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愛シテル

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出会い編3 〜April りく也31才 ユアン32才〜






 肩の縫合を終えると、次には脱臼の修復が待っていた。それからまた転んだ子供の額の縫合。貧血の主婦の腰椎穿刺をした後で、血液ラボに急ぎの検査結果を受け取りに行って――すぐに終わると思っていたことに、次々と付属される。りく也が受付に戻れたのは二時間後で、傾いた陽が室内をオレンジに染めていた。ようやく外来にも余裕が出てきて、診察の流れも平常に戻っている。受付にはメイスン一人だった。スミスはやっとで休憩か、もしくはオフになったのだろう。りく也はメイスンに「少し休憩してくる」と断って、搬入口に向かった。
 搬入口の中扉を開けようとして止めた。二十四時間体制のE.R.を開設してから閉じられたことのなくなった門扉の傍に、兄のさく也と東洋人が立って話をしている。相手は見知らぬ顔。
――あれが、加納悦嗣か
 さく也との身長差から見て、背はりく也と同じくらい。日本人にしては高いほうだ。目を引くほどの美形でもなければ、全身からオーラが出ているわけでもない。どこにでもいる男に見えた。
 何を話しているのか、さく也が楽しげに笑っている。声が聞こえてきそうだった。りく也は兄の口の端を少し上げて、何となく笑う顔しか知らない。彼を笑わせるために何でもしたが、りく也に出来たのはその程度だった。
 さく也を笑わせているのは加納悦嗣だ。弟の自分が望んでも与えてもらえなかったものを、他人の彼が与えられた。複雑な心境だった。
「ふん。まったくムカつくね」
 背後から自分の胸の内を代弁した声に、りく也は鋭く反応して振り返った。『さく也のストーカー』だったユアンが立っている。右手にコーヒー、左手にダイエット・コーラの紙コップを持っていた。
「何なんだ、あのイチャイチャぶりは。あんな風に笑うのなんて、サクヤじゃない」
 その容姿に相応しいテノールが、およそ相応しくない棘含みの言葉を紡いだ。鮮やかな青い瞳は、やはり相応しくない表情で門扉の二人を捉えている。
 りく也は彼を一瞥してから、外に目を戻した。
「じゃあ、どんなのがさく也だって言うんだ?」
「笑わないところがいいんじゃないか、クールで神秘的だ。そして音が雄弁に語る」
「ふん」
 りく也は鼻を鳴らした。マクレインではまだ見せたことのない、皮肉の色を含んだ笑みが浮かぶ。ユアンの二人を見ていた瞳が、りく也に落ちた。
「何がおかしい?」
「笑わないんじゃない、笑い方が下手なんだ。クールで神秘的に見えるだけで、あいつは普通の人間さ。おまえ、十七からのつきあいなんだろう? 何にもわかっちゃいないんだな? おめでたいヤツだ」
 さく也の見かけに惹かれるヤツはみんなそうだ。無口で無愛想なのをいいことに、都合の良いように性格付けをする。誰も本当のさく也を見ようとしない。彼らの理想の中原さく也を、勝手に理解したと思い込んでいるのだ。
 きつい物言いにユアンの唇がムッと引き締まった。おまえ呼ばわりされたことが気に障ったのか、「おまえ?」と繰り返した。
 りく也の笑みは自嘲のそれに変わった。
 自分は彼に八つ当たりしている。弟であるりく也が一番兄を理解していると思っていたのに、笑い声を引き出せなかった。そのことが悔しくて、さく也の上辺しか見ていないユアンに対して優越感を持ちたかったのかも知れない。
「リック、十分後にテレンスから一人搬送されて来るから、受け取ってくれないか?」
 バートリーがりく也の肩を叩いた。振り返ったりく也は、いつもの『医学生のリック』に戻っていた。
「ヘリですか?」
「いや、救急車」
「じゃ、出て待ってます」
「頼むよ」
 そう言うと、彼を呼ぶ治療室の方へ走り去った。外来患者は少なくなったが、今日運び込まれた将棋倒しのけが人には重傷者が多く、スタッフは大忙しなのだ。りく也は首をぐるぐると回し、搬入口のドアに手をかけた。
「八つ当たりだ、悪かったな」
 誠意の感じられない謝罪だったが、ユアンの唇の力が抜けて、美しい白い歯列が覗いた。笑ったのではなく呆けた、日本でいうところの『豆鉄砲をくらった鳩』…な顔になった。りく也が素直に謝罪したことは、よほど意外なことだったらしい。
「リク、」
 外に出る体勢に入ったりく也に、何か言おうと呼びかける。首だけで振り返り、
「その呼び方はするな。そう呼んでいいのは、さく也だけだ」
と言い捨ててドアを押し開けた。




作品名:愛シテル 作家名:紙森けい