龍の巫女 後編
ミコトはため息をついて、風呂の縁に寄りかかった。
夕餉に振る舞われた料理は豪勢なものだった。女将がひとつひとつ説明を加えながら並べていく。ミコトは探るように女将を見ながら、
「ここの料理人は、たいそう腕がいいようだ」
「ええ、ええ、それはもう。ヤスケと言いまして、若いけれど腕は確かなんですよ」
「妻と二人で?」
「いいえ。ヤスケは独り者ですから。早く身を固めてくれたらこちらも安心なんですけどねえ」
「一度も? 先立たれたとかではなく?」
「ええ、そういったことは」
「ミコト様、あまりそのようなことは」
アマネが口を挟んでくるが、女将は何か思い出そうとするように視線をさまよわせ、
「ああ、そうそう・・・・・・なんでしたか、遠戚だか恩人だかの娘さんが亡くなって、形ばかりの結婚式をあげたとか。その時、花婿役を務めたことがあると言っていたことがありますねえ。たいそうお綺麗な方だったようで、親御さんも不憫にお思いだったのでしょう」
女将は痛ましそうに首を振る。
「なんだか変わった振る舞いにも思えますけど、親心なんでしょうねえ。お気の毒なことですよ」
「そうか・・・・・・まあ、立ち入ったことを聞いてしまってすまないな」
「いえ、こちらこそ、おしゃべりばかりしてしまって」
慌てて料理を並べる女将と、いぶかしげな視線を向けてくるアマネから視線を逸らして、ミコトはユリとヤスケの姿を思い浮かべていた。
冥婚・・・・・・か。
しばらく経って下げられてきた皿はどれも綺麗に平らげられていて、ヤスケは内心得意げになった。
あの生意気な娘も、旨い料理は分かるようだ。今頃、俺の腕前に感心していることだろう。
「ヤスケ」
背後から聞き慣れない声がして、ヤスケは飛び上がる。そこには先ほどの生意気な娘がいた。
「あっ、いや、お客様! こちらに立ち入られては」
「ユリ、という女に心当たりは?」
「へ?」
いきなり聞かれて、ヤスケは間の抜けた声を上げる。
「いえ・・・・・・全く。あ、後から来られるんで?」
「いいや。知らないのならいい」
相手は懐から守り袋を取り出すと、台の上に置いた。
「お前にこれを。料理の礼だ」
そう言って、ヤスケが呼び止めるよりも早く、身を翻して出て行ってしまう。
「なっ・・・・・・なんなんだ、いったい」
置いて行かれたのは朱色の守り袋。見るからに上質な布で出来たそれを、ヤスケはしげしげと眺めた後、つまんで懐に入れた。
まあ・・・・・・礼を言われるのは、悪い気がしない。
変わった客だと頭を振って、ヤスケは皿を水桶に入れた。
「ちょっと!」
呼び止められ、ミコトは足を止める。振り向けば、ユリが怖い顔で近づいてきた。
「なんだ、美人が台無しだな」
「何故あんな物を渡したの!? 私がヤスケさんの側にいられないじゃない!」
「おや、そうか。それは悪いことをしたな」
「今すぐ、あれをどこかにやって!!」
ユリに睨まれて、ミコトはため息をついた。
「あなたがそのつもりなら、私も彼に」
「アマネに? それは無理だな。私が先手を打ってないとでも?」
ミコトは首を振って、
「ヤスケはお前を知らない。お前が見えていない。これ以上つきまとうな」
「そんなはずない! 私を覚えているはずよ! 私はヤスケさんの妻なのだから!」
ミコトはじっとユリの目を見つめると、
「これ以上つきまとうな」
と繰り返した。
「ヤスケ、あんたなにか・・・・・・もらったかい? あのお客さんから」
背後からの言葉に、ヤスケは洗い物の手を止める。振り向くと戸口に女将が立っていた。
「ええっと・・・・・・ああ、そうそう。あの、な・・・・・・お嬢さんから、料理の礼だと言って」
懐から朱色の守り袋を取り出すと、見えるように持ち上げる。女将はあからさまに顔をしかめて、
「なんだい・・・・・・気味が悪いねえ。こういうのはちゃんとしたところで頂くものだよ。なんか悪いもんでも憑いてんじゃないのかい?」
「まさか。子どものお遊びですよ」
「嫌だねえ・・・・・・そんなもの渡して・・・・・・さっさと捨てちまいな」
「え? いや、あの、はあ・・・・・・」
女将の様子に、ヤスケも得体の知れない気味悪さを感じ始めた。身じろぎして守り袋を流しに置く。
「まあ、そうですね・・・・・・こういうのは、遊びに使うもんじゃないですね」
「そうだよ。海にでも捨ててきな。全く、妙な客だよ」
女将は不快そうに言い捨てて立ち去った。ヤスケは守り袋を摘むと、屑籠に投げ入れようかと視線をやる。
・・・・・・変に捨てて、祟られても嫌だな。
それに、あの生意気な娘がわざわざ「礼だ」と言って渡してきたのだ。その気持ちを無碍にするのも忍びない。
・・・・・・だいたい、子どものすることに目くじらたてなくても。
女将は変な客だと言ったが、訳ありの客など今までいくらでもいた。いちいち気にするなど、女将らしくもない。
何か嫌なことでもあったのかね。港の連中にでも絡まれたか。
若い娘に嫉妬してるとか・・・・・・まさかな。いくらなんでも。
ははっと笑いを漏らして、ヤスケは守り袋を懐に入れる。明日になれば女将も落ち着いているだろう。
鼻歌を口ずさみながら、ヤスケは洗い物を再開した。