小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

謝恩会(後編)~その手に花束を~

INDEX|12ページ/20ページ|

次のページ前のページ
 

結.その手に花束を



 湊人はあらためてグランドピアノの椅子に座った。終演後の舞台に凪のような静けさが広がっている。

 初音たちは要と宮浦が準備した打ち上げ会場へと向かった。といってもそこはラウンド・ミッドナイトで湊人の家のような場所だ。卒業生たちは残って片づけをし、午後9時には完全撤収することになっている。

「やっぱりここにおった」

 舞台袖から近づいてきたのは悠里だった。ピアノを弾きながら、湊人はそっと顔を上げる。悠里はグランドピアノの上に置かれた花束を手に取って、においをかぐ。

「きれいな花束やねえ。まるでお姉さんみたい」

 おまえも似合うよ、と言いたいが、なかなかそうはいかない。手の内側に汗をかいている。弾く手を止めて、悠里を見る。

「……おまえ、今携帯持ってる?」

 湊人は声をふりしぼった。悠里は首をかしげながらブレザーのポケットを探る。

「うん、あるよ。今日は忘れてない!」

 そう言ってにっかりと笑う悠里の笑顔に、心が打たれる。

「じゃあ、ここに立って」

 湊人は手招きをした。悠里は首をかしげたまま花束を置き、湊人の左側に立つ。
 悠里がすぐそばに立っている――湊人は深呼吸をして、ピアノを弾き始めた。

 ――Happy birthday to you…Happy birthday to you…――

 歌はとても歌えないが、ピアノなら弾ける。悠里のために考えたピアノアレンジで、湊人は心をこめて弾く。真横に立っている悠里の心に届くように――

 最後まで弾くと、悠里の顔を見ずにすっと立ち上がった。ボストンバックの中に手を突っ込んで、おもむろに突き出す。

「ハッピーバースデイ、悠里」

 手に持った小さなブーケのむこうに悠里の顔が見える。透き通るような白い肌に、長いまつげ。宝石のように輝くヘーゼルカラーの瞳。薄茶色の眉毛、ホールの光を浴びて輝くブリュネットのポニーテール――

「えっ、ありがとう……って……えええーー」

 頬を染めた悠里が視線を彷徨わせているので、湊人は心臓の音を飲み込みながらブーケを握らせた。

「おまえ、今日誕生日なんだろ」
「えっ……あーうん、そうなんやけど、ありがとうなんやけど、えええーと、さっき悠里って言ったようなー……」
「言った」

 悠里がしどろもどろしているので、湊人ははっきりと言った。赤く染まった頬にオレンジのガーベラが入ったブーケをよせて、もごもご何か言っている。

「携帯貸せよ」

 真っ赤になっている悠里を見ないようにして湊人は手を差し出した。まともに見るとこちらにまで動揺が伝染する。戸惑っている悠里に「ほら早く!」と手を突き出す。
 シンプルな携帯電話を受け取って素早く画面を操作する。先ほどまでしどろもどろだった悠里がポカンと口を開けている。

「はい」

 湊人が携帯電話を返すと彼女は目を丸くした。湊人はブレザーのポケットから自分の携帯電話を出して、通話ボタンを押す。

 湊人が画面をじっと見ていると、悠里は「あっかかってきた!」とあわてて携帯電話をタップした。しばらくじっと画面を見つめたあと、さらに紅潮した頬でつぶやく。

「画面に『湊人』って出てる……」

 今度は湊人が自分の携帯電話の画面を見せた。当然『悠里』と表示されている。

「今からおまえのこと悠里って呼ぶから、おまえも湊人でいいよ」

 心臓は爆発しそうだったが湊人は必死で平静を保とうとした。真っ赤な顔で画面を見つめていた彼女が「突然そんなこと言われてもーー!」と今度は狼狽し始めた。

 湊人は画面をタップして着信を切った。彼女の携帯電話も振動を止める。

「オレ、アメリカに行くことにしたから」

 なんでもないことのように言おうとした。けれど言葉の最後が震えそうになって、湊人は唾を飲み込む。

「……え?」
「オーナーが向こうで働ける店、紹介してくれたんだ。いつまでも頼ってちゃかっこ悪いって思ってたけど、こんなチャンスそうないし、おまえらが頑張ってるの見ると、ここで指くわえてる方がよっぽどかっこ悪いんじゃないかって思ってさ」

 それは今日必ず悠里に言おうと思っていた言葉だった。今言わなければ、渡米する決心は鈍っていつまでもこの土地から離れなれなくなる。

 じっと黙って話を聞いている悠里の目を見て、やっぱりこの決心は間違っていなかったと思った。けれどそれは彼女との長い別れを意味する。泣きたくなるのをこらえて、鼻をすすり上げる。

「おまえといられる時間、もうあんまりないから、悠里って呼んでもいいかな」

 湊人は笑っう言った。笑って軽く言えば悠里は受け入れてくれるかもと思った。けれど彼女は眉をしかめて、湊人につめよった。

「そんな寂しいこと言わんといて! たとえアメリカに行っても、いつだって帰ってこれるやん! 私はずっとここにおる、離れても坂井くんのことは絶対忘れへん、だからそんな理由で悠里って呼びたいなんて……」

 言いながら最後の方が恥ずかしかったのか、また悠里の顔が赤くなった。表情がころころと変わるのが可愛くて湊人が笑い始めると、悠里も眉を下げたまま笑った。

「今までありがとな。おまえがいなかったらオレ、たぶんこんな決断できなかった」
「今までなんて言わんとって坂井くん。これからもずっとよろしく、やで」

 そう言って悠里が手を差しだす。真っ白い指、竹刀だこのできた手のひら。ピアノを弾くだけの自分よりもずっとしっかりとした手首――そのすべてが愛おしくて、胸が張り裂けそうになりながら彼女の手を握った。

「だから倉泉、湊人って呼べって……」

 思わずそう言って、やってしまったと思った。悠里が間髪入れず「坂井くんも倉泉って言ってるやーん!」と叫ぶ。

「違うって! 悠里!」「はいなんですか、湊人くん」「悠里!」「湊人くん!」
 何度もじゃれあうようにそう言った。悠里の笑顔がホールいっぱいにはじけた。

 この時間がずっと続けばいい、寝て起きたら謝恩会の朝で、湊人は悠里たちと本番に臨む――そんなことを考えて、弦の切れたギターを抱えて歯噛みしていた悠里を思い出した。あんな顔は二度とさせたくない――時間は戻らなくていい、ずっと進んだその先にきっと輝く明日がある――

 湊人は悠里の手を取った。拒まれなかったので、そのまま手を引いて舞台を降りた。



 ホールの外はすっかり夜の闇に包まれていた。どこからか春を予感させる花の香りがする。

「悠里、このブーケどうしたん?」

 スティックケースを背負ったサラが悠里のブーケを指さす。うしろを歩いていた湊人は素知らぬふりをする。

「えへへー内緒」

 そう言って彼女はブーケに顔をうずめた。ピンクやオレンジのガーベラが彼女の頬の白さを引き立てる。

「なにぃ? 悠里のファンでもできたか?」

 ベースを背負った晴乃がふり返って言う。悠里の肩越しに目が合う。晴乃がぎゅっと目を細めてきたので、思わず顔をそらしてしまった。

「ははーん、ファンは確かにいるようですね」

 晴乃がわざとらしく敬語を使ったので、悠里は「何のこと?」と首を傾げた。

「ほう、なるほど」