コート・イン・ジ・アクト5 墨須夫妻
03
「あんなやつ、叩けばホコリがワンサと出るに決まってるじゃないか」
と班長が言った。
「墨須順子と関係してた野郎なら、あの後所轄に引っ張られて行っちまったよ。マエが相当あるらしいから、今度は当分出て来られないんじゃないの」
「ははあ」
とおれ。やっぱり全然同情する気は起こらなかった。
「じゃあ夫の純一ってのは?」
「包丁持っていたうえに、風呂場の格子を外して侵入したんだからな。無罪放免てわけにいくまい……けどせいぜい書類送致、在宅起訴ってとこじゃないか? 後でバンショに呼び出し喰らって、罰金何万円かで終わりさ」
「でしょうね」
とまたおれは言った。
夫が妻の浮気相手を殺すと言っても、やはりほんとに混じりっ気なしの衝動なんて話は現実にないもんだ。薄々勘付いていた夫が妻を尾行して突き止める。部屋に入っていったところでドアをガンガンぶっ叩く。
「開けろ! いるのはわかってるんだ!」と踏み込んでってボカスカドカ、「やめてあなた、それ以上やったら死んじゃうわ!」「うるさい! お前は黙ってろ!」
なんていうのが大概の話。
わかりやすい人間てのはこっちも仕事がしやすくていい。ドアをガンガンやり出したところで銃を突きつけ「ハイそこまで」とやっておしまい。
逮捕なんかするまでもない。突入服で取り囲んでショットガンをチラつかせても「警察が夫婦のことに口出すな」とか喚くようなら、問答無用で柔道技で組み伏せる。おとなしくなったところで「こんなところじゃなんですから近くの署まで」と三人まとめて最寄りの所轄警察署に引き渡してやるだけだ。
たとえゲンタイにしたところで送致されず起訴されず、カウンセラーに診せて終わり。それですっかり肝を冷やしてその後は夫婦円満に――いくかどうかはおれの知ったこっちゃない。離婚でも別居でも絶縁でも離縁でも縁切りでも離別でもなんでも好きにすればいいのだ。
しかしあの墨須純一という男の場合はちょっと違った。ネジ回しを用意して窓の格子を外したのは事前にあの場を下見して、格子はネジ止めされているだけ、その内側のガラス戸はクレセント錠を掛けていないと知っていたということだ。
衝動や錯乱じゃない。計画的犯行なわけだが――。
「あれは一種の狂言ね」
佐久間さんが言った。
「予知で未然に防がれるのを前提にした犯行よ。目的は浮気した妻を震え上がらせること。妻と間男を殺せば予知され警察が止めに来る。そこで狂った芝居をすればたいした罪に問われずに済む。その後は妻は浮気をやめて自分の言いなりになるだろう、という……」
ありそうな話だ。と言うか、今やこの日本のどこかで毎日のように起きてる話だ。
おれは言った。
「『殺すつもりなんかない、話をしに来ただけだ』なんて言ってましたもんね。『撃つなら撃て、死んでやるからよく見とけ』とか……どうも芝居くさかった。全部計算ずくの行動だったわけかな。妻に二度と浮気なんかさせないための……」
予知システム――殺人及び事故死未然阻止法は、〈予知で未然に防がれるのを前提にした殺人〉という奇妙な犯罪を生んだ。「俺はこれだけお前のことを愛してるんだ。どうかそれをわかってくれえっ!」と叫ぶストーカー。冬を刑務所で過ごすために通り魔をやるホームレス。爆弾なんか仕掛けはするが処理だ解除だ市民の避難だといった騒ぎが見たいだけの愉快テロ。
本当に人を殺す気はない、必ずしも悪人でない困った者達。時におれ達殺人課員は、そんなの相手のとんだ茶番に付き合わされる世にもバカらしい役どころになる。
なるけど、まあ警察なんてたぶんそれでいいのだろう。予知システムが存続するのは平和な社会。廃止するのは狂気の独裁恐怖社会。世の中にバカがいるからおれ達はそれなりに仕事があって忙しくあまり税金泥棒と呼ばれずやっていけるのだ。
今度の件は墨須純一という男の芝居と見ていいだろう。妻に浮気をやめさせて一生自分に逆らえないようにしようという……それが狙いであんなことをやらかした。
予知で未然に防がれるのが前提で、パンツ男を殺すつもりは実はなかったに違いない。はっきり言ってつまらん男だ。だからそもそも浮気なんかされるんだ。
だからあのマイノリやテレビの話を本気にするもんじゃない。人間は利己的で卑怯な生き物なのであり、嘘をついたり策を弄して他人を操ろうだとか、ネットの投稿小説をコピペし自分が書いたものとして他所に出そうとかいったしょーもないことをすぐに企む。
とは言っても普通の人は考えてもやらないわけで、ほんとにやるのはダメなやつ。弱くてずるくて関わり合うとロクなことにならなくて、ヘタに同情するとすぐ「金貸してくれ」などと言ってたかろうとする。仕方なく貸してやっても絶対後で返さないし、うっかりするとまるでこっちが金を返さないやつみたいに他人に言いふらしてまわりかねない。
世の中にはそういうタチの良くない人もたくさんたくさんいるのですから気をつけなければいけませんよとお母さんに言われたら、やっぱり気をつけた方がいいのだ。
「やっぱりなんか出てきましたよ」
コンピュータをカチャカチャやってた零子が言った。神奈川県は厚木署内の殺人課。あらためて念を押しておくけれど、おれ達は別に厚木署の所轄署員じゃない。所属は県警察本部の生活安全部で、殺人及びなんだっけ課はただ間借りしているだけだ。墨須夫妻の一件から一日経って、おれ達は課でくつろいでいた。
零子は言う。
「あの純一という男、ストーカーの前歴がありますね。今の妻と結婚する前に別の女と付き合ってたのが別れ話をされたのかな。日に百回も電話を掛けて、それで警察に訴えられた。警告受けてすぐやめたので、その時はそれで済んだようです」
「ふうん」と班長。
「なるほど、いかにもって感じね」と佐久間さん。「昨日の件も一種のストーカー犯罪じゃないの? 策略使って女を支配しようとする粘着男の典型じゃん」
「なんかキモかったですもんね」と零子。「格子のネジを外して潜り込むところ、あれは気持ち悪かったな。この映像を証拠に出したら錯乱だの衝動だのって主張は通らないでしょう」
コンピュータの画面をまわしておれ達みんなに向けて見せる。昨日の件であの男が風呂場の窓をくぐるところがバッチリ動画になっていた。なるほど確かにホラー映画の一場面のようだ。
「まあ本当に人が殺されたんならな」と班長が言う。「けど結局誰も死なずに止められたのに、誰が何を気にするんだ? ほんとの衝動殺人だろうとそう見せかけた狂言だろうと、殺意がないなら同じことさ。殺人未遂に問えるとは検事も思わないだろう」
「そりゃまあ」
とおれは言った。不法侵入があったのだからこんな件でも検事は起訴はするだろうし、未来予知で捕まえたものは略式裁判てわけにいかず裁判員を集めて審理しなければいけない――とんだ税金の無駄遣いだが、こんな話、裁判員になった者もあきれて聞くだけだろう。
「それで刑ってどうなるんだ。罰金刑? 懲役じゃないの?」
作品名:コート・イン・ジ・アクト5 墨須夫妻 作家名:島田信之