コート・イン・ジ・アクト5 墨須夫妻
順子は続けて、「でもってそれから、創造論の話をするの。『目玉焼きは電子レンジで作っちゃいけない。破裂する』とかなんとかね。もう何を言ってるんだか……」
「あはは」
笑った。やっぱり悩まなくてよかった。
「『レンジ』じゃなくて『レンズ』でしょ。それはね、海に〈オウム貝〉っていうアンモナイトの生き残りみたいなやつがいるんすけど、そいつの眼はただの針穴……」
「そうそう。そんなの、黄身を突っついて穴を開けときゃいいのよね。電子レンジも今は進歩してるんだから、モードをセットしてやりゃあ目玉焼きでもハムエッグでもコンロで焼くよりうまいくらいに出来るのよ。やっぱりああいう人達って、そんなことも知らないのかしら」
「うーん」
会話が噛み合ってない。考えたら普通の人には、眼の進化より電子レンジの進歩の方が大切だよな。こんな話でいちいちマジになってたら脳ミソが破裂してしまうから、タマゴが先かニワトリの方が先かとか難しいことは考えず親子丼にして食っちゃえばいいのか。
あなたが休日、家でゴロゴロしていると、玄関でチャイムの音がピンポンと鳴る。『ハーイどなた』と出てみると、なんだか眼つきのおかしな女。変な小冊子を出して言う。
『アナタはすべての生物は進化によって発達したと考えますか?』
ここでまず大抵の人は、ドアをバタンの鍵をガチャリで終わりだろう。しかし中には〈創造論者〉なんてものの存在自体に面食らってつい話を聞いちゃう人もいるはずだ。
するとおそらく、次に相手は〈眼(め)〉の話をあなたにしてくる。
『進化論では「すべての器官は少しずつ段階を踏んで発達した」と言いますね。しかし眼はどうですか。眼だけはそうはいきません。レンズと網膜、ピントを調節する機構、それらが同時に完成された形で発生しなければ、まったく何も見えません。見えないものは発達しようがないのですから、進化論と矛盾します。進化学者はこの謎に未だ答を出せないのです。そうです。〈眼〉こそはすべての生き物が神によって創造された証拠に他なりません――』
とかなんとか。こう聞いても、やっぱり普通はなんとも思わず次の日笑って人に話すだけだろう。
しかし変にマジメな人は、ここで考え込んでしまう。眼の話で目が曇ってマトモなものはもうなんにも見えなくなるのだ。代わりに額に第三の受光器官が開いちまって、変な光に導かれるまま狂信の道をまっしぐら――。
生物進化には確かにいろいろわからないことがあるという。一体どう進化すれば猫なんて憎たらしくもかわいらしいあんな困った生き物が出来上がるんでしょうネと、おれなんかは学者に訊いてみたいのだが、学者は答えてくれないだろう。
しかし〈目玉の進化〉くらいは、謎でもなんでもないそうだ。人が顕微鏡によらずとも普通に眼で観察できる生き物としていちばん原始的なのはクラゲだそうだが、クラゲってのはクラゲのくせに、生意気に眼を持っている。
いや、〈眼〉じゃなく、ただ光を感じる組織で、明るい方が上だと〈識(し)る〉だけのものだ。そいつで何かを〈視(み)る〉ことはできない。
それがホヤとかナマコとか、ヒトデなんかに進んでいくうちだんだん発達していって、遂に小さな針穴でおぼろげながらにものを見るやつが現れてくる。
そこまでいけばしめたものだ。水中生物というやつは何しろ体全体がヌルヌルした膜で覆われているわけだから、当然その針穴目玉もヌルヌルしてる。そのヌルヌルからソフトコンタクトレンズみたいなものを造り出すのに必要なのは、ただやる気と根性と、〈視たい〉という欲望だけ。
よく満員電車の中で女の子のスカートを鏡を使って覗いているおっさんがいるが、そいつの息子が手のひらに目玉を持って生まれてきてもなんの不思議もないではないか。
その〈眼〉はきっと近眼だろう。女子高生のスカート丈などみんな同じなのだから、最初はその距離にだけピントが合えばそれでいい。おそらく痴漢三世は、もう少しだけ進化した目玉を手のひらに持つだろう。
作品名:コート・イン・ジ・アクト5 墨須夫妻 作家名:島田信之