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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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謝恩会(後編)~その手に花束を~

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7.泣いてない



 悠里たちのバンドのあと、最後の舞台を飾ったのは吹奏楽部による演奏だった。あわただしくコントラバスに持ちかえた晴乃は、汗だくのまま吹奏楽のステージに上がった。1年から3年までの部員全員による合同演奏は華々しくホールに響いたが、湊人は立つ気力もなく舞台裏に腰かけていた。

 悠里はペットボトルの飲み物を一気に飲み干すと、袖で口を拭って笑った。

「ま、終わりよければすべてよしってね!」

 湊人と同じく汗まみれで脱力していたサラが「あんたほんま元気やなあ」とあきれ顔で笑った。湊人もつられて笑った。共に演奏した男子四人組がやってきて、湊人たちと次々とハイタッチを交わした。




 吹奏楽部の演奏が終わると、生徒たちは一斉にロビーに向かった。興奮した声で会話を交わす生徒や保護者でごったがえす中、晴乃が後輩たちを引き連れて湊人のもとに走ってきた。

「犯人とっ捕まえたで!」

 汗だくで前髪を額に張りつけた晴乃が、うしろを向く。そこには吹奏楽部の後輩につかまれた女子が3人いた。晴乃はきつくにらんでいるが、一年生のバッチをつけた女子3人はばつが悪そうにうつむいている。

「うちの後輩が見てたんや。私らの楽器のまわりでこの子らがウロウロしてたのを」

 晴乃がそう言うと、後輩のひとりがペンチを差し出した。悠里が息を飲む。

「これで……弦を切ったの?」

 悠里は力なく言った。彼女が本番前に「明日必ず直してあげるからね」とこっそり話かけていた無残なギターの姿がよみがえる。

 晴乃の後輩たちが「ちゃんと説明しなさいよ!」と矢継ぎ早に攻めると、捕まえられていた女子のうちのひとりが恐る恐る顔をあげた。

「……だって、先輩たちいつも千賀先生と仲良くしてて……私らには千賀先生冷たいのに……先輩らにはしょっちゅう笑いかけてて……そんなんずるいと思って……」

 女子生徒たちはそう言いながらなぜか泣き始めた。なんで泣くのかわからない、と湊人が目を丸くしていると「泣きたいのはこっちや!」とサラが叫んだ。

 よくよく話を聞くと彼女たちは「千賀先生ファンクラブ」なるものの会員らしく、入学したときからずっと彼女たちの言う「イケメンで優しい千賀先生」を追いかけまわしていたらしい。郁哉は誰にでも平等に接しているのに、なぜか悠里たちばかりに肩入れをする、だから腹いせに舞台をぶち壊してやろうと思った、そんなところらしかった。

 後輩たちが「なんでそんなことするんよ!」「ひどいわ!」と責め立てる中、女子生徒は3人ともぐずぐずと泣いていた。始めは睨んでいた晴乃とサラも、あきれ顔でため息をつく。

「……泣きたいのはあなた達じゃなくて、ボロボロにされた楽器やで」

 静かにそう言ったのは悠里だった。薄茶色の瞳に怒りの色はなかった。髪と同じ茶色の眉を下げてじっと女子生徒たちを見つめている。彼女たちの瞳からボロボロと涙がこぼれ落ちる。

「ごめんなさい!」

 後輩たちに腕をつかまれたまま、彼女たちは何度もあやまった。その姿に折れたのか、晴乃が腕を離すように指示する。後輩たちはしおれたように手を離す。

 彼女たちは泣きながら何度も「弁償します!」と言ったが、サラと悠里は「そんなんもうええわ」「そやな」と力なく言った。

「……でも千賀先生の歌サイコーでしたー! 先輩たちもかっこよかったですー!」

 女生徒のひとりが急に顔を上げてそう叫んだ。顔は涙に濡れてぐしゃぐしゃなのに、さっきまで泣いていたのが嘘のように3人で顔をつきあわせて「かっこよかったー!」と言い始める。

「はぁ? アホちゃうか!」

 第一声にそう言ったのはやっぱりサラだった。「もうええ、行こ!」と肩をいからせながら悠里と晴乃の手を引く。悠里はあわてて晴乃の後輩たちに「ありがとね!」と伝えると、サラに引かれるままにその場をあとにした。「千賀先生、最高!」と口々に言う女生徒たちに得体の知れない怖さを感じて、湊人もあわててあとを追った。



 ホールの出入り口付近に宮浦と陽人がいた。そこへ胸元に花をつけた郁哉が加わって談笑を始める。
 「あ、イケメンの千賀先生」とサラがぼそりとつぶやく。あわてて晴乃が「それを言うな」とサラの口を塞ぐ。そのそばで悠里が「まさか郁さんファンクラブとは」と苦笑いしている。

「おまえらようやったなあ!」

 そう言って腕を広げたのは宮浦だった。「俺の胸に飛び込んでこい!」と言わんばかりのポーズだが、悠里が「えーいややー」と体を引いている。

 悠里たちが郁哉を取り込んでわいわいと話すのを見ていると、陽人がポンと肩を叩いた。

「ええピアノやった。君の想いがひしひしと伝わってきた」
「ありがとうございます。陽人さんほどではないですけど」

 湊人が頭を下げると、陽人はメガネのふちをぽりぽりとかいた。

「なんやあ謙遜か? 俺はもうあんなには弾けへんで」

 そう言って笑うと、湊人に手を差し出して「これからもよろしく頼むわな」と言った。
 悠里と同じ、真っ白の手のひらをぐっと握る。力強い手から熱い鼓動を感じる。

「あっ見つけたー! 坂井くんこっちこっち」

 陽人の手から湊人をもぎとると、悠里は湊人の腕を引いてかけだした。何人もの生徒に当たりながら「ピアノよかったよー」「また聞かせてー!」と声をかけられる。

「はいっ、坂井くんへのサプラーイズ!」

 呼吸を整えて顔を上げると、そこには湊人の母がいた。

「母さん……」

 目を丸くして見つめていると、シックなスーツに身を包んだ母が申し訳なさそうに微笑んだ。目じりや口元に傷跡があるが、濃いファンデーションで隠している。

 湊人がいつまでも言葉を失っていると、悠里が背中を押した。

「坂井くん、謝恩会のお便りを渡せなかったって言ってたから、郁さんに頼んでおうちに電話かけてもらったんよ。来てくれはって、ほんまによかった」

 悠里はやさしく微笑んでいる。あとから来た晴乃とサラも口元に笑みを浮かべていた。

「湊人……大事な日の前にこんな傷を負わせてごめんなさい。先生と悠里さんから話は聞いたわ。母さん、あの家から出るわね」

 いつの間にかずいぶん年老いた母の目じりに皺が寄る。若い頃は美しかった二重まぶたが重く垂れさがり、瞳にしずくがたまっている。自分の傷の痛みまで思い出しそうになって、たまらなく胸がしめつけられる。

 母はそっと腕を伸ばして湊人の頬に手を添えた。

「素晴らしいピアノだった……あなたはもう、あの人のずっと先を見ているのね……」

 母の言う「あの人」はきっと父のことだろうと思った。血のつながりのない自分を引き取り、母が最期まで愛したあの人――湊人は涙がこぼれ落ちそうになるのをこらえて、うなずいた。

 母は手を離すと、そっと立ち去った。低いヒールを履いて歩くその後ろ姿はしっかりと前を向いていた。あとは西守医院のあの先生に任せよう、と思うと重い肩の荷を下ろせた気がした。

「俺からも、湊人へサプラーイズだ!!」