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愛シテル

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本編5 〜Christmas Eve りく也42才 ユアン43才 〜




 クリスマスが近づくと、世間同様にマクレイン総合病院にも浮かれ気分が漂っている。どの病棟に行ってもリースやオーナメントが飾られて、華やかだ。 
 年中無休で忙しいE.R.にも、平等にクリスマスはやって来る。飾りつけは二日前かイブの朝にようやく始まる。一年間倉庫の隅に忘れられていた、「クリスマス用」と書かれたダンボールを、気が付いた誰かが持って来てからだった。時には当日になったりすることもあったが、誰も気にしない。クリスマス休暇は年明けまであって、それまでずっと飾られるからである。
「いい加減にこのモールも変えた方がいいんじゃないの?」
と、くたびれた金モールをダンボールから摘んで、チーフ・ドクターのカイン・バートリーが言った。しかし誰もその言葉に返答しない。積雪による事故や流行り始めたインフルエンザで、朝からいつも通りE.R.は忙しかったからだ。だから彼も箱の中を見ただけで、飾り付けをする余裕はない。すぐにお呼びがかかってモールを箱に戻すと、声の方に向かった。
「これ、どこに運ぶんすかね?」
 搬入口から小奇麗な作業着姿の男が叫んだ。その後ろにはマットで厳重に覆われて台車に乗った、大きな荷物が見える。脇で二人の男が支えていた。
「ああ、突き当たりの食堂だ」
 受付のメイスンが答えると、荷物は重たげに言われた方向に動いた。
 ローテーションで来たばかりの医学生や、新参の看護師達が荷物を凝視する。独特のシルエットから分解されたグランドピアノだと知れた。
「あれはね、クリスマス・コンサート用のピアノだよ。今夜、七時から食堂で始まるから、手が空いていたら聴きに行ったらいい。演奏者はユアン・グリフィスだから。まあ、行かなくても充分聴こえるけどね」
 レジデンシィ四年目のロバート・ジャレットが説明した。
 イブの午後七時からE.R.の食堂で,、ピアノのミニ・コンサートが開かれるのが、ここ六年ほどの恒例だった。アメリカが誇る世界的ピアニストのユアン・グリフィスが、チャリティで演奏するのである。
 その経緯は、やはりりく也絡みだった。十二月二十五日は彼の誕生日である。ユアンが有名レストランのディナーを予約して招待しても、仕事を理由にりく也は受けない。誕生日だからと高級なプレゼントを用意しても受け取ろうとしない。…で、考えた末がこのコンサートなのである。りく也の為の演奏は、結果的に患者やスタッフを慰め、また『黄金のグリフィン』が弾くとあって病院側は大歓迎だった。クリスマスに相応しい曲を演奏するという条件で、りく也もこのプレゼントを受け取ることにしたのである。
「ステキですねぇ、先生の為の演奏だなんて」
 医学生のダイアン・クロスがうっとりと言った。
「だろう? なのにこの男ときたら、イブの日は一日機嫌悪いんだよ」
 サブ・リーダーのジェフリーが、カルテを物色中のリクヤを指差した。
「イブは忙しいからだよ。だいたい祝われて喜ぶような年か」
 りく也はお目当てのカルテを見つけ出した。何歳になったのかとダイアンが聞くので、ジェフリーが「四十二」と代わりに答える。
「いくつになっても誕生日を祝われるって嬉しいもんだけどな」
「俺は嫌なのさ」
 そう言うとリクヤは患者の待つ診察室に向かった。
 りく也の誕生日の記憶は八才で止まっている。母親と双子の兄と三人で祝った最後の誕生日。父に引き取られて以後、『誕生日』はなくなった。義母と異母姉妹達にとっては、愛人の子供の誕生日など覚える必要性がなかったからである。彼女達にとって十二月二十五日は、クリスマス以外の何物でもなかった。財閥主催のパーティーの陰にりく也の誕生日は忘れ去られていった。
「先生、今年のプログラムはなんですかね?」
 患者の中にもコンサートのことを知っている者がいる。たまたまイブに運ばれて聴いたことがあったり、常連だったり。口コミで広まって聴衆が増え、仕事に支障が出る前にE.R.の患者のみと限定されたので、わざとその時期を狙って怪我をする人間も出るくらいだ。これも忙しくなる要因になっている。
「私も知らないんですよ」
 笑顔でやんわり答えはするが、会う人ごとにそれではいい加減疲れようと言うものだ。
 担当する数人の患者を診察し、ようやく一息つけた頃、表の方が騒がしくなった。華やかな声だから、たぶん『黄金のグリフィン』の登場だろう。またうるさくなるな…と、りく也は患者にそれと気づかれないようにため息をついた。




「センセイ」
 日本語の幼い声に呼び止められて、食堂の前を通り過ぎようとしていたりく也は立ち止まった。入りきらない人で溢れている食堂の入り口に、吸入器を片手に持った少年が立っていた。
「やあ、君も聴きに来たのかい?」
 五日前に運ばれて来た八才の子供である。父親のニューヨーク赴任で日本から着いてほどなく、環境の変化で喘息の発作を起こしてしまった。父親以外は日本語しか話せなかったので、担当したりく也に母親ともども懐いている。一昨日から小児病棟に移った。
「うん、すっごく有名な人なんだってね。ぜひ聴かなきゃってお母さんが」
 両親は少し離れたところでカインと看護師長のエレン・ミレンと話していた。
「先生は聴かないの?」
「まだ患者さんが待っているからね、残念だけど」
「でも、この人、先生の恋人なんでしょう?」
 ギョッとりく也が目を見開いた。子供が日本語しか話せないことが幸いして、周りは誰も気がつかない。
「えっと、それはどう言う意味かなぁ?」
「ピアニストの人と先生が恋人同士だって、お母さんがレイコおばちゃんと話してたよ」
――レイコおばちゃんて誰だよ
「でね、お母さんは先生のこと絶対ウケだって言ったら、レイコおばちゃんはピアニストのおじさんの方がウケだって言って、言い合いになってたよ。先生に聞いたらいいのにって言ったら、お母さんたちには聞けないって言うんだ。先生はウケなの?」
 どんな字を使うのか知らないが、りく也は聞いたことがない。
「知らないなぁ。聞いたことないけど、何語なんだろう?」
「オタク用語だって、レイコおばちゃんが言ってた。お母さんとレイコおばちゃんはオタク友達なんだって」
 オタクと言う言葉は知っている。アニメやら漫画やら何やら、とにかく一つのことに精通しているインドアな人間――と言うのがりく也のオタク考だった。しかしそれが正しいかどうかは定かではない。りく也には縁のない世界だったからだ。
「おかあさんはもう一つ名前があって、『むろらん小町』って言うんだよ、あ、お母さん」
 子供が喋ることはあまり理解出来ない。りく也は適当に笑顔を浮かべて聞き流していると、両親がりく也を見止めて近づいてくる。子供の母親はおしゃべりだ。日本語を話せないストレスを、E.R.で加療中、りく也で解消していたのではないかと思うほどだった。E.R.での謝辞を彼女は一通り喋った。話が途切れたところで、『ウケ』の意味をりく也が尋ねようとした時、ワッと拍手が沸いた。まもなく演奏の始まる時間だ。
「あら、始まっちゃう。先生もお聴きになるでしょう?」
「いえ、私はまだ仕事がありますから、ほら、呼んでる」
作品名:愛シテル 作家名:紙森けい