤周助が創設した道場であり、江戸は市ヶ谷甲良屋敷町にある。
「この間は、随分遠い所まで出稽古に行ったそうじゃないか、歳。総司の奴が嬉しそうに話してくれたぜ」
 稽古場は、門弟たちが竹刀を打ち合う音が響いている。濃紺の稽古着を着た現在の道場主・近藤勇は一段高い場に座し、稽古を終えた歳三をそう言って出迎える。
「俺は、あいつに付き合っただけだ。とうぶん、甘いものは見たくねぇな」
 結局その後、総司と浦賀名物だと言う饅頭屋へ寄ったのだ。甘党の総司はよく寄り道をする。歳三をも凌ぐ剣の腕をもつが、寄り道と悪戯の犠牲にされるのは、歳三だ。あの後も何度、『豊玉句集』を覗かれた事か。
「また、引っかかったのか? 歳をひっかけるとは、総司の奴は策略家の才もあるようだな」
「感心してどうする。俺より、あんたが心配だ。近藤さんはあいつの笑顔に弱いからな。相手が総司ならそれも構わないが、他の奴には気をつけろよ。近づいてくる人間は、善人ばかりじゃねぇ」
 近藤勇には、人を集める人望がある。それは、歳三も認めるところだが、近藤はお人好しでもあった。来る者拒まず――、悪く転べば『招かざる者』まで引き寄せる。歳三は、それを危惧していた。
「まったく、江戸も物騒になりやがった。盗賊だ、辻斬りだというのは昔からあったが、今じゃ異人が闊歩する世になった」
「近藤さんが、攘夷論者だったとは知らなかったよ」
「上が決めた事に逆らう気はないが、その攘夷派が騒いでいるらしい。戦でもおっ始めるんじゃねぇかと、な。勝てると思うか? 歳。異国と戦になったら」
「さぁな。アイツらをどうするかは上が決める事だ。わかっているのは一つ――、俺達もそろそろ腰を上げねぇといけないって事さ。近藤さん」
「と、言ってもよぉ。何するよ?」
「あー、お二人で何を話してるんです? 私も仲間に入れてくださいよ」
 一稽古終えた試衛館塾頭の沖田総司が、汗を拭いながら話に加わる。
「長くなるぜ、近藤さんの説教は」
「お説教されていたんですか? 何しでかしたんです? 鴨居を壊したとか」
「あれは、お前だろう! 総司」
「おい……、頼むからそれ以上壊さんでくれよ。修理代だけでも馬鹿にならん」