コート・イン・ジ・アクト5 墨須夫妻
〈眼の進化〉などちゃんと解明されている。おれが今、こんな話を長々としたのはもちろん、予知システム廃止論者のかなりの割を創造論者が占めてるからだ。
予知の廃止ができないことが理解できないアンポンタンは、実に容易く眼の話に食いついてしまう。日本国民の2パーセント、一億中の二百万人が予知システムを廃止すれば国が軍事独裁化するのをまったく理解することができない。その半分が、『人は神もしくはなんらかの高度な知性に創られた』と主張して、進化論を否定している。
日本なんかマシな方だ。キリスト教の力が強い欧米では、5パーセントからそれ以上、特に国や地域によっては――たとえば、アメリカ南部のいくつかの州なんかがそうだが、創造論を主張して予知システムの廃止を叫ぶエヴァンジェリカル(福音派信徒)が人口の二割とか三割になるところまであるという。
『人は決して進化などでデタラメに発達した生き物ではない。神の祝福を受けて誕生した輝かしい種(しゅ)なのであり、この宇宙で最も重要な存在なのだ』――彼らはそう主張する。だって我々の教義の書にはそう書いてあるのだから、と。
ふーん、そう。なるほどね。けどさ、もしだよ、もしあんたらの言う通り、人が何かに創り出されたものとして、そいつはその辺のガキが水槽でグッピーなんか飼ってるみたいにただ遊びで見てるだけ――そういうこともあるんじゃないの? それか、何億とある試作品のひとつに過ぎず、『こいつは出来が悪いからそのうち巨大隕石でも落として絶滅させちゃおう』と思っているなんてことは?
それとも、人間の脳ミソがどんどん大きくなって、今の二倍くらいになったら、頭カチ割って中身を出してウニの軍艦巻きみたいにして食っちゃおうと待ち構えてる。そんなことさえ有り得ないかな?
〈創造〉という概念にはそういうのも含まれるんじゃないかしらん――おれみたいなのがそう言うと、彼らは猛然と怒り出す。
そんなことはありません。神はワタシ達を愛しています。聖書にそう書いてあるから絶対間違いありません……あ、なんですかその顔は。まだ証拠がありますよ。
アナタもワタシも善人ですね? 当然です。神は善性を望まれました。だから人は性善であり、世に悪人はいないのです。これこそ、我々人類が、神に選ばれた存在である何よりの証拠じゃありませんか。
世に悪人はいない、ねえ……。
そうです。だから予知システムは廃止しなければいけないのです! 冤罪を生むシステムなど決してあってはいけません。どんな殺人も悪(あく)でなく、加害者は悪(わる)くないのですから、それを未然に止めるのは神の意思に反します。死にゆく者は神の下(もと)に行くのですから、それは祝福なのであり、断じて未然に防ぐなどしてはいけないことなのです。
不幸な死に方をする人があれば救けたいと思うのはワタシにもよくわかりますが、しかし誤った考えです。〈本当の救済〉というのは違うんですね。いつか神の鉄槌が下り進化論者は地獄の炎に焼かれますが、ワタシ達だけ神は救ってくださります。さあ、あなたも我らと共に予知システム廃止のために戦いましょう!
それには我が団体にお金を寄付することです。全財産を寄付してさらに、他人(ひと)から騙し取ってでもお金を集めてくることなのです。ただそれのみが救済の道。神の下に行ける道。さあさあどんどんお金を稼いですべて団体に捧げましょう!
この連中は結局それだ。マイノリティであるがために、マイノリティに身を捧げる。
『人は善だ』と言う割には政府の陰謀なんかを信じて、トンデモ論や都市伝説をなんでもかんでも受け入れる。ナチスのホロコーストはなかったし、広島や長崎の原爆もアメリカの白人至上主義者によれば日本人のデッチ上げなんだそうだ。
情報は隠蔽されている。世界は悪に変わろうとしている。予知システムがいい例だ。政府は遂に、人が罪を犯すのを待つことさえしなくなった。
そうだ。殺人事件など、元々この世になかったのだ。人は性善なのだから、どうして人に人を殺すことができようか。
すべては政府の捏造である。予知システムはまやかしである。起こりもしない殺人を止め、善なる人を陥れてこの世界を滅亡させようとしているのだ。おそらく邪悪な勢力から、自分達だけ救われるよう取引がされているに違いない。
許せん、なぜそのような恐ろしい考え方ができるのだ。そんなやつらは人として断じて許すことはできない!
助かるべきはワタシ達の方なのだ! ――と、カルト信者というものはすぐ、そんな考えに走るんだよね。なんでそんなに人類を滅ぼしたいのかわからんが……。
おれが生まれるずっと前にいたってねえ。この日本に、やっぱりそんな考え方で地下鉄に毒ガス撒いた宗教が。困ったことに殺人予知システムは、そのようなテロ狂信徒を増やしてしまった。
彼らは言う。戦いに犠牲はつきものだ。どうせ人類は滅ぶのだから、ひとりやふたりオレが殺しても問題ない。犠牲として死んだ者は、より高次の世界に魂が赴くのだから、むしろ功徳を施してやるのだと思わなければいけない。
映画の『マイノリティ・リポート』を見ればそれがよくわかるじゃないか――と、そのように彼らは言う。宇宙のどこかにあの映画が正しく描いた殺人被害者のための天国があるのだ。だから人を殺すのは、悪ではなくていいことなのだ。
あのシーンを演じたときの主演スターの顔を見ろ! 今のオレと同じ顔だ! 同じ眼つきだ! そうだ、あの映画が正しい! 予知などイカサマなのだから、オレの殺人計画を警察が感知するなど有り得ない――。
こないだの〈川崎児童虐待事件〉で最後に殺人をやらかしかけたあの男が、やはりまるきりそんな考えの創造星人だった。ただしキリスト教でなく、なんでも主(しゅ)は冥王星――つまり、あの星は実は一個の知性体で人を創造したのだけれど、天文学者が自分を〈惑星〉の分類から外したのに怒って殺人予知者を発生させたとか――そんなことを言ってる新興宗教で、だからすべては『もう一度〈惑星〉として認めないと人類をみんな滅亡させるゾ』という冥王星様の警告なんだそうだ。
弁護士が精神異常の根拠としてこの話を出したときには、裁判員の間から、『実はワタシも特に理由はないのだけれどなんとなく冥王星って好きだから、〈惑星〉に戻してほしいような気もする』という声が出たとか出ないとか。でもやっぱり責任能力を認めて有罪。
神奈川の今の人口が八百万。その2パーの十五か十六万人が予知システム廃止を叫ぶ狂信者だ。事件があるたびそれらのカルト勢力が加害者擁護にまわるため、本来おれは犯罪と戦うのが職務のはずが、いつの間にかに狂信と戦うハメになってたりする。殺人課員の宿命でもあるのだが、しかしまたかよ。あんまり関わりたくねえなあ。ちょっと勘弁してほしいよな。
おれは明日は休みなんで、寮でゴロゴロしたいんだけど。
作品名:コート・イン・ジ・アクト5 墨須夫妻 作家名:島田信之