愛シテル
本編6 〜Christmas ユアン43才 りく也42才 〜
「あまり働きすぎは良くないよ。君は少々ワーカー・ホリック気味だから。僕の言葉は聞かないことはわかっているけど。そこがまた良いところだ。愛してるよ。Happy birthday」
電話を切ったユアンは、ため息に似た息を吐いた。相手はリクヤ…の留守番電話。
リクヤが電話に出ないのはいつものことだ。彼は忙しいE.Rドクターで、夜も昼も、時にはオフさえも関係なく働いているから、アパートに居る時間の方がだんぜん短い。たとえ居たとしても、よほどのことがないかぎり電話は取らなかった。まず留守番電話に切り替わった時の音声で内容を確認し、必要ならかけ直すようにしているらしい――それは仕事の電話に対して有効なのであって、ユアンからのものはたいてい後回しにされ、時には忘れられることも珍しくなかった。
――やっぱり、直接、「おめでとう」を言いたかったな
十二月二十五日はリクヤの誕生日だ。何を贈っても、食事のセッティングをしても、彼は受けようとしない。それでユアンが考えたのが、彼の勤めるマクレイン総合病院E.R外来でのチャリティー・コンサートだった。
二十四日のイブの夜に食堂で演奏する。たとえみんなが聴いていても、ユアンはリクヤ一人のために弾いた。
音楽に関心のない彼のために曲を選び、彼のために演奏する喜びは、ユアンを幸せな気分にさせた。その日の演奏をライブ盤としてCD化し、一枚目をリクヤのために特別仕様にしつらえて贈ると、普段ならどんなプレゼントも受け取らない彼が素直に受け取ってくれる。そして物に執着しない彼が、邪険に扱わず――未開封のままだけれど――本棚にサクヤのCDと共に収めてくれているのだ。部屋でそれを見るたび、やはりユアンは幸せな気分になれた。
「何、ニヤニヤしてるんだ? さっきの電話、誰に?」
背後から手が伸びて、ユアンは頬を抓られた。湿った肌の感触を背中に、上品なソープの香りを鼻腔に感じた。ヴィヴィアンがいつの間にか、バス・ルームから出てきたのだ。彼はヴォーグ誌にも顔を出し始めた若いモデルで、目下のユアンの相手だった。
ヴィヴィアンの手が頬から外れたので、ユアンはその腕を引いて体勢を入れ替え、ソファの上に引き倒した。
「仕事の電話だよ」
「嘘ばっかり。甘い声だったけど? 例のお医者さん?」
紫の瞳がくくくっと訳知りに笑った。ユアン・グリフィスの本命がヘテロのドクターであることは、仲間内では有名だったからだ。ユアンが恋人扱いをする人間はそこそこいるが、どれも本気ではないことも知られていた。
「今夜、僕なんかでいいのかい? クリスマスなんだから、彼と一緒に過ごせばいいのに」
「彼の仕事は年中無休のようなもんだからね。たとえオフでも仕事を理由に断られるんだ」
「何、それ? 冷たいね?」
「冷たいんだよ」
ヴィヴィアンの腕はユアンの首に回され、キスをねだる。ユアンがご要望通り口づけると、
「そんなに冷たいのに、あきらめないんだ? ユアンって見た目と違って我慢強いんだなぁ」
またヴィヴィアンは言葉を繋いだ。
ユアンは苦笑する。何もかも割り切った一夜の恋人は後腐れがなくて良いが、これから情事と言う時に別の人間のことを、それもリクヤのことを聞かれると、興が削がれると言うものだった。とりあえず今は、ヴィヴィアンのために四ツ星を用意し時間を作ったのだから、彼のために思考も使いたい。第一、リクヤの影がチラついては、盛り上がった気持ちも身体も萎える。
「鍛えられたからね。ところで、私はこの続きをしてもいいんだろうか?」
ユアンのそんな胸の内に気がついたのか、今度はヴィヴィアンがユアンを引き寄せ口づけた。
「もちろんさ」
年明けまでのクリスマス休暇を、ユアンは友人連中と過ごすのが恒例だった。今年の行き先はモナコ。地中海クルーズでニュー・イヤーを迎え、あとはカジノとパーティー三昧の日々だ。そのままヨーロッパに残りリサイタルの予定なので、ニューヨークには二月まで戻れない。
無駄だと思いつつ、一応、リクヤにも毎年、声をかける。しかし、いつも予想通りの答えしか返らなかった。つまり「No」
「伝言は?」
ユアンはコンドミニアムに荷物を取りに戻った。有能な執事のハミルトンが、すっかり用意してくれているので、確認するだけで事は足りる。戻るほどのことはないのだが、リクヤが昨日の伝言を聞いて連絡をくれていないかとの期待もあった。これもまた予想した答えしかハミルトンは口にしない。やはり「No(ありません)」
「荷物は車に運びましたが、もう出発なさいますか?」
「飛行機は夜の便だから、お茶をもらおう」
ユアンの母親はイギリス貴族の出自で、彼女が嫁いで来てからグリフィス家では、アフタヌーン・ティの習慣が根付いていた。ユアン自身は紅茶よりもコーヒーが好きなのだが、育ちと言うのは不思議なもので、「午後は紅茶」だとすっかり刷り込まれている。
居間には音楽が流れ、天井まで届く大きなクリスマス・ツリーが飾られていた。その根元には送られてきたプレゼントが溢れている。ハミルトンが入れてくれた温かい紅茶に口をつけながら、ユアンの頭にふとリクヤの顔が浮かんだ。
今日は彼が生まれた日だ。ユアンが知る限り、リクヤがこの日、仕事を休んでいることはなかった。ユアンの誘いを断る方便ではなく、いつも出勤シフトになっているのである。女性関係が隆盛だった頃も、クリスマスには必ず仕事を入れていた。
誕生日を祝うこともなく、クリスマスで浮かれることもなく、敬虔に過ごすわけでもなく――彼にとって『今日』と言う日は特別ではないのだろうか?
ユアンは自分の誕生日を振り返ってみる。幼い頃は両親と年の離れた兄姉達が祝ってくれた。やがて友人を招いたパーティーとなり、成人してからは友人達が毎年、趣向をこらしてユアンを楽しませてくれる。
世の中には誕生日どころでない人間もいるだろうが、リクヤはその類ではないはずだ。世間に認められた職業に狭くない交友関係。実際、ユアンはリクヤの誕生日だと思うだけで、ジッとしていられない気持ちになると言うのに。
「ハミルトン、寄りたいところがあるから、もう出かける。車の用意をしてくれないか?」
ユアンは紅茶をそのままに立ち上がった。
とにかくひと目会っておこう。そして直接、「Happy birthday」と伝えてから旅立とう、邪険にされてもかまうものかと、ユアンはリムジンをマクレインに向かわせた。
途中、二台の救急車が追い越して行った。方向が同じだから、マクレインに向かっているのかも知れない。となると、今日は忙しいだろうか…と、ユアンは思った。
案の定、マクレインの搬送口に救急車が二台止まっていて、医師や看護師が数名、患者を迎えに出ている。少し離れたところに車を止めさせ、ユアンは患者の搬送の様子を見ていた。
――いた
二台の患者のストレッチャーのそばに、リクヤの姿があった。一人目の患者に付く若い医師に何やら指示を出し、二人目の患者には彼自らが話しかけている。そうして救命士の症状報告を聞きながら、動き出したストレッチャーと共に病院の中に入ってしまった。