龍の巫女 前篇
ミコトに呼び止められ、タイチは振り向く。どうしたのかと聞く前にミコトが口を開いた。
「お前、親は?」
「えっ」
一瞬、言葉に詰まる。だが、すぐに気を取り直して、
「あの世だ。今はオレしかいない。だから、気にせず上がってくれ」
「そうか。なら、先に線香を上げさせておくれ」
「え、あ、ああ。じゃあ、こっちに」
ミコトとアマネを仏間に通し、タイチは薬箱を取りに行った。
「これでいい。すぐに治るさ」
タイチはミコトの膝を消毒し、絆創膏を貼り付けた。
「他に痛むところはないか?」
顔を上げると、ミコトが微笑みながら「ない」と言った。
「ありがとう。タイチは優しいな」
「いや、こんなの」
当然のことだと続けようとした時、
「下に弟か妹がいたんだろう? 流行病か?」
ミコトの言葉に、タイチは固まる。
「ミコト様」
アマネがやんわり口を挟むが、ミコトは構わず「道中気になっていたんだ」と続けた。
「皆、やけに年が近い。年寄りと子供から倒れたとすると、病か飢饉か。だが、このところ天候は安定していたはずだからな。貧しい村だ、薬も十分行き届かなかったんだろう?」
「ミコト様、それ以上は」
アマネの言葉に、ミコトはふっと息を吐く。
「そうだな、立ち入りすぎた。すまない、タイチ」
「い、いや・・・・・・」
タイチは顔を背け、薬箱に蓋をした。
「ふ、風呂、沸かしてくるから。二階の部屋、好きに使ってくれ」
「分かった。ありがとう」
立ち上がろうとするミコトを、アマネが支える。
「ミコト様をお部屋にお連れしたら、お手伝いしますから。何でも言ってください」
「え? あ、ああ。ありがとう・・・・・・」
タイチはやましさを覚えて、アマネから目を逸らした。
献身的なアマネの姿を見ていると、彼にはミコト以外目に入らないのではないかとさえ思える。
でも・・・・・・サエのとこに泊めるわけには・・・・・・。
嫁入り前の娘に噂など立ってはと、タイチは自分を納得させた。
アマネに支えられ、ミコトは階段を上る。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
お互い無言のまま、奥の部屋に荷物を置いた。
「・・・・・・何を怒っているんだ」
ミコトが思い切って声を掛けると、アマネは不機嫌そうな視線を向けてくる。
「別に怒っていませんよ」
「その顔では説得力がない」
「生まれつきです」
荷ほどきをするアマネに、ミコトは「タイチのことか」と言った。
「立ち入りすぎたと反省している。私が口を出すことではないと分かっているが・・・・・・その、タイチを見ていると、な。少し・・・・・・」
「後はおひとりで出来ますね? 私は夕餉の支度を手伝ってまいりますので」
アマネは立ち上がって、さっさと部屋を出ていく。
「はあ!? なっ・・・・・・! 何だその態度は!!」
残されたミコトは、腹立ち紛れに腕を振り上げ、溜め息とともに降ろした。
全く・・・・・・なんなんだ。
アマネとは何度も喧嘩してきたが、ミコトが突っかかっていき、アマネが飄々と受け流すのが常なのに。いつもとは反対の立場にミコトは戸惑っていた。
ミコトは窓際に腰を下ろすと、橙に染まる空を見上げる。タイチの顔を思い浮かべ、次に遠い記憶を探って思い出そうとした。
遙か昔に別れた、幼い弟の顔を。
タイチを見ていると、弟を思い出す。おぼろげな記憶の向こう、別れ際に泣いて縋ってきた弟に、必ずお役目を果たして戻るからと約束した自分。
約束を破ってしまったな・・・・・・。
とうに鬼籍に入ったであろう、顔も覚えていない弟。外との遣り取りは一切禁じられ、葬式にすら顔を出せなかった。そもそも葬儀があったのかさえ不明だが、あったのだろうと思う。巫女を出した家には、一生遊んで暮らせるだけの金が与えられるのだから。
貧しい村の、貧しい家だった。家族の為に巫女になると決め、その願いを叶え、ただ孤独に時を重ね・・・・・・力を失い・・・・・・。
はあっと息を吐いて、ミコトは窓から離れる。
「全く・・・・・・なんなんだ」
豊穣祭まではまだ時間がある。焦っても仕方がないと自分に言い聞かせた。
全く・・・・・・なんなのか。
アマネは苛々しながら煮物を口に押し込む。同じ食卓では、ミコトがやけにはしゃいだ声でタイチに話しかけていた。
「これもタイチが? 凄い」
「田舎料理だ。ミコトの口にはあわないかも」
「いや、美味しいよ。タイチは料理が上手だな」
ミコトは歴代最年長のせいか、「扱いが難しい」と皆が口を揃えるほど気難しい。笑顔など見せず、周囲と最小限の関わりしか持たない巫女だ。自分がお役目について十年、ようやく雑談に応じてくるようになったというのに。
タイチは、一瞬でミコトの心を溶かしてしまったようだ。
おそらく、タイチに家族の面影を重ねているのだろう。確か弟がいたはずだ。とうの昔に関わりが切れた過去を思い出し、郷愁の念に駆られてもおかしくはない。
ない、が。
アマネとしては面白くない。自分が小石を積むような気の長さで築き上げた関係を、タイチは易々と乗り越えてしまった。子供じみた感情でミコトに当たったことを謝りたい気はあるが、まるで別人のようにはしゃぐ姿を見ると、つい意地になってしまう。
ミコト様は・・・・・・お役目を放棄するおつもりではないだろうか。
万が一にもありえないと、いつもなら一笑するところだが。タイチの話にころころと笑う姿を見ると、馬鹿げた考えだと捨てきれない。
水神の加護を受けた巫女は傷を負ってもすぐに治癒するが、今のミコトにはそれがない。いずれ肉体的にも年を重ねていくだろう。それならば、ここに留まったほうが幸せなのではないか?
暗い目で、固い表情で、口を引き結ぶ巫女の姿よりも、今の方が。
沸き上がった考えを、アマネは無理矢理追いやった。
考えるな。私の役目はミコト様にお仕えすること。それ以外のことは、考えなくていい。