龍の巫女 前篇
人々のざわめきの間から、祭囃子が聞こえてくる。
タイチは、はぐれないようミコトの手を握り、屋台の並びに目をやった。後ろにいるアマネとサエが気になったが、ミコトは我関せずといった様子であちこちに視線を向けている。
「タイチ、あの店を見たい」
「ん? ああ、構わないよ」
木彫りの動物やらどんぐりを組み合わせた人形が並ぶ中、ミコトは握りこぶしほどの黒い石を手に取った。不格好だが艶のある表面をためつすがめつ眺めて、「これがいい」と言う。
「そんなもの、河原にいくらでも落ちてるだろ?」
「これが気に入ったんだ」
ミコトは頑固に言い張ると、懐から小銭を取り出して店主に渡した。
タイチは肩をすくめてサエたちのほうを振り向こうとしたが、ミコトに手を引っ張られる。
「今度はあの店が見たい」
「うわ、分かったよ。分かったからゆっくり行こう。この人混みだ、はぐれたら」
「大丈夫だよ、子どもじゃないんだ」
ぐいぐい引っ張られ、タイチは分かった分かったと繰り返しながらミコトについていった。
「ミコト様?」
アマネは周囲を見回し、名を呼んだ。先ほどまで屋台を見ていたはずのミコトがいない。人々の波から姿を探そうにも、小さな体は簡単に紛れてしまうだろう。タイチがともにいるから迷子になることはないだろうが、やはり探しに行かなければときびすを返した瞬間、腕を取られた。
振り向けば、どこか思い詰めた顔のサエがアマネの腕をつかんでいる。
「あの・・・・・・大丈夫ですよ。タイチも一緒にいるんだし・・・・・・」
その顔、その声に、アマネはようやくサエの気持ちを理解した。そして、やはりもっと早くに立ち去るべきだったと悔やむ。
自分にはミコトしか目に入らないというのに、何故周囲は放っておいてくれないのだろう。
「それは出来ません。ミコト様は大切なお方ですので」
つかんでくる手をやんわり押し戻すが、サエは首を振って、
「そんなに・・・・・・そんなに縛られなくてもいいじゃないですか。ミコトちゃんは、あなたのこと、そこまで大事にしていない・・・・・・」
「分かっています」
龍神に使える巫女が、他者に思いを寄せるはずがない。一方通行であることなど、アマネ自身が一番承知していた。
だからこそ、ミコトには力を取り戻してもらわねばならないのだ。自分が側にいる為に。
「縛り付けているのは、私のほうですよ」
サエの手を解くと、アマネは人混みのなかにミコトの姿を探しに行った。
ぼんやり歩いていたサエは、気づけば人混みを抜けていた。ここより先に出店はなく、人通りもまばらだ。
失恋・・・・・・しちゃったなあ・・・・・・。
もとより旅のお方だ。早晩別れがくることは分かっていたのに。
ただ、わずかでも、自分に心を向けてくれればと願っていたが。それさえも叶わぬのだと思い知らされる。
今頃、アマネはタイチとミコトを見つけているだろうか。姿の見えない自分を捜しに来てくれるだろうか。子どもじみた振る舞いだと分かっているが、そう簡単に切り替えられるものでもない。
ぶらぶら歩いていたら、路地裏から馴染みのある声が聞こえた。自分のほうが先に見つけてしまったと苦笑しながら、サエが声をかけようとしたら、
「そうだな。お前達とともに行くのも、楽しそうだ」
タイチの、言葉が聞こえた。
タイチは自嘲気味な笑いを漏らすと、視線を逸らす。
日が傾き、徐々に影が伸びてきた。タイチは空を見上げ、路地に目をやり、ミコトに視線を戻した。
「村を離れるわけにはいかない」
ミコトは頷き、
「タイチに、思い人がいるからか?」
と聞いてきた。
「サエが好きなのか?」
「えっ、あ」
突然核心を突かれて、タイチが言葉に詰まっていると、
「好きなら手を離すな。お前がサエを守れ」
「いやっ、なにを」
「サエを探しにいけ、今すぐ。大切なら目を離すな」
ミコトの迫力に気圧されながら、タイチは手を伸ばす。
「なら、ミコトも一緒に」
「私にはアマネがいる」
ミコトの真剣な眼差しに、有無をいわさぬ声音に、タイチは思わず息を呑んだ。
「自分の大切な相手を間違えるな。お前が手を取るべきは、私ではない」
「ミコト様!」
茜色に染まる道を一人で歩くミコトを見つけ、アマネは駆け寄る。
「探しましたよ。タイチさんはどうされたのです?」
それに答えず、ミコトは夕焼け空に目を向けると、
「もうすぐ日が沈む。お前も気を張っておけ」
と言った。
サエは薄暗い道をただ走る。走って走って走ったら、さきほどの言葉から逃げられるのではないかと。タイチが村を出て行ったりはしないのではと。
考えたこともなかった。この村で生まれ、最後までこの村にいるのだと。そう思い込んでいた。なのに。
サエは脇目もふらずに走り続ける。自分の心臓の音以外、耳に入れたくないと。
だから気づかなかった。背後から迫る足音と、うなり声に。
野犬の群れが、自分を取り囲んでいることに。
「サエ!」
村に戻っていく姿を見たと聞き、タイチはサエの家の近くまでやってくる。暗がりに影を見つけ、声をかけた。
「サエ、心配したぞ。戻るなら戻るで、そう言ってくれれば」
一、二歩近づいて、足を止める。ゆらりと揺れた影が、タイチに向き直った。
「サエ? どうした? 気分でも悪い・・・・・・」
「ぐぅ・・・・・・ああぁあぁぁああああぁぁあああぁあああ!!!」
「サエ!?」
髪を振り乱し襲いかかってくるサエに驚き、タイチは地面に転がる。
「サエ!? どうし・・・・・・ぐっ!」
馬乗りになったサエに首を掴まれ、タイチは声をあげることも出来なかった。万力のように締め上げてくる手を、必死で引きはがそうとする。
サエ・・・・・・サエ!!
意識が途切れそうになった瞬間、サエが飛び退いた。重みから解放されたタイチは、必死で肺に空気を送り込む。
「タイチ! こっちだ!」
ミコトの声がして、ぐいと腕を引かれた。自分とサエの間に、アマネが割って入る。
「ミコ・・・・・・っ! サエ、が・・・・・・!!」
「分かっている。ここにいろ」
ぐいと押しやられ、タイチは民家の塀にもたれながら荒い呼吸を繰り返した。なにが起こったのか分からぬまま、アマネとサエのいる辺りに顔を向ける。
「ぐぅ・・・・・・るるるるる・・・・・・」
サエの後ろから野犬の群れが現れた。タイチは立ち上がろうともがくが、足に力が入らない。
「ミコト様、下がっていてください」
アマネの制止する声に続き、ミコトのため息が聞こえた。
「私だってそうしたいさ」
ミコトはいきなりきびすを返し、走り出す。それを合図に、野犬の群れが一斉に駆けだした。
「ミコト様!」
アマネにもタイチにも目をくれず、サエと野犬はミコトの後を追う。アマネがそれに続き、タイチもふらつきながらついて行った。
小柄な体躯からは想像もできない速さでミコトが駆けていく。その後を追うサエと野犬達。それを追うアマネ。ミコトにはなにか考えがあるのかもしれないが、野犬が追いついたら迷わず手を出すつもりだった。