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コート・イン・ジ・アクト5 墨須夫妻

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05



「あいつ、今日は病気で仕事休んでることになってるのか?」

おれは言った。自然に声をひそめるような形になった。零子と順子と三人で顔の寄せ合いになる。

零子が言う。「なんじゃない? 昨日のことも内緒なんだよ、きっと」

「ガラウケ(身柄引受人)とかどうなってんだよ。なんにもなしに署から帰しちゃったのか」

「どうかなあ。『会社にだけは知られないように』って、泣きついたりしたのかも」

「だったらそもそもあんなことするなっていう話じゃん」

言ってる間にも玄関から、純一とイケダなる女との扉越しの会話が聞こえてくる。

純一が、「あ、いや、そう、そうなんだ。いま病院に行こうと思って、ようやく起き上がったとこで……」

『ああそうなの、ここ、開けてくれる?』

「いやそれは。風邪が感染(うつ)るといけないから」

『そんなこと言わないで』

「いやその、ただの風邪じゃないんだ。おたふくだから」

『あ、それなら大丈夫。あたし子供の頃やったから』

零子が順子に、「誰なんですか、あの彼女」

「さあ、あたしもわかんない」

――と、その彼女の声が、『いま誰かいるの? 奥さんは?』

「いや、ぼくひとりだけど……」

「ん?」

おれ達は顔を見合わせた。何も言わずにたちまち全員の意思が通じた。

誰からともなく部屋の戸を閉めにかかる。そっと、音を立てないように。

うまい具合に部屋は和室で戸は襖だ。ちょっとだけ隙間を残して戸を閉めて、おれ達三人は上下に並び、隙間に眼を突っ込むように純一の方を覗き見た。

純一は、一度振り向いてこちらを見た。この男も家にいるのが妻だけならば、『居る』と応えたのだろう。だがおれと零子がいては、自分の他に誰もいないことにしたくて当然かもしれなかった。

今日のおれ達は普段着の上に黒いタクティカル・ベストを着けた略式装備だ。それでも胸には《POLICE》の金ピカワッペン、各種ポーチがふくらんで、背中に《神奈川県警察》の文字。腰にグロックと手錠と警棒、頭に紺の警察キャップを被っている。

いかにもマッポ(警官)という格好だ。こんな姿の人間が家に居るのを他人に見せたく思う者はあまりいるまい。警察マニアかなんかだったら、『ウチにいま殺急が来てんだぜ』とオタク仲間に喜んでメールを打つのかもしれないが。

だがそれにしても、妻までいないことにするのはまずいだろうと思うけどね。順子のようすをちょっと見ると、『これはおもしろいことになった』という表情で夫の方を覗いている。

その視線を純一は、レーザーメスで体を灼き切られていくかのように感じていることだろう。妻とそれからおれと零子、六本のレーザービームでスパスパとタクアンを切ってくみたいにされてる気分に違いない。

うん、こいつはおもしろい――おれは思った。やっぱり会社をサボったりしちゃいけないね。人間、マジメに働いてると、たまにおもしろい仕事があるね。

純一はドアを開けた。若い女が立っていた。

「まあ、凄い汗。大丈夫なの?」

「だ、大丈夫……じゃあないかな。熱が……」

「病院へ行くんだったら送ろうか。あたし、クルマで来てるから」

と彼女は言う。『妻は不在』と思い込んで口の利き方が変わったようだ。

「え、あ、うん。ちょっと待って」

純一は言ってこちらにやって来た。おれ達が隠れている戸の前で止まり、変な声の張り上げ方で、

「そういうことなら、送ってもらおうかなあ」

と言った。

おれは急いで、タクティカル・ベストのポーチからメモ帳とペンを取り出した。

《でてったら逃走とみなしてたいほする》

と、ひらがなばかりの文に〈逃走〉の二文字だけ漢字で殴り書きつけて、戸の隙間に差し入れる。

三秒ほどして純一の声が聞こえてきた。

「いやあ、やっぱり、病院へ行くほどのことはないかもしれない……」

おれと零子と順子の方が、笑いをこらえておたふく風邪みたいな顔だ。

「えっ、大丈夫なの?」

「ウン大丈夫。寝てれば元気になると思うな。それより君の方こそどうなの。こんなとこにいて大丈夫なの?」

「ええ、あたしは他の用事の帰りだから。午後までに戻ればいいことになってるの」

おれは腕時計を見た。『午後』というのは、昼休み後の午後一時頃って意味だろう。あと二時間近くもあることになる。

「そんなわけでここに寄ってみたんだけど」

「それはどうもありがとう。心配かけて悪かったね。それじゃ、ぼくは大丈夫だから、この辺で……」

「どうしたの? ほんとになんか凄い汗が出てるけど。やっぱりだいぶ悪いんじゃないの?」

「う、うん。そうだな。寝てなきゃダメかな。それじゃあどうも……」

「やっぱり病院行った方が」

「いやいやそこまでのことはない」

おれと零子と順子とは、声を出さずに笑うのがもう大変でたまらなかった。三人でパントマイムを踊り出す。

「とにかくちょっと入れて」

とうとうイケダなんとかは、中に上がり込んでしまった。

おれ達三人が隠れてるのがこの家の居間で、もうひとつの部屋が寝室。彼女は純一を引きずるように寝室の方に入っていく。

それに対して純一が何か話しているのだけれど聞こえない。いや、聞こえはするのだが、低い声でボソボソとひそめた口調で聞き取れないのだ。

しかし彼女は大声で、『なんでそんな声出すの?』

『え? いやその』と純一。『まずいじゃないか。こんなところを人に知られたら、どんな誤解を受けることに……』

『何を今更』

『いやあその、誤解がね、誤解、ゴカイ、ゴカーイ』

零子が何か取り出した。警察用携帯電話だ。タッチパネルをちょいちょい押しておれと順子に見せてきた。

ディスプレイに《録音中》の赤い文字が表示され、タイムカウントされている。

『ねえ、どうしたの?』と彼女の声。『それより、あのさ。頼まれていたお金のことなんだけど』

『わーっ!』と純一。もはや悲鳴だった。『その話は今日はよそう! いいから、ウン、ぼくは大丈夫だから。その話はまた今度……』

『え? だけど、持ってきたのよ。これがなけりゃ困るんでしょ』

『ははは。なーんのことかなあ。お金なんか頼んだっけ?』

『ちょっと、どうしたのよ』

『カネなんか頼んだ覚えはない! ぼくは知らないぞ。君はどうかしてるんじゃないか?』

『何言ってんのよ。あれほど――』

『知らん! ぼくは何も知らんぞ。ホントだ!』

順子を見ると笑いをこらえて餅が喉につかえたような顔をしている。