龍の巫女 前篇
翌朝早く、山の祠にお参りに行くというタイチに、ミコトもついて行くと言い出す。アマネは止めたが、ミコトが頑として聞き分けないので、仕方なく一緒に家を出た。
ミコトはアマネの素っ気ない態度を諦めたのか、タイチと並んで歩いていく。時折言葉を交わしてはくすくすと笑う姿に、アマネは目を伏せた。
昨日の態度を謝りたい気持ちはあるが、二人の仲むつまじい姿を見せられると、どうしても顔が強ばってしまう。ミコトの隣にいるのは自分であるべきなのに、と。
・・・・・・どちらが子供なのか。
アマネは内心溜め息をついた。
「ほら、ここだ。村の守り神様なんだ」
タイチが示したのは、山の中腹にある小さな祠。古いが手入れは行き届いているようだ。ミコトは祠を一瞥し、「ほう、そうか」と言ったきり口を閉ざす。タイチが祠に手を合わせている間、どこかぼんやりと視線をさまよわせているのを見て、アマネは首を傾げた。
ミコト様がこのような態度を取るなど、初めて見た・・・・・・。
いつもなら、タイチとともに手を合わせているだろうに、今は所在なげに立ち尽くしている。
「ミコト様」
「ん? ああ」
アマネがそれとなく促すと、ミコトはやっと気づいたかのように、のろのろと手を合わせた。
タイチを先頭に山を下りる時、ミコトが振り向いてアマネに身を寄せてくる。低く、周囲をはばかるような声で囁いてきたのは、
「あの祠、空っぽだ」
思わず振り返ったアマネは、ミコトに袖を引かれて慌てて向き直った。
「では、この村は・・・・・・」
「長くないだろうな。土地神がいなくなれば、土地は荒れる。作物も遠からず採れなくなるだろう」
「なんと・・・・・・」
それ以上言葉が見つからず、アマネも無言で山道を下りる。
サエは野菜の詰まった籠を胸の前で抱き、タイチの家をうかがった。どうやら留守にしているらしい。おそらく、山の祠へ行っているのだろう。アマネとミコトもついて行ってるようだ。
子供の頃から、お互いの家を自由に行き来していたのに、今は一歩を踏み出すのさえ躊躇われる。
アマネさんにどう思われるか、分からないし・・・・・・。
早く戻ってこないかと、門の前をうろうろしていたら、
「サエ、どうしたんだ?」
タイチの声に、サエはあやうく籠を取り落としそうになった。
「あ、た、タイチ、あの、野菜、お母さんが」
「ああ、ありがとう。なんだ、上がっていれば良かったのに」
「そういうわけには・・・・・・」
タイチの隣にミコト、その後ろにアマネがいる。まともに顔を見れず、サエはうつむいてタイチに籠を押しつけた。
気まずい空気の中、サエが立ち去ろうか留まるか逡巡していたら、
「サエ、急ぐのか?」
ミコトの声に、サエは驚いて顔を上げる。
「あ、ううん。特には・・・・・・」
「なら、話し相手になっておくれ。男ばかりでは息が詰まるよ」
ミコトはするりと横にくると、サエの手を取った。アマネが慌てて門を開ける。当然のように玄関へ向かうミコトに引っ張られながら、サエはアマネにあたふたと礼を言った。
「二階へ行こう。アマネ、支度ができたら呼んでおくれ」
「承知いたしました」
ミコトの物言いにも慣れた様子で、アマネはタイチを促して台所へ向かう。サエはそんな二人をちらちらと気にしながらも、ミコトに引かれるまま階段を上がった。
ミコトが入ったのはタイチの妹が使っていた部屋。葬儀での憔悴しきったタイチの姿を思い出し、サエは胸が締め付けられる思いがした。
「あの、ミコトちゃん。この部屋」
「ん? ああ、タイチが好きに使えと言ってな。妹の部屋なんだろう?」
さらりと言われて、サエは言葉に詰まる。ミコトは何でもないことのように、
「調度類を見れば分かる。可愛がられていたようだな。亡くなった時は何歳だ? おそらく十に満たないか」
「な、なんで、ミコトちゃんは!」
サエが思わず声をあげると、ミコトは首を傾げてサエを見た。黒々としたその目に見つめられると、秘めた思いまで見透かされるような気がしてくる。
先に口を開いたのはミコトだった。
「お前が聞きたいのは、どちらだ?」
「え・・・・・・?」
低い声に、サエは一瞬怯んでから、
「あ、アマネさんとは・・・・・・どういう関係?」
絞り出すように聞くと、ミコトは「ふうん?」と声を漏らす。
「どうもなにも、見ての通りさ。あれは私の世話役だ。そうだな・・・・・・十年になるか」
「えっ、そんなに・・・・・・子供の頃からの仲なのね」
目の前の少女の幼い頃を思い浮かべ、さぞ愛らしかっただろうと考えた。当人は、サエの言葉にうっすら笑みを浮かべると、「そう・・・・・・子供の頃からだ」と返してくる。
「で、でも、なんでアマネさんなの? あの、そういうのって、普通、女性が務めるんじゃ・・・・・・」
「そういうしきたりなんだ。もちろん、従者には女もいるが、世話役は男と決まっている。好きで男を身近に置いているわけではないよ」
「でも・・・・・・」
「そもそも、あいつが希望したことだ。私の世話役を務めたい、とな。他には?」
ぞんざいに促されて、サエは口ごもりながらアマネに思い人はいるのかと聞いた。ミコトは黙ってサエを上から下まで眺める。サエはカッと頬が熱くなった。
「なっ、なにっ」
「サエにはいないのか?」
「えっ・・・・・・」
まさかアマネの名を出すわけにもいかず、サエは目を逸らす。ミコトはふうっと息を吐くと、
「だったら、タイチをくれないか?」
と言い出した。
「えっ・・・・・・えっ!?」
「あれはいい男だ。真面目でよく働く。体も丈夫だし、私の婿にしてやってもいい」
「なっ、あっ、で、でも! ミコトちゃんにはアマネさんがいるでしょう!?」
サエは慌てて口走ってから、驚いて自分の口を押さえた。ミコトは首を傾げると、「では、交換しよう」と言う。
「アマネにとって、私の言いつけは絶対。お前の婿になれと言ってやるぞ? 嬉しいだろう?」
「なっ・・・・・・! か、からかわないで!!」
サエは真っ赤になって叫ぶと、そのまま部屋を飛び出した。階段を駆け下りる音を聞きつけたのか、タイチが顔を出す。
「サエ? どうした?」
サエはその声を振り切って、玄関を駆け抜けていった。
タイチがぽかんと口を開けていると、階段のきしむ音がする。見上げると、ミコトがじっとこちらを見ていた。
「虫が入るぞ」
「は? え? あ、ああ」
タイチは開けっ放しの玄関を閉めると、再び階段の上を降り仰ぐ。だが、ミコトは部屋に戻ったのか姿を消していた。
「どうされました?」
後ろからアマネに声を掛けられ、タイチは階段と玄関を交互に見やる。
「なんか・・・・・・サエとミコトが喧嘩したみたいだ」
タイチの戸惑いなど知らぬ顔で、アマネは「ああ」と声を上げた。
「ミコト様は時折気難しくなられますので・・・・・・後で私が宥めておきます」
「え・・・・・・ああ、うん」
アマネは言うだけ言って、さっさと台所に戻っていく。タイチは自分だけ蚊帳の外にいるような気がして、身を揺すった。
・・・・・・欲張りな女だ。