コート・イン・ジ・アクト5 墨須夫妻
テレビをつければ毎日毎日、何かしら世を騒がす事件や事故が報道される。しかしそんなの空に一億の星があればひとつやふたつが超新星爆発を起こして当然なのと同じの稀な現象だ。他の九千九百万の星々だって観測すればそれなりに興味深い活動をしているはずで、人間はそんなに利口な生き物じゃないからいつもどこかでセコい事件が起きている。
そこらの交番のおまわりさんが犬のように散歩していて棒と当たるのは大抵ラチもない事件だし、神奈川全域を管轄として不慮の死だけを扱うおれ達殺急の木村班も出張る事件の九割方はバカな市民がバカな死に方するだけのまったくどうしようもない始末だ。「くだらない」とか「こんな話をなんでする」と言われちゃっても困るんだよね。スーパーノヴァがそんなにあるわけないんだから。
この一件は実にくだらん。だがこれこそリアルな現実なのであり、おれ達下っ端警官を手こずらせる真に厄介な難物なのだった。人間とは結局こういう生き物なのであるからだ。
ああ、廃止論者の作るエセ社会派映画のように、こんな夫婦はまとめて冷凍催眠刑務所の氷漬けにでもしてやりたい。そうした方が世の中からバカが減っていいじゃねえかよ。
結局、班長と佐久間さんは書類仕事があるとか言って出て行ってしまった。おれと零子が残ると告げると墨須順子が噛みついてきた。
「ちょっと待ってよ。二時までここにいるですってえ」
おれは答えた。「何度も申しますように、そうしなければならないもので」
「ふざけないでよ。用がないなら出てってくんない」
「いいんですか。ご主人が『お前を殺して俺も死ぬ!』なんてことになったとしても。二時まで予知はできないんですよ」
横で純一が恨みがましい眼つきでもって妻を見る。
順子は言った。「ハン、こいつに本当にあたしを殺す度胸なんてあるもんですか」
すると純一が、「順子! お前な、誰のおかげで食っていると思ってるんだ!」
「よく言うわ。あんたの稼ぎじゃ足りない分を誰が体で稼いできたと思ってんの」
「お前ってやつは! 風俗とかAVなんかに出るのはやめろと言ってるだろう!」
「金になるだけいいじゃないの。あんたにそんなことが言えんの。いっつも十倍にするとか言ってその金持ってくんじゃないの。いつになったら十倍で返してくれんのよ」
「その話は今しなくていいだろう」
「いーえ、聞かせてほしいわねえ。おまわりさんの見ている前でさ。あたしのお金、あんたなんに使ってるわけ」
「いや、それは……」
ちょっと警察官として聞いてみたくなる話がありそうだった。零子が言った。「あの、もし良かったら――」
「聞いてよ、ねえ、この人はねえ!」
「いやいやいや」
なんだなんだ、どんな話が聞けるんだろうと思ったところにピンポーンとチャイムが鳴る音がした。
玄関の方からだ。純一が椅子にバネでも仕込んであったみたいにピョンと飛び跳ね、「ハイハイハイ、どちら様?」と言いながらその方向にスッ飛んでいった。
墨須夫妻が住んでるここは夫婦住まい用のアパートだ。昨日のパンツの部屋よりだいぶ上等だが、部屋がふたつにキッチンひとつ。後はユニットバスしかない。
戸を開ければおれ達のいる部屋から玄関が見える。おれは純一が出て行くのをただ黙って見送った。
まあ、逃げやしないだろう――と言うか、かえって逃げてくれた方が大助かりになるかもしれない。追いかけてって捕まえて、〈逃亡のおそれ有り〉ってことで在宅取り消しの拘置所送りにしてやれるかもだ。叩いてホコリが出てくるようならデカさんだって喜ぶだろう。
純一はドアに向かってまた言った。「どちら様ですか?」
『あの……』若そうな女の声がした。『イケダです』
おれからは純一の背中しか見えない。しかし背中が男の人生を語るってのはやはり本当かもしれない。純一の背中は実に雄弁だった。〈ボクには後ろ暗いところがあります〉という文字がクッキリ浮かんで読めた。
〈よりによってまずい時にまずい女が。これはなんとかしなければ〉というデジタルな心の動きが、ギクッとした彼の動きにアナログ信号として変換され、おれの眼により再びデジタル情報へと置き換えられて手に取るように伝わってきた。おれはどうやらいい時にいいところにいたようだ。
純一は言った。「ど、ど、どちらのイケダ様ですか」
『何よ。あたしよ。会社のイケダ。墨須さん、起きてて大丈夫なの? 今日は具合が悪かったんじゃ――』
作品名:コート・イン・ジ・アクト5 墨須夫妻 作家名:島田信之