コート・イン・ジ・アクト4 あした天気にしておくれ
06
警察の寮なんてのはたぶんどこでもそうだと思うが、中に入ると寮生はみんなジャージでウロチョロしている。いつも大抵ひとりくらいはギプスの腕を吊ってるようなのがいて、『それどうしたの』と聞くことになる。
けれど聞くだけ無駄な話で、『木から猫が降りられなくなったのを救けようとして落っこちた』なんて返事が来るだけだ。本当のことは決して言わない。ピーエム(警官)なんて外で何をやってるか、まったくわかったもんじゃない。犬を町で放し飼いにするんだからヤンチャしちゃってしょうがないよな。
勤務を終えておれは自分の部屋に戻った。窓に置いてる簡易ソーラーパネルを見る。充電ゲージの目盛りは《Low》。
この雨でまるで発電されないようだ。それとも誰か、おれの電気を盗んでったんじゃないだろな。
しかしひょっとしたらと思って電気ポットに繋いでみた。ランプが点いたので『オッどうかな』と思ったが、やっぱりお湯は沸かずに消えた。
まあいい。コーヒーは後にしよう。洗濯物をカゴに入れて部屋を出た。他の寮生とすれ違う。
「洗濯?」
「うん」
「洗濯機はまわるけど、乾燥機は使えないよ。一杯だから」
「だろうね」
おれは洗濯室へ。すると零子と奈緒がいて、「あら」と言っておれを見た。他所の警察寮ではどうか知らないが、この厚木では洗濯は男と女が共同だ。
「考えることは同じね」
そうか? おれが考えたのは、女ふたりがふたりともジャージなんて色気がないなということだけど。「空いてんの?」
「ダメ。こっちのが三分で終わるよ」
「やれやれ」
待つことにした。ここの寮の洗濯機は一応みんなドラム全自動だが、乾燥機能はわざとナシ。当たり前だ。寮の洗濯室なんかにそんなの入れたら後がつかえてしょうがなくなる。別に置かれた乾燥機は雨の日には十人待ちだ。
科学がいくら進んでもこれはどうにもならんだろう。二十世紀のスピルバーグ映画のような未来はいつか来るのだろうか。
零子が言う。「さっきの子供、なんとか助かりそうだってよ」
「そりゃあ良かった」
「あのおばさんのおかげだろうね」
「だろうな。すげえおばちゃんだったな」
「ねえ、今日のことだけどさ」
口調が変わった。めんどくさいこと言うときの声だ。聞きたくない。
「なんだよ」と言った。
「ひょっとして、『あのおばさんが仕組んだ』ってことはないかな」
「ハア?」
零子は横の前田奈緒を示して言う。「前田ちゃんの予知では、あの子は閉じ込められたまま〈檻〉の中で死ぬことになっていたじゃない。それが自力で脱け出したのって、まずおかしなことでしょう」
「そりゃまあ、単純に予知が間違ったって話でもなさそうだけど」
と、おれは言って考えてみた。人はすぐ言う。『予知なんて外れるかもしれないじゃないか。殺人なんて、イザとなったら思いとどまるかもしれないじゃないか』と。しかし、タイム・パラドックスというものにまるでついていけない者に何を言っても無駄だろうが、そんな単純な考え方で思う方向に進んでいったら、ゲームだってなんだって、すぐ穴にでも落っこちてゲームオーバーになっちまうのが世の常だろう。まず、ちょっとでも頭を使って考えてからものを言ってくれと言いたい。
確かに予知が必ず当たるとは限らない。けど、確かめる方法ってなんだ? 毎日毎日テレビのドラマでやってるあれか? 探偵役が、
『このまま隠れてどうなるかを見るのです』
『えっ? でもそれでは、殺人が起きてしまうかも……』
『いいえワタシは、彼を信じているんです。絶対に人殺しなどできる人ではないことを!』
っていうあれか? ああいうのを見るたびに、いやしくも〈専門家〉であるおれは思うわけだよ。だったらお前、その前にちょっと相手のケータイにでも電話を掛けて言ってやれよ。『悪いことは言わないから逃げずに近くの交番に行け』と言ってあげなさい、と。
おまわりさんが『ああそうなの』って話聞いてくれるから。『へえそうなの。もう少しで、人を殺しちゃうとこだったの。その人の電話のおかげで目が醒めたのか。感謝しなけりゃいけないねえ。あんたも相当辛いことがあったんだねえ』と、言ってくれるから。現実はくだらんテレビドラマとか、『マイノリティ・リポート』とかと違うから。
〈窮鳥(きゅうちょう)懐(ふところ)に入れば猟師も殺さず〉というもんでさ。おまわりさんは鬼じゃないから大丈夫だよ。
何もしないでそのまま見てたら殺すに決まってんだろうがバーカ。確率的に極めて少ない予知が外れる可能性になんで人の命を賭けんの。お前がそういう変なことしないで、電話一本で殺しを思いとどまらせてくれたなら、おれも仕事が減ってくれて助かるんだよ。まったく。なのになんだって、こんな簡単なことがわからん人間が多いんだろう。
映画の『マイノリティ・リポート』で言えば、一体全体なんでどうしてあの主人公は逃げるんだ? 予知では自分が殺人を犯すことになってる時間に自分から留置場に入っちまって、
『オレはこっからテコでも出ねえぞ! だから殺しなんかするわけねえぞう!』
と叫んでいればいいじゃねえか。そんな人間に向かって誰が、
『嘘だ! 殺す! お前は殺す! だって予知があったんだからお前は外で人を殺すに決まってるんだあっ!』
なんて言うと思う?
そんなやつがいるわけねえだろ。陪審員裁判ならばそれで100パー無罪だろうがよ。ちったーアタマ使ってそこに気づけっつーんだ、ボケが。
今日の一件は確かに〈予知が外れた〉といった単純な話じゃなさそうだ。なさそうだけど、どうなんだ。おれはややこしい話はイヤだ。
零子が言う。「あのおばさん、ちょっと気になること言ったのよね」
「わかった」と言った。「『おっかさん』だろう」
「それじゃなくって、『縄の檻をくぐり抜けた、それで傷が付いた』とかいう、その話よ。あのとき子供はロクに口も利けなかったはずよ。なのにどうして、あのおばさんはそんなことを知ってたの?」
「はん?」
おれの両目が何も命令しないのに、勝手にパチパチパチと動いた。
「えっと、それって、『噂に聞いた』と言ってなかったか?」
「言ってたわね。でも、噂の出どころはどこよ。あの宅(いえ)は普段はドアを固く閉ざしていたはずよ。なのにどうして子供部屋のようすを他人が知ることができるの? あたし達はあのおばさんが言ったことを聞いただけで、他の住人とは話してない。本当にそんな噂があるのかしら。裏を取ってみるべきだと思わない?」
作品名:コート・イン・ジ・アクト4 あした天気にしておくれ 作家名:島田信之