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コート・イン・ジ・アクト5 墨須夫妻

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06


 
「皆さん、人は性善です。すべての人は生まれながらに善であり、悪い人はいないのです」
 
などと響き渡る声。おれが厚木の駅前を通ると、街頭で叫んでいる集団があった。何か宗教の勧誘らしい。
 
「神は人を造られる時、愛をお与えくださいました。愛の化身である人間にどうして罪が犯せましょう。そうです、悪いのは進化論です。どうか間違いを認めてください。本当のことに気づいてください。すべては悪魔に仕掛けられた罠なのです。ダーウィンが進化論を唱えるまでは殺人などこの世にひとつもありませんでした。世の犯罪は人が神を忘れたために起こるようになったのです。そうでなければ性善である人間にどうして悪事が働けましょう。皆さん、騙されないでください。悪魔はそれでも飽き足らず、殺人予知システムなどというものを生み出しました。まだ罪を犯してもいない者に咎を着せ、裁判なしの極刑にする。これは中世の魔女狩りと同じことではありませんか。神は決してそんなことをお許しにはなりません。我々は神の名において、予知システムを廃止しなければならないのです――」
 
信者がビラを配っているが、普通の道行く人々はもちろん誰も受け取らない。
 
おれもサッサと通り過ぎ、酒場通りに入っていった。目当ての店のドアを開ける。
 
音楽がおれを出迎えた。奥のステージで生演奏中。音がガンガンに鳴らされている。
 
マイクに向かっていま歌を唄ってるのは零子だった。おれを見咎め、指鉄砲を向けてくる。
 
BANG!と撃つ真似をされた。おれは胸を撃たれたフリを返してから、カウンターに歩いていった。ビールを頼む。
 
厚木市内の殺人課員が集まるバー〈アルベマス〉。店の内装はアメリカ風だが、出てくるビールは日本産だ。この店ではいま零子がやってるみたいに、サツカンで作るバンドがときどき音を鳴らしたりしてる。
 
元は昭和の冷戦時代に米軍兵士がやって来ていた店と言われる。神奈川はあちらこちらに米軍施設がある県だし、今もそれらは残っているが、規模は縮小するばかりで兵隊さんはすっかり数を減らしてしまった。予知システムが世界的な軍縮をもたらしたせいで、おかげで客の減った店をおれ達が利用することになったのだ。
 
おれは零子が歌うのを眺めながらビールを飲んだ。一曲が終わったところでまた別の方向から指鉄砲を突きつけられた。
 
すぐ真横だ。こめかみに爪の先が当たる感触。
 
「ばん」
 
「うう、やられたあ」
 
おれは頭を吹っ飛ばされたフリをしてみせ、それから相手にグラスを掲げた。
 
「どうも、こんばんわ」
 
女は笑って、人差し指を立てた先をフッと吹いた。墨須順子だった。
 
「夫の仇よ」
 
「それで復讐に来たんですか? ダンナさん、今はどうしてんの」
 
「何も聞いてないの?」
 
「ええ、おれは捕まえるだけ。後はデカさんの仕事だから」
 
けれど考えてみた。あの男の件で何か、おれが知っておくべきことがあったろうか。檻の中で首吊ったとか?
 
まさか。あのヘナチョコにそんな度胸があるもんか。おれは店内を見まわしてみた。
 
「まさか、一緒に来てるとか……」
 
「んなわけないでしょ。マッポが溜まる店なんか、ありゃ絶対近寄らないわよ」
 
「でしょうねえ」
 
あの件から一週間ほど経っている。おれは墨須夫妻のことなどもうすっかり忘れていた。
 
言っとくけどこれで結構忙しいのだ。税金分の仕事はちゃんとしているつもりだ。あの純一みたいなバカが神奈川じゅうにゴマンといて、日に必ず一度や二度は何かやらかしてくれるんだから、いちいち覚えていられるか。
 
ステージでは零子がおれと順子を見て、ちょっと妙な顔をした。けれどもすぐに次の曲が始まって、マイクにまた歌い出す。
 
おれはそれを聴きながらにふと思った。順子が今ここにいるのはまさか偶然じゃないだろう。零子が今日この時間にここで歌うことになってるのは、知ってる者は知る話だった。だからおれも来るはずなのを嗅ぎ付けるのはそう難しくないわけなのだ。
 
この順子という女、そのくらいはやりかねない感じだが、しかしなんの魂胆があって……。
 
おれに会いに来たのだとして、なんのつもりだろうと思った。男に飢えることがあるとも思えんし、自分になびく男とそうでないのとを見分ける眼もあるはずだろう。まさか夫の純一を消す方法を教えろだとかいう相談じゃなかろうな。
 
首を傾げながら言った。「けどダンナさん、拘留にはならなかったの?」
 
「そう。結局また次の日に出てきちゃった。ちょっとほんとに甘いんじゃないの? なんでサッサと刑務所に放り込んでくれないの」
 
「うーん」
 
おれに言われてもなあ。大体よく考えたら、あの日あいつは逃げる以外に特に何かをしたっていうわけでもないよな。って言うかこの彼女の方が、あいつを殺すはずだったんじゃなかったっけ。
 
それにしても、と思う。あのダメ男は娑婆にいるのか。なら尚更おれになんの用なんだろう。
 
「えーとあれは、どういう話でしたっけ。お金がどうとか、あなたを殺すとか……」
 
「まあ大体、あれは昔からそうなのよね。あたしのお金を先物取引なんかに使っちゃ、浮気相手の女に向かって『女房が別れてくれないんだ。こうなったらもう殺すしか。ついてはお金』なんて言って……」
 
「ははあ」と言った。「そうねえ。ただのだめんずというだけのことじゃ、確かに拘置所行きはないかも」
 
「そこをなんとかならないの?」
 
「えー、いや、法治国家なんで……」
 
「ああもう、ほんとに警察ってのは。なんの役にも立たないんだから」
 
「はあ。どうもすいません」頭を下げた。「けどあんまりそういうことは、この店で言わない方がいいですよ」
 
順子はまわりを見て、中にいるのがみんな警官だというのを思い出した顔になった。
 
それから言う。「まあとにかく、今度は会社にもバレちゃってね。あれは一日泣いてたけど」
 
「ああ、それは」
 
なんと言っていいのかよくわからなかった。でもやっぱり笑っちゃってはいけないんだろうな。
 
「えっと、少しは懲りたみたいですか?」
 
「どうなんかしら。その次の日にはいなくなって、それきり帰ってこないんだけど」
 
「は?」と言った。「帰ってこない? じゃあどこにいるんです?」
 
「だから、わからないのよ。どこに行ったのか行方不明」
 
「ええ? それって、ちょっとまずいんですけど。あなたのダンナ、自分の立場わかってんのかな」
 
「わかってないんじゃない?」
 
「えーっ?」今度こそあきれ返った。「ちょっとちょっと、あなたのダンナは好きにどこでも行っていい人間じゃないんですよ。何を理由に拘留されてもおかしくない身なんですから」
 
「コーリューするコーリューするって、全然拘留しないじゃないのよ。一体いつ拘留すんのよ」
 
「そうだけど、でもなあ」
 
と言って考えてみた。しかしよくある話だったな。裁判所の呼び出し待ってる立場のやつが「出廷なんかするのはヤだ」と言ってどこかへ行っちゃうなんて。