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愛シテル

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本編7 〜May−前編 ユアン45才 りく也44才 〜





「あら、あなたは」
 リクヤの部屋のベルを鳴らしたはずだ。しかしチェーンキイの間から顔を覗かせたのは、赤毛の女性だった。服は今、着替えたところと言った風情が、カラーシャツのボタンの留め具合から想像出来る。黒か或いは濃紺のブラジャーのフロント・ホックが目に入った。その一瞬の視線に気が付いて、彼女はボタンを一つ、二つ留めた。
「リックに御用でしょ? 今、バスを使っているから、入って待ってて」
 ドアの外の相手がユアン・グリフィスだと知って、赤毛の彼女はドアを開けた。
「いや、お邪魔なようだから、今日は失礼するよ」
「私はすぐ帰るの。今から出勤だから、着替えに戻らなきゃ」
 ドアからすぐに居間の間取り。床やソファに服が散乱している。彼女はそれに慣れているのか、自分の物だけを取り上げて――それはちゃんとソファに乗っていた――、入り口脇の鏡で身支度を確認した。
 豊満な胸に縊れた腰、それから安定したヒップ。女らしい、いかにも柔らかそうな身体は、リクヤが選ぶ女性の典型だ。四十才も後半に入ろうかと言うユアンも腹部はもちもちしかけているが、どう贔屓目に見ても女には見えなかったし、見えたくも無かった。
「じゃ、私はこれで。あっと、いけない。鍵、ここに置いていくから、彼に伝えて」
 彼女はテーブルにキイホルダーを置いて、ドアの外に消えた。
 ユアンは鍵を見つめる。自分の住むコンドミニアムの鍵はずっと以前から渡してあるのに、リクヤはここの鍵を未だにくれなかった。それどころか彼女のように、「とりあえず先に行って入る」程度にも渡されたことがない。渡すと合鍵を作るとでも思っているのだろう。いや、確かにユアンは作る気満々だったが。
 彼女が残した鍵に手が伸びかけた時、入り口と反対側のドアが開いた。腰にタオルを巻いた姿で、リクヤが入って来た。ソファに座っているのがユアンであることに、驚いた表情を見せる。
「なんでおまえがいるんだ?」
 それから時計を見て、
「ああ、そうか。十時からオペだっけ」
と納得するように呟いた。
「彼女は、同業者?」
「心臓(外科)のレジデント」
「君が女性といるところを久しぶりに見たよ」
「一応まだ男盛りだからな」
 冷蔵庫から牛乳パックを取り出すと、そのまま口に流し込んだ。
 年は一年しか変わらないというのに、体型の差は歴然だ。リクヤはどんなに忙しくても時間を割いてジムに通う。だから出会った頃と体型はさほど変わらない。かたやユアンはコンサートやリサイタルにつきもののレセプション・パーティーなどに出席することが多く、美酒と美食に酔った後はベットで一日過ごしてしまうことが常だった。リクヤと同じジムの会員でも、長期のオフにまとめて行くくらいだから、身体が締まるのは一時的で、それも最近ではままならない。着やせして見えるのが幸いしているが、ヌードでリクヤの隣には立ちたくないと思うユアンだった。
「まるで僕を誘っているようだ」
 均整のとれた上半身をまぶしげに見て、ユアンが言った。
「おまえがいるとは思わなかったからな」
 リクヤはキッチンのカウンターにかかったシャツを掴んで身に付けた。彼の身体を見られるのは年に数度もない。プールに入る彼を見ることも目的で入ったジムには、一年近くご無沙汰だった。こんな不純な動機では、長続きしないものなのだろう。
「少しは片付けたらどうだい? 女性を呼ぶには不向きだと思うよ」
 散乱した本や服を見て注意すると、
「ベッドとバスだけきれいならいいのさ」
と事も無げに答えた。
「だったら僕もぜひ、そのきれいなところに入れて欲しいものだね。いつもこんな雑然としたところに座らされて、かわいそうだと思わないか?」
「男は入れる気はない」
「男女差別だ」
「おまえもいい加減しつこいな。俺達は何才になったか知ってるか?」
「知っているとも。私は後ひと月で四十六で、君は後半年で四十五才になる」
 ユアンの言葉が終わらないうちに、リクヤは寝室に消えた。次に出て来た時にはデニムのパンツをはいていて、露出度はかなり下がっていた。彼はキッチンにまた入った。
「四十五と言えば、もう立派な中年だ。白髪もあるし、明らかに顔も老けてる。こんなオヤジをいつまでも守備範囲に入れるな。だいたい最近のおまえの相手は、若いヤツばかりだろう?」
 コーヒーのいい香りがユアンの鼻をくすぐる。二つのカップにコーヒーを注いで、リクヤはユアンの向かいに座った。
「君は変わらない。東洋人は不思議だ。年を取るのがずい分ゆっくりに思えるよ。この前、日本で二人に会ったけど、彼らもあまり変わってなかった。エツなんて私より三つ上なのに」
 エツとはリクヤの双子の兄・サクヤ・ナカハラのパートナー、ピアノ調律師のエツシ・カノウのことである。かつてはサクヤを争った――これは一方的にユアンが思っていたことで、エツシはサクヤの想いに応えることを躊躇していた――ユアンとエツシだが、その後は親友として、また仕事上のパートナーとして、今に至っている。
「君は出会った頃と変わらず、僕を惹きつける。魅力は老いていないよ。だから僕はいつだって、君の前にこうして跪くことが出来るんだ」
 ユアンはソファから離れ、リクヤの前に膝を折った。彼の口元は、嫌そうに歪んだ。
「よくもまあ、歯が浮く台詞をベラベラ吐けるな。だいたい俺のところに来るのは相手が切れた時だけのくせして」
「ひどいな。君が相手をしてくれないから、他を当たっているんじゃないか。それを不実だと言うなら、私の手を取ったらどうだい?」
 両手をリクヤに差し出す。長いユアンの腕は彼の肩の辺まで伸びて、いつでも抱きしめる体勢にあった。
 その手をリクヤはつれなく掃う。「アホクサ」と何語かわからない言葉を吐き捨て、
「女に不自由してないってのに、なんで男とセックスしなきゃらんのだ。俺のコックは全世界の女のためにある。覚えとけ」
とカップの端に唇を寄せた。
「では君のバージンを、私にくれたまえ」
 そう言ってからユアンは慌てて身をかわす。勢いがついて、そのまま後ろに転がった。
 ユアンにはリクヤの気に障ることを言った自覚があった。空気が鋭く鳴って、彼のストレートが向かってくると予想した。いつもの展開ならそうだ。しかしリクヤは素知らぬ顔でコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。予想外の反応に、ユアンは無様に転がったまま「あれ?」と呟いた。
「得意の右ストレートは?」
 リクヤは紙面を見たまま答える。
「おまえの言葉にいちいち反応していたら疲れる」
「丸くなったね?」
「だから年食ったって言ってるだろ?」
「ことさら年を強調するのは止めたまえよ。それに年寄りだなんて、本当は思っていないくせに」
 リクヤはまだ起き上がらないユアンに一瞥くれて、新聞に目を戻した――「意地悪な光をその目に宿しながら。byユアン」
「何、自分でナレーション入れてる?」
「恥ずかしくて起き上がれないから」
作品名:愛シテル 作家名:紙森けい