愛シテル
「このベット、セミ・ダブルじゃないか。二人で寝ても十分だと思うけど?」
とユアンが言うのに右の中指を立てて答え、バス・ルームのドアの中に消えた。
シャツにズボン、靴下にアンダー・シャツ――ベットからバス・ルームまでの間に、リクヤの跡が残る。これは彼の癖で、アパートでも椅子や床やテーブルの上に服が脱ぎ散らされていた。その痕跡が可愛いとユアンが思っているだなどと、リクヤは想像だにしていないだろう。知れば、アパートには出入り禁止になる。やっと理由があれば、嫌々ながらも入れてくれるようになったと言うのに。
だから内緒だ。こうして愛おしく見つめていることなど。
「それで?」
シャツのボタンを止めながら、リクヤがユアンを睨む。外はすっかり朝になっていて、レースのカーテン越しに、カルフォルニアの抜けるような青い空が見えた。
「だって君、シャワーを浴びながら寝ていたから」
「だからって何で裸のままなんだ? そしてどうしておまえもベットにいるんだ? それも裸で!」
語尾がきつくなったところで、リクヤは額に手をあてた。二日酔いで声が頭に響くのだ。ベットに横たわったままのユアンは、思わず笑う。それをまたリクヤは睨んだ。
「何もしていないさ。意識がない君をどうこうするのはフェアじゃないからね。やっぱりセックスするとなると、お互い楽しまなく…」
リクヤの右の拳が握られたので、ユアンは口を噤んだ。ハイスクール時代にボクシング部だったリクヤが、本気でユアンを殴ったことはないが、軽く当たってもダメージはある。
昨夜、バス・ルームに入ったままいつまで経ってもリクヤは出てこなかった。ユアンが様子を見に行くとシャワーにうたれながら彼は眠っていて、ベットまで引きずるようにして運んだ。全裸のままで寝かせて添い寝をしたのは、これぐらいの役得は許されると思ったからだった。事情を話して聞かせると、リクヤは浅くため息をついた。
「眼福だったよ。トレーニングは続けているのかい? どこも弛んでないきれいな身体だ。隣でただ寝るだけなんて、拷問のようだった」
何度、触れそうになったか知れない。いや、一度は背中から抱きしめた。すっかり正体を無くして眠るリクヤは、口づけた時とは違って起きる様子はなかった。濡れたままの彼の髪の冷たさが、ユアンの理性を保たせたのだ。抱きしめた肩越しに頬にキスをして――とりあえずそこまでで我慢した。ユアンがセックスに求めるものは、抱くにせよ抱かれるにせよ心が伴なった上での快感だから、独りで盛り上がりたくはなかったのである。
反応を期待したユアンの言葉は無視されて、リクヤはイスの上に出しっぱなしになっているノート型のPCの電源を入れた。
「オフまで仕事?」
それも無視して、リクヤはキーボードを叩いた。昨日、教会からホテルに戻ってディナーを誘いに来た時も、彼はPCに向かっていた。訪ねたアパートでも常に電源は入っていて、羅列された数字が動いていたことを思い出す。リクヤはネットで株を運用することが趣味なのだが、興味の無いユアンはモニターを見たことはなかった。見てもわからない。アナログこそがクラシックの真骨頂だと疑わないユアンは、個人的なメールのやり取り以外は、マネジャー任せにしていたので。
「よしッ、やったぞ!」
パシッと手を合わせて、リクヤは嬉しそうな声を上げた。
「リクヤ?」
「損した分は取り返した。良かった、一時はどうなるかと思ったぜ」
「損したのか、君?」
リクヤがやっとユアンを見る。珍しく喜色満面だ。聞けばリクヤの持ち株の一つが一昨日からいきなり株価を下げ始めたらしい。それの関連株も見る見る値を下げ、必死の攻防も空しく、昨日の朝の段階でかなりの損益を出していた。
「あのままじゃ全部処分しても埋められないところだった」
損益の半分まで回復したところであきらめて教会に行ったので、式の間も気が気でなかったとリクヤが笑った。自分でも全開の笑顔だと気づいたのか、それは一瞬で消えた。
「もしかして、あんなに飲んだのは…」
「飲まなくてやってられるか。向う何年か分の給料がパアになるどころか、破産宣告しなきゃならないとこだったんだからな」
半身を起こしてリクヤを見ていたユアンは、ベットに身体を戻した。それから吹き出す。自分のセンチメンタリズムが可笑しかった。
部屋中に響くほどの笑い声に、リクヤは鼻を鳴らした。
「どうせおまえのことだから、さぞや俺をドリーマーな目で見てたんだろうな」
「ああ、そうだよ。あんなに落ち込んでいるから、僕はてっきり、サクヤの結婚がショックなんだと思っていた」
あまりの可笑しさに、目の端に涙が溜まる。あきれたようにリクヤがユアンを見ていた。「近親相姦ホモじゃないぞ」と表情が物語っている。
「早く何か着ろよ」
「僕もなかなかいい身体だと思わないか? 見惚れてもいいんだよ」
ブランケットを捲って見せる。もちろんユアンは全裸だ。リクヤは一瞥して鼻で笑った後、
「男の裸なんか見て、何が楽しいんだ。それにおまえ、腹が弛みかけてるぞ。ジムに行くの、サボってるな?」
と続ける。そして「これで気分よくシャワーだ」と、バスルームに向かった。
昨夜同様、ユアンはそれを目で追う。ボロボロな彼も可愛かった。しかしリクヤはリクヤらしく大股で颯爽と歩く方がいい。自分にだけ憎まれ口を叩く彼が、やはり一番ユアンを惹きつける。
しばらくしてシャワーの音が聞こえ始めた。一晩、同じベットで眠ったリクヤの身体を思い出す。今年中にはユアンと同じに四十代になろうかと言う彼だが、贅肉のないしなやかな身体だった。
腕には抱きしめた時の感触が、まだ残っている。記憶の余韻を楽しむように、慈しむように、ユアンは空(くう)を抱いた。