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愛シテル

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本編2 〜September りく也35才 ユアン37才〜





その朝は晴れていた。
 夏の延長のような陽の光だった。
 天に伸びるように立つ二本のビル。北側の一本からはしかし、空の青におよそ似つかわしくない黒煙が噴き出していた。
 それから二十分も経たないうちに、南側のビルからも黒煙が上がった。
 残骸が降り注ぐ。
 つい数分前まで飛んでいた鉄の鳥。そしてつい数分前まで息をしていた魂。落下する黒い小さな影は、無機物ばかりではないはずだ。
 映し出された光景に、全ての音は忘れられた。救急指令センターからの無線、緊急車両のけたたましいサイレン、怒鳴るような声、それら全て。実際、音は変わらず存在していたのだが、人々の思考は視覚に集中し、それ以外の感覚を締め出してしまった。
「ひどい…」
とは、誰の声だったろう。一人のものであり、そうではなかったかも知れない。発した本人さえ自覚していない小さな呟きは、マクレインのスタッフを現実に引き戻した。
 無言で持ち場に散って行く彼らは、それから一時間後に更なる悲劇を見る――マンハッタンの象徴が、一瞬にして消え去る様を…。




 現場で出来ることと言えば、死体を運んだり、人であった欠片をバケツに拾いながら、瓦礫の中を歩くことだけ。
 命を助けるために最善を尽くす――医者としての基本と使命は、その場において無意味だった。求められていることは、人間の部分であるかそうでないかの判断。人を生かすための技術は必要ない。重くなるバケツは、心をも重くした。それでも医師達はただ黙々と歩き続けるしかなかった。
 各病院から派遣される医師の中に、りく也の姿もあった。ERドクターと言う職業柄、様々にひどい状態の患者を診ている彼は、東洋人特有の読めない表情で、淡々と仕事をこなしていた。しかしそんなりく也でさえも、やはり休憩時間はなるべく離れた場所を求めた。
 第二棟から南へ下り、休憩場所を探す。どこまでも追ってくる焦げたような匂いは仕方がないとして、現場が出来るだけ視界に入らない場所が理想だ。先客がいないところが望ましい。会えば一言二言、今回のことを話さずには済まないから。休憩である以上、身体の全ての機能を休ませたかった。
 影を選んで腰を下ろす。ポケットの中でひしゃげた煙草を取り出し、形を直した。防塵マスクを外してそれを銜える。本当なら火を点けたいところだったが、何が充満しているかわからない現状では禁煙も仕方が無い。ただ火は点けなくても、煙草独特の葉の匂いがすんと口中に広がり、日常を思い出させた。
 道路は大量に降った残骸が積もったままで、時折の風に書類だった紙切れが埋もれながらも揺れる。
 なるべく思考しないように努力した。嗅覚だけでも日常を感じたくて煙草を口から離さない。それを口にしている間は『バケツの重み』を忘れさせてくれたが、ぼんやりとした視界に否応なしに痕跡は入り込んでくる。前髪をかき上げれば、土埃によるパサパサした感触が指に残った。りく也の些細な努力など、いつもそれらに飲み込まれてしまう。この場にいる限り日常には戻れないのだと、自嘲気味の笑みを口の端に浮かべ、フィルターの部分を噛み締めて尚更に匂いを求めた。
「失礼、よろしければ煙草を一本、頂けませんかね?」
 一本目のフィルターがボロボロになった頃、りく也は声をかけられた。影と日向の境に人が立っている。伏せていたりく也の目は最初、初老の白人男性だということ以外を認識出来なかった。一人の時間を邪魔されたくはなかったが、追い払うわけにもいかない。
「火は点けない方がいいですよ。俺もご覧の通りだ」
 指で挟んだ火の無い煙草を見せる。
「構わないよ。実は少し、人と話がしたくて」
と言うので、りく也はポケットのひしゃげた箱を差し出した。彼が影の中に入って来た時、りく也はどこかで見た顔だと思った。
「ありがとう」
 耳に滑り込む声を懐かしく感じたが、思い出せなかった。彼の胸にはIDカードがぶら下がっていて、煤で汚れた中に辛うじて『Dr.』の文字が読み取れる。一般のボランティアが立ち入りを禁止された区域にいると言うことは、同業者――かり出された医療関係者なのだろう。どこかの学会で会っているのかも知れない。
 りく也は身体をずらして、座れるように場所を作った。軽く会釈をして、彼がその場に腰を下ろす。差し出された箱から煙草を一本抜き取り、りく也と同じく火を点けないまま銜えた。
「どんなことがあっても、空は晴れるものなんだなぁ…」
 紫煙を吐くように長く息を吐いた後、彼はポツリと呟いた。りく也は胸の内でため息をつく。誰かと一緒になると、どうしてもこの状況についての話になってしまうのだ。煩わしいこと、この上ない。適当に時間を見計らって、さっさと場を立とうとりく也は思った。
「陽は沈むし、月は昇る。また朝が来て、永遠に来ないと思っていた『明日』になる。時間と言うものは、実に律儀だ、そう思わないかね?」
 りく也の算段など知るはずもない彼は、目じりに皺を作って顔を向ける。心の内を見透かされたかのようなタイミングだった。一瞬、面食らって、りく也が「はあ」としか答えられずにいると、彼は微笑んだ。その笑顔と、高からず低からず心地良さを感じる声音は、やはり知っている気がした。
 りく也は路上の紙切れに目を戻す。先ほどと同様に、風に揺れていた。
「…だからすぐに忘れる。どんなにひどい目にあっても、いずれ過去にするんだ」
 普段なら、少しは気の利いた答えを返したろう。見ず知らずの人間に眉間の皺など絶対に見せないりく也はしかし、今はひどく疲れていて気持ちがささくれ立っていた。そこ、ここに散乱しているゴミと化した物、物、物。見ている紙切れもさっきと同じかどうか。それらは今回の行いが如何に多くのものを失わせたかを語り、同時に疲労も助長した。
「忘れることも必要なんだよ」
 りく也の呟きに彼が答える。
「辛い思い出にいつまでも縛られていては、前に進めないだろう?」
「前に進んで、また繰り返す。愚かなことを、何度も」
「では君は、忘れたことがないのかい?」
 自分の眉間の皺を意識したりく也は、なるべく自然に笑顔を作った。
「俺だって人間ですからね、忘れてきましたよ」
 携帯用の灰皿に煙草を突っ込むと、りく也は腰を浮かせた。こんな禅問答みたいな会話で、貴重な休憩時間を潰したくない。当初の予定通り、そろそろこの場を離れることにした方が良さそうだ。
「そうかな、私には忘れられずにいて、立ち止まっているように見えるけど?」
 立ち上がりかけたりく也は、思わず彼を見る。見上げる彼と目が合った。相変わらず笑みが浮かんでいる。
 確かにこの男と会ったことがある――記憶の中をひっくり返し、彼の『笑顔』を探した。
「どう言う意味ですか?」
 笑顔を探し当てるより先、口が動いた。相手を見下ろす格好になっていることが気になり、元の場所に無意識に腰を下ろしていた。立ち去る機会を失ったことに気づく。りく也は心中で舌打ちした。
「そのままの意味。表情のない顔をしているから」
と彼は答える。口の端に笑みは残るものの、目にはそれがなかった。
「そりゃ、こんな現場で働いているんだから、ニタニタ笑ってもいられないでしょう?」
作品名:愛シテル 作家名:紙森けい