龍の巫女 後編
港町に着き、早速タイチの知り合いを訪ねた。
手紙を渡すと、相手はちょうど近くまで行く用事があるからと、舟を出しすことを了承してくれる。
「帰りはどうすんだい? 島の知り合いに話を通しておこうか?」
「ありがとうございます。そうして頂けると助かります」
アマネが頭を下げると、相手はお互い様だと笑った。
「タイチが世話になったんなら、俺も協力しないとな」
すぐに出発するというので、アマネとミコトもついて行った。
目的の島で降ろしてもらった二人は、相手に礼を言って別れる。もう日が傾きかけているので、御神体を探しに行くのは明日にしようと、宿を探すことにした。
「ミコト様、お疲れでしょうがもうしばらく辛抱してください」
「大丈夫だよ、これくらい」
アマネが伸ばしてくる手を、ミコトは苛立たしげに払った。
いつもの癇癪だとでも思ったのか、アマネはそれ以上なにも言わない。八つ当たりしたことを申し訳なく思う気持ちは、すぐ陰鬱な気に塗り込められる。
嫌な気が漂っている・・・・・・タイチの村以上に。良くない兆しだ・・・・・・。
ミコトは苛々と首を振って、人影の少ない通りに目をやった。
「ここがいい」
ミコトがそう言ったのは、村はずれまで来たときのこと。いささかくたびれた外観のこぢんまりとした宿屋の前だった。
「こちらで?」
「そう言っている。今は旅行客も少ないようだから、部屋はあるだろう」
突き放したようなミコトの物言いに、アマネは内心首を傾げる。どうも島に着いた時から様子がおかしいが、疲れが出たのだろうか。言ってくれればこちらも対処出来るのに、ミコトの秘密主義にも困ったものだ。
問うたところで頑なになるのは目に見えていたので、アマネはそれ以上聞かずに宿の玄関を開ける。こちらから声をかける前に愛想の良い声が響いた。
「まあまあ、ようこそいらっしゃいました」
女将らしき年輩の女が出てきて、二人を迎える。アマネは数日滞在したいのだが、部屋はあるだろうかと聞くと、女将はちょうど良いところにと言わんばかりに頷いた。
「どうぞどうぞ、今日は他のお客様もおりませんので、一番広いお部屋をご用意させていただきますよ」
この時期は観光に訪れる者もなく静かなのだと、女将が続ける。
「うちはこのとおり狭いですが、料理と温泉は自慢なんです。さあ、どうぞこちらに。きっと気に入って頂けますよ。あんた! お客様にご挨拶して!」
女将に促され、奥からのっそりと年輩の男が出てきた。
「ああ、これはこれは。ようこそいらっしゃいました」
「主人ですの。何かお困りのことがあれば、遠慮なく申しつけてください。さあ、お部屋はこちらですよ」
女将に案内され、客室へと通される。
入り口の障子はいささかがたついているが、畳の部屋は掃除が行き届いており、十分な広さがあった。
「お夕飯の準備に取りかかりますので、先に体を流されてはいかがでしょう? 小さいですが、露天もあるんですよ」
「ありがとうございます。そうさせていただきます。あと、こちらはお心遣いのお礼に」
アマネが女将へ多めに握らせると、相手の顔が輝く。身なりからして上客だと判断したのだろう。なんにせよ、余計な詮索をしてこなくなればそれでいい。
女将が下がり、アマネは荷を置くと、ミコトに湯殿で体を流してきてはと声をかけた。
「ん? ああ・・・・・・そうだな。うん、まあ・・・・・・そうだな」
「ミコト様?」
妙に歯切れの悪い物言いをいぶかしがっていたら、ミコトが近づいてきて手を伸ばし、アマネの頬に触れた。
「ミ、ミコト様・・・・・・?」
ミコトから触れてくることなど、今まで一度もなかった。手のひらの温かさと滑らかな感触。戸惑いと羞恥で混乱するアマネの顔を、ミコトはじっとのぞき込んでくる。
「・・・・・・私とて、運で巫女に選ばれたわけではないぞ」
「ミコト様?」
ミコトはすっと手を引っ込めると、
「風呂にいってくる。私の荷も解いておいてくれ」
そう言って、さっさと部屋を出ていった。
厨房では、料理人のヤスケが忙しく立ち働いていた。
久しぶりの泊まり客、それも上客なのだと聞いては、張り切らないわけにはいかない。身よりのないヤスケを拾い、宿の厨房を任せてくれる恩人夫婦の為にも。三十路半ばのヤスケだが、料理人としての経験は浅い。それでも、自分を信じてくれた二人の顔を潰すようなことは絶対に出来ない。
客は、年若い男と少女という珍妙な組み合わせだ。夫婦には見えないし、兄妹にしては態度がおかしい。だが、訳ありの客など飽きるほど見てきたし、今更詮索するようなことでもない。それに、向こうは数日分の宿代を前払いしてくれたというのだから、それで十分だ。
ヤスケが手際よく野菜を切り分けていると、不意に視線を感じた。いぶかしげに振り向くと、客の少女がじっとこちらを見ている。
「お客さん・・・・・・ここに立ち入られては困ります」
「お前、名は?」
無遠慮な物言いに腹が立ったが、おとなしく「ヤスケと言います」と答えた。
「ここの料理を任さ」
「お前ではないよ」
そういうと、少女はふいっと立ち去ってしまう。ヤスケはあっけに取られた後、全く躾のなってないガキだとぶつぶつ呟いた。まあ、それでも、客は客だ。腕によりをかけた料理を振る舞ってやれば、少しはこちらを見直すだろう。
少し熱めの湯に、ミコトは体を沈める。ふーっと息を吐き、浴場の端へと目をやった。正確には、そこに立っている若い女を。
厨房にいたヤスケに寄り添っていた女。ユリと名乗った女。ミコト以外、誰も気にとめる様子のない女・・・・・・。
「幽霊の出る宿として、宣伝してみたらどうだ? 少しは客も増えるだろう」
ユリは笑みを浮かべてミコトに近づく。足音もせず、足元が濡れることもない。
「あなたのお連れ、アマネさんと言うの? 素敵な方ね」
「ヤスケよりもか?」
「あら、ヤスケさんは特別。私の夫ですもの。でも、そうね、アマネさんも負けず劣らず素敵よ」
「気に入ったのか?」
ミコトの問いかけに、ユリはくすくすと笑った。
「怒らせちゃったかしら? でも、あなたの夫というようには見えなかったけど?」
「夫どころか、恋人ですらないな」
「でも、あなたのことしか目に入らないみたいね?」
ユリはくすくす笑いながら、湯船に入ってくる。幽霊は着物が濡れないから便利だなと、ミコトはぼんやり考えた。
「ふふ・・・・・・手を出したら、怒る?」
「出せないさ。お前にはな」
ミコトがさっと手を伸ばし、ユリの喉元に指をかける。ユリは驚愕の表情でミコトの手を払おうとするが、するりとすり抜けてしまった。
「・・・・・・!?」
「はは、驚いたか? 加護は失ったが、巫女でなくなったわけではないぞ」
ミコトはにやーっと笑い、怯えるユリに顔を近づける。
「からかう相手を間違えたな。私はいつでもお前を消せる。忘れるなよ?」
「・・・・・・!」
涙目で頷くユリに、ミコトは「余計な手出しをするな」と念を押し、手を離した。自由になったユリは、慌てて浴室を出ていく。
「はあ・・・・・・全く。どいつもこいつも」