謝恩会(後編)~その手に花束を~
呆然とする悠里と晴乃にかわって、サラが弦の断面を見た。どれも自然に切れたわけではなく、故意に切られた跡が残っていた。
「そらそうやろ……ベースの弦なんてそうそう切れへん……」
何をしたらこんなことになるのか、4本の弦がすべて切れてしまったベースを抱えながら晴乃はつぶやいた。
6本の弦が方方に散るギターを呆然と見つめていた悠里が、言葉を漏らす。
「こんなん……許されへん」
湊人はぎくりとした。いつもおだやかな悠里の瞳の色が変わっている。怒りの衝動を抑えきれず行動にでてしまう――そんな予兆を感じさせた。
「絶対に許されへん!」
そう叫んで悠里は立ち上がった。弦の切れたギターを抱えたまま楽屋を飛び出そうとしたのでとっさに肩をつかんだ。
「どこ行くんだよ!」
「これはお兄ちゃんに買ってもらった大事なギターなんや! これがあったから私はくじけずにここまでこれたんや。こんなひどいこと許せるわけないやろ!」
初めて聞く悠里の怒号だった。腹の底から怒りを吹き出し、怒りにわななき、薄茶色の瞳には涙がたまっていた。
剣道をやっている悠里の力は思いのほか強く、湊人ひとりでは押さえきれない。晴乃とサラが加わり三人がかりで楽屋の中に押し戻した。
「悠里、犯人とっ捕まえるのも大事やけど、もっと大事なことがあるやろ」
静かな声で言ったの晴乃だった。興奮を抑えられない悠里の背中をサラがさすっている。
「だって……ルノはくやしくないの? 大事なベースこんなんにされて……」
悠里は無残な姿になったギターを抱えたまま、晴乃のベースを見た。ギターの5弦や6弦が切れる姿は要の家にいたころによく見たけれど、ベースの弦が切れているのを見るのは初めてだった。
晴乃はぎりっとくちびるをかんで、息を吐いた。
「くやしいに決まってるやろ。でもここで怒り狂ってたら相手の思うつぼや。弦を切った人間は私らのライブを中止させたいんや。相手の思う通りになんかさせへん。ライブは絶対にやる」
声は静かだったけれど、晴乃の顔には闘志が満ち溢れていた。健太から晴乃が負けず嫌いだということは聞いていたが、これはそんな程度ではない。熱く燃えたぎる意思が全身からあふれ出している。
ギターを抱えて座り込んでいた悠里が顔を上げた。
「そうや負けたらあかん、なんとしても今日のサプライズは……あ!」
急に甲高い声を上げて、サラと湊人を指さした。
「2人の持ち物は大丈夫なん?」
その言葉にサラは一目散に荷物にかけよった。ピアノを弾くのに必要なものなんてない、指さえ動けば……と考えていると、サラが「あああーーーー!!!」と楽屋にいる人間全員が耳を塞ぐような声を張り上げた。
「あたしのスティック……」
半分泣きそうな顔になったサラの手に、真っ二つに折られたドラムスティックがあった。二本ともへし折られてしまったスティックは無残に木の内部を露出していた。
「ほんで坂井くん、これどうすんの……」
泣きべそをかいているサラが足元を指さす。そこには白い紙が散乱していた。
激しく破られた紙を一枚ずつ拾い上げる。それは湊人の手書きの譜面だった。悠里がコピーしてくれたものに様々な書き込みがある。音源を元に作ったフレーズ、悠里のリクエスト、晴乃のベース進行、サラのドラムのタイミング、この日のために作ってきた様々なイントロやソロ――どれとどれがつながっていたのか、組み合わせることもできないほどにちぎられている。
横にいた悠里と晴乃も拾ってくれたが、途中で面倒くさくなってきた。
「譜面はいらない」
拾うのがいやになって立ち上がるなり湊人はそう言った。目に涙をためた三人が唖然とした顔で見上げてくる。
「だってこれ……坂井くんの大切な譜面やろ?」
悠里はかけらひとつ残らず拾ってくれた。晴乃もサラも拾ってくれた。それだけで十分だった。
「譜面がなくてもピアノは弾けるから」
そう言った湊人の肩をわし掴みにしたのはサラだった。
「あんたかっこええこと言うやん! 私も言ってみたいわー! 譜面がなくても叩ける! でもスティックなからったらドラムは叩けへんで……」
自分で言ってサラは再び落ち込み始めた。そりゃそうだなと言いそうになり、口をつむぐ
「替えのスティックは持ってないのか? 深町はいつも大量に持ち歩いてたけど……」
「……フカマチって人は知らんけど、昨日ちょうど一本先が折れて、これが替えのスティックやったんや。ケースには片方折れてるやつしか入ってない……」
湊人の言葉にさらに肩を落とす。晴乃と悠里も隣でため息をついている。
「絶対やるって意気込んだけどなあ……私も替えの弦は第4弦しかもってないんや。第1弦なんてニッパーでもないと切ることもできへんし……悠里は?」
晴乃にそう言われて悠里は顔を上げる。けれど表情は曇ったままだ。
「私も昨日の夜、5弦と6弦が切れて替えたとこなんよ。6弦の替えは何本かあるけど、5弦はないわ……」
三人そろってため息をつく。ピアノ以外の楽器をさわったことのない湊人はかける言葉も解決法も見つからない。特に悠里のギターは左利き用で、通常のギターと違ってネックが右側に、ボディが左側についている。売り場面積がかなり広い楽器店にいって1、2本置いていればいいほうだ。そこに弾きたいジャンルや好みのメーカーを加えると、手にできるのはごく限られた数になってくる。それこそ悠里の兄のようにギターの世界に生きている人間なら要望にこたえるものを見つけられるのだろうが――
「あーーーっ!」
湊人は声を張り上げた。自分の声帯でこんな大きな声が出るのかと驚いて咳こんでしまった。
「どうしたん? 坂井くん」
大きな瞳をさらにぱちくりさせて悠里が言う。
「陽人さんが一昨日買ってくれたギター、今車に積んでるよな!」
ちぎれた楽譜を抱えたまま悠里につめよると、晴乃とサラが同時に「あーーーーー!」と叫んだ。
「そうやん! グレッグがプレゼントしてくれたギター、後部座席に積んでたやん!なんでギターを2台も持っていくんやって聞いたら、本番の空気を吸わせてあげたいとか変なこと言うから……」
サラは手に持っていた譜面を湊人に押しつけて、悠里につめよった。「変なこととはなによー」と悠里が頬を膨らませる。するとうしろから晴乃が「ほんまや、悠里えらい!」と頭をなでたので、彼女は「え? そう?」と今度は照れ始めた。
「とにかくこれで悠里のギターは解決や。次はルノのベースやけど……」
サラが言うと、晴乃は少し眉を下げて言った。
「私、吹奏楽のコントラバスがあるから、それを弾こうかな」
「そんなんめっちゃ大変とちゃうの? 弾き方も全然違うやろし。もうあんまり時間ないのに」
悠里がふりかえって晴乃に問いかける。
「うーんまあ、やってみる価値はあるかな! 千賀先生にベースを聞かせられないのは残念やけどね……」
作品名:謝恩会(後編)~その手に花束を~ 作家名:わたなべめぐみ