コート・イン・ジ・アクト5 墨須夫妻
予知システムが出来て二十年になる今も、社会派を気取る映画やドラマや小説はみんな、相変わらず、夫が『今日は会社なんかサボっちゃお』と家に戻ってきたところで妻が浮気してるのを見つけ、その場にあったハサミや何かで妻と間男を刺し殺すものばっかりだ。そしてそれらが、みんなみんな、裁判なしの冷凍刑。
ああヤレヤレ……『だから衝動殺人なんかいちいち罪に問いちゃいねえよ』と言ってもわからない社会告発者気取りにとって、これが好みのシチュエーションなんだろう。
おれとしてはまず、『会社をサボるな』と言いたいところだが、まあいい。それは君の勝手だ。わからないのは妻の方だ。普通、浮気するのにさ、男を自宅に引きずり込むか? 大抵ホテルか何かでやるか、相手の男の部屋へ行くもんじゃないのか?
自分家(じぶんち)なんかに男を入れたら近所の眼ってものがあるし、いつ夫が『今日は会社サボっちゃお』と帰ってくるかもしれないじゃないか。なんで男を自宅に入れる。浮気は外でやれ、外で!
紙切りバサミで人が死ぬ、というのもどんなもんだろか。ハサミやカッターナイフとか果物ナイフ程度のもので人間に致命傷を与えるのは、まあほとんど無理と思うね。今のテレビドラマもみんなあのマイノリ同様に、妻が浮気している横に、なんかやたらにギラギラ光るでかくて先が鋭く尖った、『それ紙切りバサミじゃねえだろ。牛革でも切るためのもんだろ』と言いたくなるようなハサミが不自然に置かれるんだが、しかしそもそも、帰ってみれば妻が男と寝ていたからと、すぐに刃物でグサリとやるなんて本当に普通の人間がやるものか?
そう――確かに、妻の不貞を見つけた夫が相手の男をブチのめす、なんて事例は少なくない。しかし男と女のことに、片方だけがすべて悪くて、もう片方にはなんら落ち度はないなんて、そんな話が現実にあるかちょっと考えてみちゃどうだろう。
互いに積もり積み重なったものがなきゃ、妻が浮気し夫が殺すなんてことにはそうそうなるものじゃない。元々暴力的なところのある人間でないと、〈傷害致死〉なんて事件は起こさない。精神的に相当歪んだ人間でなければ、刃物を持って人を刺すなどそもそもできるものじゃないのだ。
夫が妻を殺す話はいつもどこかで起きてるが、現実にそのほとんどは、元々暴力的な夫が妻を毎日ボコボコにしていたものがその日はちょっとやり過ぎた、というやつだ。
〈一時的な錯乱による衝動殺人〉でなく〈常習者による過重暴行致死〉と呼ぶのがより適切だろう。その男は家を一歩出たら普通の人間で、他人の眼にはとても毎日妻を殴っているとは見えない。女も女でそんな男とは別れるなり逃げるなりすりゃいいものを、このままではいつか殺されると知りつつ離れなかったりする。『それが愛だ』と互いに言い張るようだったらもうほっとくしかあるまい。
だが本来、〈市民による裁判〉にかけてよく見定めるべきなのだ。カッとなると何をするかわからないDV男であるのなら、檻に入れて鍵を捨てるべきなのだ。毎日毎日妻を殴るクズ野郎なら、その暴力を幼い子にも向けぬと限らないのだから。
家庭の話に限らない。ほんとの衝動殺人で、アメリカ辺りで多いのはやはり麻薬絡みだろう。白バイ乗りの警官が信号無視のクルマを止めると、そいつは左のポケットにヘロインの注射器、右のポケットに〈サタデーナイトスペシャル〉と呼ばれる密造品の安物拳銃を持っていた。持ってないのは運転免許で、右ポッケの中身でズドン。
今から二十年前に予知のシステムを作り上げた者らは言った。
『ねえミスター・トマトソースにステーキ・ハンバーグ。そんなトンチキに殺されるパトロールの警官がどれだけいると思います? そいつらだって咄嗟にやっちまうだけで、特に異常なコップ・ヘイター(警官憎悪者)というわけでもないんですがね。でもだからってそんなのを、「ちょっと道を間違っただけの運の悪い普通の人間」と呼べますか? はっきり言っていちばん多いのはこういうタイプなのにどうして、無条件に全部を釈放しなきゃいけないと言うんですか。
トマトソースにハンバーグさん、決して〈未来殺人罪〉なんて変な法律を作ってまだ罪を犯していない人間を氷漬けにしようというのじゃないんです。この場合、〈麻薬〉と〈銃の不法所持〉と〈道交法違反〉は確かにやってるんだから、そのみっつだけ見届けて捕まえ、裁判にかければいいんじゃないでしょうか。〈有罪・無罪〉は陪審員に決めさせればいいのでは?』
『マイノリティ・リポート』を撮ってしまった監督と俳優は、この考えに頷かざるを得なかった。このふたりを裏切り者と呼び、あくまでシステム反対を叫んで離れ去る者も多くいたが。
アメリカ全土で数千万人――堕胎手術を行う医師のクルマに火を付けたり、『動物園の動物達を今すぐ自然に解き放て』と喚くような者達だ。
予知システム反対運動の先頭にいたのは皆、元々そんな連中だった。今も彼らはあの大陸を西に東に南に北に、街から町へ渡っては他にもいろいろ叫んでいる。『シャーロック・ホームズは実在し、今はもうじき二百歳でまだ元気に生きている』とか、なんやかんや……。
さてなんだっけ。そうそう、今は、妻と夫の話だったな。まあ結婚などしたら、誰でも相手を殺してみたくなるだろう。妻は夫を刺し殺し、夫は妻を絞め殺す。バラバラにして燃えるゴミの日に出しちゃって愛人と第二の人生だ。
誰でも考えることだけど、やっぱりちょっとどうだろうね。やっちゃいけないことをやるのは、あんまり良くないんじゃないかね。結婚がうまくいかない人は結婚に向いていないのであって、相手ばかりが悪いのではたぶんないんじゃないかと思うね。
元はと言えばあなたが悪い。いやいやそう言うお前が悪い。殺す方が悪いのか、殺される方が悪いのか。
いちばん運が悪いのは、バカな女と不倫したため逆上亭主にバットで殴り殺される間男だろうと思うんだけど。しかしあんまりそんなのに同情する気が起きないのはなぜだろう。
そう言や今度の事件でもそんな間男があの部屋にいたが――。
作品名:コート・イン・ジ・アクト5 墨須夫妻 作家名:島田信之