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愛シテル

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 ユアンが答えを諦めかけた時、マスクでくぐもった声が聞こえた。彼の口元近くにユアンは耳を寄せる。答えは思いもよらないものだった。口元が弛んで、回した腕にも力が入ろうというものだ。
「愛とか恋とか言わなけりゃな」
 リクヤはそれに釘を刺す。
「私は君と『お友達』になりたいわけじゃないんだ。それはわかっているだろう?」
 リクヤがマスクの下でため息をついたのがわかった。
「君と一生を共に過ごしたい。病める時も健やかなる時も、君の隣にいたいんだ」
「…結婚式の誓いの言葉じゃないか」
「そうだよ。友達には贈らない言葉だ」
「おまえは錯覚しているだけだ。他のヤツと違って、俺が思うようにならないから、意地になってる」
 今度はユアンがため息をつく。この言葉は、前に聞いたことがあった。彼からではなく、彼の兄・サクヤから。
「サクヤと同じことを言うんだね?」
「サクヤもおまえに靡(なび)かなかったからな。兄弟二人してモノにならなけりゃ、おまえだって意地になるだろ?」
「ねえ、リクヤ…」
 リクヤの耳に唇を寄せる。誤解だけは解いておきたかった。
「確かに最初は振り向かせたいと思ったよ。でもそれだけで、こんなに長く追い続けることは、いくら僕でも出来ない。君は君の魅力で僕を惹きつけているんだ。サクヤの弟だからと言うわけではなく、君だから。出会ってから何年経っても、その魅力はちっとも褪せない」
「何…言ってやがる」
「だからリクヤ、もうそろそろ僕の想いを受け入れてくれないか? これからの人生を一緒に歩いて行こう。僕達はきっと良いパートナーになれる。二人で恋をし直そう」
「忘れているようだから言ってやるが、俺の恋愛対象は男じゃない。今までも、これから先もだ」
「君は相手が女性でも恋愛はしないじゃないか」
 リクヤが首を動かし、ユアンを見た。視野に入れたと言ったほうが正しいだろう。完全にユアンの顔を見るには、体勢に無理がある。ユアンも彼の表情は確認出来なかったが、横顔から目の様子は辛うじて察せられた。逆鱗ほどではないにしろ、尻尾の先程度は踏んだかも知れない。
「君は恋をしようとしない」
「必要ないからな」
「僕には、君の恋心が必要なんだよ」
 気持ちが先走って、言葉が口を突く。腕の中のリクヤの重みが後押しするかのようだ。彼を追い詰めるな…とユアンの頭の中で響いたが、止まらない。
「愛してる」
「…やめろ」
「愛されることを否定しないでくれ」
「おまえ、いい加減にっ…」
 リクヤがついに身体を離そうとするが、ユアンは許さなかった。長い腕で抱きすくめる。リクヤは数度、抵抗を試みて身を捩った。しっかりと腕の中に入ってしまっている上に、熱と薬のせいで身体が思うように動かない。すぐにそれは断念され、再び彼の重みがユアンの腕と胸に伝わる。想いに応えて身を委ねたのではないとわかるだけに、ユアンは少しやるせない。無理強いするとリクヤは頑なになる。ユアンの盛り上がった気持ちは、やっと冷静さを取り戻した。
 リクヤがなぜそこまで、愛されることや愛することを拒み続けるかはわからない。ユアン相手だからと言うわけではない。同性が恋愛対象にないということだけでもなさそうだった。相手がどんな美女であっても、リクヤが彼女達に求めるものは一夜の情事であって、恋愛ではないのだ。誰とも関係を続けようとせず、結婚もしない。彼との長いつきあいで、その口から愛だの恋だのと言う言葉を、ユアンは聞いたことがなかった――恋をしようとしない。恋と言うものを知らないのではないかと、ユアンは思う。
 ナカハラ兄弟が幸せな幼少期を過ごしていないことは感じられる。リクヤの少ない家族の話の中で登場するのは、双子の兄ばかりだ。そこのところに彼が心に纏う鎧の理由がありそうなのだが、ユアンに踏み込んで聞く勇気はなかった。彼の内面を深く知ってしまったら、もう歯止めが利かなくなるのではないかと思うからだ。
 ユアンには、その頑なな心が弛むのを待つことしか出来ない。
「ごめん、性急過ぎた」
 十六年も待ちつづけて性急過ぎたもないものだが、ここは折れた方が得策だ。これも彼との長いつきあいで学習したことだった。
「謝ることはない」
「怒っていない?」
「おまえの戯言はいつものことだからな」
 ユアンが思った通り、リクヤの語調が幾分か柔らかくなった。
「ひどいよ、リクヤ。僕はいつだって真剣なのに」
 マスクの内で彼が鼻で笑ったのがわかった。
 仕方がない、これが惚れた弱みと言うものだろう――ユアンはリクヤの髪に口づけて、彼の頭に自分の頭を乗せた。
 車は相変わらず進まない。日は完全に落ちて暗闇に変わっているのが、スモーク・ガラス越しにも感じられた。時々、黄色い街灯の光が流れて行く。ゆっくり、ゆっくりと。
 しばらくしてリクヤから静かな寝息が聞こえてきた。マクレインを出る際にジェフリーが飲ませた薬が、本格的に効いてきたのだろう。顔を覗き込む。
「いつか私の本気が、君の心に届くといいけど」
 閉じられた双眸にそう囁くと、マスクの上からキスを落とす。微かな唇の温もりが感じられた。もっと感じたくて、マスクに指をかけると、
「…俺に触るな」
寝言か、それとも呟きか、ほんの少し見えるリクヤの唇から漏れた。何と言ったのかユアンには聞き取れない。「え?」と聞き返すが、返事はなかった。
 マスクから指を離し、ユアンは苦笑した。弱っていても思い通りにはさせてもらえない。こうして抱きしめるのがせいぜいだ。
「まったく、君にはまいるよ」
 子供をあやすようにリクヤの身体を撫でさすりながら、ユアンもまた目を閉じた。




 翌日――
「頭、痛い…」
 目が覚めた時、ユアンの気分は最悪だった。頭が痛く、身体が重だるい。背中がゾクゾクした。これは明らかに病気の兆候だ。甲斐甲斐しく看病しているのはハミルトンで、すでにリクヤの姿はなかった。
 前日、リムジンはクィーンズのリクヤのアパートには行かず、アッパー・ウエストサイドのユアンのコンドミニアムに帰った。薬の効果と快適な環境で一晩ゆっくりと眠ったおかげか、リクヤはすっかり回復。始発が動く時間になるとマクレインに帰って行ったらしい。代わってユアンがベッドから起き上がれない状態となってしまった。まったく、お約束もいいところだ。
 リクヤにこの状態を知られたら多分、「自業自得だ」の一言で済まされてしまうだろう。あきれたような表情で、ベッドに臥しているユアンを見ながら。そのシチュエーションもなかなか楽しそうだった。
 ハミルトンに今の状況をリクヤに知らせてもらうのはどうだろう。それで彼が来てくれたなら、これから先の展開に、少しは希望もあるというものだ。調子が悪くても、この手のことには頭が回るユアンであった。
「ドクター・レイブラッドに連絡を致しました。風邪がうつっているようだから、朝になったら主治医に連絡するようにと、ドクター・ナカハラから申し付かっておりましたので」
作品名:愛シテル 作家名:紙森けい