龍の巫女 前篇
ミコトは深くため息をつくと、ごろりと横になる。
アマネに思いを寄せながら、タイチを手放すのは嫌なのか。どうやって両方手に入れるつもりなのか。
・・・・・・私には、誰もいないのに。
ミコトは目を閉じ、今まで世話役を務めた者達を思い出す。皆、所帯を持ち、子に役目を引き継いで、自分の前から去っていった。
アマネもいずれ去っていくのだろう。
考えるな。慣れているだろう? 今まで、何度も繰り返してきたのだから。
「ミコト様」
アマネの声がして、ミコトは体を起こす。不機嫌な声で「なんだ?」と返すと、するりと障子が開いた。
「サエさんと喧嘩なさったとか?」
顔を出すなりアマネが聞いてくる。ミコトはぷいっとそっぽを向いた。
「何か気にくわないことでもありましたか?」
「・・・・・・・・・・・・」
ミコトはむすっと口をつぐんでいたが、ぽつりと、
「・・・・・・人の欲には限りがない」
と呟く。
「ミコト様?」
「なんでもない。さっさと食事の支度に戻れ」
「もう終わりました。後はミコト様が降りてきてくださるだけです」
「・・・・・・・・・・・・」
ミコトが睨んでもアマネは何処吹く風で、
「さあ、どうぞ。冷めてしまいますよ」
と言って、手を差し出してきた。
「分かっている」
ミコトは不機嫌さを隠さず立ち上がり、アマネの手を取る。そのまま、手を引かれるままに階段を下りた。
朝食の席で、ミコトとアマネからはなんの説明もない。タイチは事の顛末を問いただすか悩んだ末、
「ま、祭り・・・・・・」
唐突な言葉に、ミコトが「ん?」と声を上げた。アマネもタイチに視線を向けてくる。タイチはそわそわと身じろぎしてから、
「祭りが、あるんだ。明日・・・・・・隣の町で。良かったら、一緒に行かないか? その、出店も色々あって、面白い・・・・・・と、思う」
アマネが、ミコトに視線を移す。ミコトは首を傾げ思案した後、「面白そうだ」と言った。
「サエも誘うんだろう?」
当然のことのように聞かれ、タイチはどもりながらそうだと答える。
「そうか。楽しみだな」
さらりと言われて、朝のあれは些細な行き違いだったのだろうなとタイチは胸をなで下ろした。
「ああそれと、あの祠」
ミコトの言葉に、今度はタイチが首を傾げる。
「ん? 守り神様がどうかしたか?」
「大事にしているようだが、手を合わせるだけでは不十分だな。掃除をして、水と供物を捧げるといい」
「そうか。そうだな。気づかなかったよ、ありがとう」
朝食の片づけを終えたら早速行ってこようと、タイチは内心頷いた。
「ミコト様」
朝食の片づけを終え、タイチが出かけていくのを見届けたアマネは、二階にあがり声を掛ける。
「なんだ」
「あの祠、空っぽなのでは?」
「そうだな」
「では何故?」
タイチへの進言はどういう理由からなのか。ミコトは億劫そうな視線を向けてきて、
「気休めにはなるだろう」
「それだけ、ですか?」
「さあな。疑ってかかるお前に、何を言っても届かないだろうさ」
そう言うと、ミコトは畳にごろりと転がった。
「ミコト様、横になるなら布団を敷きますから」
「いらない。お前は下がっていろ」
不機嫌な声に、これは何を言っても無駄だと悟る。全く頑固なお方だと、アマネは内心溜め息をついた。
昼食の片づけを終え一息ついたところで、ミコトがタイチを呼ぶ声がする。
「ん? どうした?」
タイチが声を掛けながら階段を上っていった。ミコトの声が微かに聞こえる。それにタイチが「ああ」とか「構わない」などと返す声も。
何を話しているのか、アマネは首を振って考えないようにした。どうにも調子が狂う。やはり、祭りが終わったらここを立つべきだろう。
あまり深入りするべきではない・・・・・・ミコト様には、なすべき事があるのだから。
とうに日が沈み、村全体が眠りについた頃。
かすかな物音を聞きつけ、アマネは目を開けた。そっと障子を開け、廊下を伺えば、闇に紛れて小さな影が動くのを見つける。
・・・・・・ミコト様?
ぼんやりとした影だが、確かに自分の主だとアマネは確信した。こんな夜更けにどこへ行こうというのか。アマネは上着を羽織るとそろりと廊下に進み出た。
月明かりの下、ミコトは迷いなく山へと向かう。いくらなんでも危険ではないかとアマネは気を揉むが、それでも声を掛けることなく後をつけた。ミコトの髪に、首に、手に、足につけられた飾りが月明かりに煌めく。あれは恐らく、タイチの妹の部屋に残されたものだろう。昼にタイチを呼んだのはその為か。いったい何を考えて、その飾りを身につけたのか、その胸の内を知りたかった。
迷うことなく突き進むミコトは、山の祠にたどり着く。水と花が供えられた社に蝋燭を置くと、手慣れた様子で火をつけた。すっと背を伸ばし、天を振り仰ぐ。
そして、おもむろに舞を始めた。
それは奉納の舞だった。巫女が神に捧げる舞。
青白く降り注ぐ明かりと、揺らめく炎の影。ミコトの体がくるりくるりと円を描く。その眼差しに、口元に、指先に、アマネは言葉を失い、立ち尽くした。今まで遠目で眺めることはあっても、これほど間近で見るのは初めてのこと。
これが・・・・・・龍の巫女・・・・・・!
アマネは自然と膝をついた。三百年という長きに渡って祈り続け、舞い続けたミコトの、完成された美に圧倒されて。
衣擦れの音、装身具の触れ合う音、地を踏む音。完成され調和した旋律に、突如不協和音が生じた。
「きゃっ!?」
「ミコト様!!」
アマネは弾かれたように手を伸ばし、ミコトの体を抱き留める。
驚いたように見開かれた目が、アマネを見上げていた。
「傷を増やす気ですか、全く・・・・・・。こんな夜中におひとりで出歩くなんて」
「なっ・・・・・・お、お前が驚かすからだ。暗がりに人がいれば、誰だって驚く」
ミコトはアマネの体を押しやって、するりと腕の中から抜ける。
「ならば、おひとりで抜け出すのはおやめください」
「うるさい。小言など聞きたくない。お前は先に戻っていろ」
むくれてそっぽを向くミコトに構わず、アマネは懐から横笛を取り出した。
「笛があったほうが舞いやすいでしょう」
「はあ?」
「私の演奏では物足りないでしょうが、今はこれで辛抱を」
「・・・・・・・・・・・・」
ミコトは着崩れを直すと、そっぽを向いたまま、
「・・・・・・お前以上の腕前など、望むべくもない」
アマネが何か言うよりも先に、すっと手を上げる。アマネは横笛に唇を当てた。その信頼に応える為に。