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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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謝恩会(後編)~その手に花束を~

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 聞き覚えのある声が背後で響いて思わず振り返ると、そこに要が立っていた。ジャケットは羽織っているがTシャツにジーンズ、ぼろぼろのスニーカーをはいている。いつものようにギターを背負った大荷物で、まるでスタジオ帰りのような姿だった。

「なんだ要も来てたのか、そんな大声出すなよ。恥ずかしいったら……」

 湊人が悪態をつこうとしたそのとき、うしろからスプリングコートの女性が姿を見せた。

「湊人、卒業おめでとう」

 そう言って大きな花束を差し出したのは、湊人の姉、初音だった。

 一年半前に日本を離れたときと比べて長くなった髪をそっと耳にかける。湊人は目の前の光景が信じられず、何度も瞬きを繰りかえす。

「うそだろ……初音さん……なんで……ボストンにいるんじゃ……」

 平静を保とうとすればするほど、初音の姿が涙でにじむ。感傷でいっぱいだった胸がはちきれそうになり、湊人は涙を飲み込む。

「今日は湊人の大切な日だから、飛んできちゃった」

 白いワンピースを着た初音が華やかに笑う。懐かしい彼女の香り、花束を差し出す白い指先、湊人と同じ血を継いだピアニストの気配――

 泣いていると思われたくなくて、花束を受け取りながら何度も瞬きをした。けれどあふれ出す涙は止まってくれなくて、瞬きをすればするほど頬に流れ落ちた。

「要ずるいよ……なんで……先に言わないんだよ……」

 たれ落ちてくる鼻水をすすり上げながら切れ切れに言う。要はおどけたポーズで「だって言ったらサプライズにならないもーん、ねえ悠里ちゃん?」と湊人の真うしろにいた悠里に笑いかけた。「ですよねー」と調子を合わせて悠里がひょっこり姿を見せる。

 湊人はあわてて花束で顔をかくす。サラが「あっ坂井くん泣いてるわーほら泣いてる」とはやし立てたので「泣いてねーよ!」と声をあげた。

「泣いてんだろ」

 太い声の持ち主が、ひょいと花束を持ち上げた。

「……深町! おまえなんでここに……」

 32歳になった晃太郎が、黒いテーラードジャケットにストレートパンツを身に着けて目の前に立っていた。花束を手にしたまま、悠然と湊人を見下ろしてくる。

「なんでって、初音とロスから飛んできたんだけど」

 晃太郎の言葉に湊人は顔をふくのも忘れて唖然とした。横から要が腕を伸ばして晃太郎の首をしめる。

「はっちゃんはボストンから新神戸まで直行便で来たはずだけど?」

 声は怒っているのに顔が笑っているから怖い。晃太郎は腕をひょいと外すと「ロス仕込みのジョークに決まってんだろ」と仏頂面で言った。隣で初音が苦笑いしている。この人たちは二年たっても全然変わっていない、と湊人は嬉しくなった。

 湊人が晃太郎から花束をもぎ取ると、晃太郎はじっと湊人を見下ろした。不意に顔の痣のことが気になったが、たくさんの傷を背負っている彼なら何も言わないんだろうなと思った。

「……成長したな」
「まあね」

 湊人は軽く返したが、口の端が上がりそうになった。めったに人を褒めることのない晃太郎のことだから、誉め言葉なのかもしれなかった。

「晃太郎さん、お久しぶりです」

 そう言って陽人と宮浦が近づいてくる。晃太郎が「よう、グレッグ」と言うと、陽人はくだけた様子で笑った。年は違えどアメリカで活動するパンクロッカーという点で通じるところがあるのだろう。

「あーーーー!!」

 サラが急に大声を張り上げた。周りの人間はとっさに耳を塞ぐ。湊人は花束を抱えていたので、彼女の声が直接脳につきささった。

「なんだよサラ、急にでかい声出すな……」
「『KOUTARO』って……もしかして最近ロスでデビューしたパンクバンドのドラマーちゃうの!?」

 湊人の話を全く聞かずサラは晃太郎を指さす。

「でもさっき坂井くん、フカマチって言ってたやろ! この人、フカマチ? KOUTARO? どっちなん!」

 サラのあまりの形相に湊人はたじろいだ。チラリと晃太郎を見る。

「え……? おまえの名前、深町だよな?」
「深町晃太郎だ」

 仏頂面のまま晃太郎が答える。今度はサラを見ると、わなわなと手を震わせていた。

「えええーー! 知り合いならなんでもっと早く言わんのよー! あっサイン、サインください! あースティック折れてるんやった!」

 サラがあまりにも大きな声を出して荷物をあさるものだから、ロビーにいる人間が一斉にこちらを向いた。顔を赤くした悠里と晴乃が「こらっサラ! 落ち着き!」とロビーに荷物を広げるサラをなだめている

「なんなんだこの娘は……」

 めずらしく晃太郎がげっそりとしているの見て、湊人は意外な気持ちになった。

「ていうか、深町って有名人なのか?」
「君はこの世界のことあんまり知らんやろけど、けっこう有名やで。ねえ晃太郎さん」

 陽人にそう言われた晃太郎は、相変わらず仏頂面のまま湊人を見下ろしてくる。初めて会った時はこの視線が怖かった。冷たい色をしていると感じたのは、自分に自信がなかったからだ。常に己の可能性を追求し続ける彼にとって、人生に打ちひしがれている湊人のことなんてどうでもよかったのだろう。今は冷たいというより、むしろ親愛の情を感じる。

「オレのパンクどうだった?」 

 何気なくそう聞くと、晃太郎は眉をしかめた。

「1から叩き込んでやる」

 それを聞いて湊人は笑い出した。どうやら自分のピアノはダメだったらしい。隣で初音が湊人の肩を持って「どうしてよ、初舞台にしてはすごくよかったじゃない」と言うと、「そうやっておまえらが甘やかすからいけないんだ」と親のようなことを言った。

 離れている間、ずっと不安だった。悠里たちにいい格好をしても、初音や晃太郎がアメリカに行ったまま自分の前に姿を見せなくなるのではとずっと怖かった。最近よく姿を見せている要だって、忙しくなれば自分のことなど見向きもしなくなるだろうと思っていた。

 でも違った。今ここに初音がいる。晃太郎がいる。要が笑っている。悠里も、晴乃も、サラもいる。いつの間にか赤い糸はつながって陽人や宮浦もいる。

「ミッナットーーー! おまえ最高やあ!」

 そう叫んで突然健太がうしろから抱きついてきた。初音が笑う。晃太郎も口の端が上がっている。「やめろ重いー!」と振り落とそうとしても、健太はしがみついている。悠里たちが大きく口をあけて笑っている。

 自分はここにいる。今、彼らと共に――生きている。