コート・イン・ジ・アクト4 あした天気にしておくれ
05
ヘリは多摩川の河川敷で羽根を休めていた。殺急のヘリは、ときにケガ人を搬送したり、暴れるマルヒ(被疑者)を連行したりする必要があることから、状況に応じて着陸可能な場所へどこでも降りることが認められている。
とは言え晴れているときに草野球場なんかに降りたりしたら、砂を巻き上げてえらいことだ。だからやたらと緊急着陸なんかせず、縄梯子で――ドクターヘリと違ってホイスト装置なんか付いていないものだから――空中のヘリまで登っていかなきゃならないことの方が多い。
けれども今日はこの雨だ。それに奈緒もいることだから、というわけで、着陸したヘリのとこまで所轄のクルマで送ってもらう手配をつけていた。
土手から先は結局走ることになったが、雨の中、縄梯子を登るよりはマシだろう。おれ達を乗せてヘリは神奈川と東京の境の空に浮かび上がった。
タオルを被ってああヤレヤレと思いながら窓を見ると、雨雲の空を一機の飛行船が飛んでいるのが見えた。横に大きくビール会社のロゴがあり、尾翼に《AIR CARGO》の文字が見て取れる。
エア・カーゴ(貨物空輸機)。今どきの空に浮かぶ飛行船はまずほとんどが貨物機で、旅客便は伊豆諸島などへ行くのがちょっとある程度なのはおれも知ってる。太陽電池で動力をまかない、日没後も数時間は飛べる性能があるとは聞くが、
「雨の日でもソーラー貨物飛行船なんて飛ぶんだな」
おれが言うと、副操縦士が、
「そりゃあ、雲の上に出ちまや関係ないからな。晴れなら低い空を飛ぶのは企業広告のためさ」
「ふうん」
じゃあなんであのビールのはあそこにいるんだ、と思っていると、
「ほら、向こうからも来た。あっちに羽田の空港があるから、この辺の空はよくいるよ」
なるほど言われた方を見ると、洗剤の会社のロゴが描かれたやつがやって来る。別にビールや洗剤が積荷というわけではあるまい。企業にしてみりゃただロゴが街の上をゆっくり飛んで過ぎてっていてくれればいいのだろうから。
副操縦士は続けて言う。
「平成頃に作られた近未来アニメなんか見ると、よく飛行船がバスみたいに人を乗せて運んでるだろ――でも実際、市バスみたいな使い方は絶対無理」
「そうなの?」
「うん。なんたって五人も客が乗り降りしたら300キロも重さが変わっちまうからね。飛行船ていうやつは、そのたんびに浮力を調節しなきゃいけない。まわりの空気を取り入れて圧縮するか、水かなんかを300キロ出し入れするか……どっちにしてもかなり時間を食うものを、人は待たされることになる」
「それで貨物なのか」と言った。「どれだっけな。さっき、あの辺のでかい建てもんが飛行船の関係だって聞いたけど」
「ああ、なんかあったはずだな。工場だろ。地上の側で駐機とかする機械が必要だから、それを造ってんだよ、確か。この辺りの町工場には凄い技術持ってるとこがあるからさ。精密部品が造れなきゃ飛行船も飛ばせない」
「ふうん、なるほど」
「『飛行船は人を運ぶには向かないが物を運ぶことはできる。ソーラー・プレーン(飛行機)なんてのはただ飛ぶだけで何もできんが、ソーラー・エアシップ(飛行船)は貨物が運べるんだ』、と。『今の新型は〈DC-3〉と同じくらいの積載能力がある』ってな」
「でぃーしーすりー?」
「知らなくていい。チャーター便なんかにはいいって話も聞くけどね。帰りの燃料要らないし……」
なんだかよくわからんが、「いろいろと難しいんだろ」
「そりゃあ、長距離トラックってものがあるからな。食い込むのは大変だろうよ」
「どうなってんの」
「知らねえよ。運輸省とか頑張ってんだろ、なんとか増やしたいってんで――横浜の遊覧飛行も結局そのPRでやってんだから。『ミナトヨコハマはソーラー・カーゴ・エアシップ事業を応援しています!』とね」
「遊覧ねえ。愉快テロなんかに狙われなきゃいいんだけど」
「それも難しいらしいぜ、別の意味で。会社も当然警戒してるわけだしさ。普通旅客機並みに金属探知とか受けて、だいたい荷物は預けるんだから」
「『荷物を預ける』? 何よそれ」
「あ、知らなかった? だから飛行船て、重量すごく重要じゃん。ひとりが5キロも10キロも持って入ると、アッと言う間にひとり乗れなくなっちまうだろ。だから手荷物は外に預けて、カメラや双眼鏡くらいしか持ち込めない決まりなんだよ。テロ対策兼ねてるわけね。30分の遊覧飛行にどうせ荷物は要らないだろ?」
「ははあ」
と言った。なんとなくわかった。そんなだから旅客は運べず、貨物空輸か遊覧飛行になっちまうのか。
そして、手荷物を外に預けて持ち込めないとなれば、普通の飛行機以上にハイジャックは難しい――のであれば、いいのだけれど、どうなんだ。
今のお隣り韓国で、『テロ』と言ったら北朝鮮の犯行だ。だが日本では、まずほとんどが愉快犯。人が多く集まるところに時限爆弾や毒ガス装置を仕掛けておく。当然予知されるから、警察が出動して撤去作業ってことになる――それが〈前提〉の犯行だ。
人が騒ぐのを見て楽しむ。ただそれだけが目的で、本当に死者を出す気はまったくない。爆弾もすぐに解除できるよう、手の込んだ囮の仕掛けだとかはない。
そしてまるきり軽い気持ちだ。狙われるのはコンサート会場や、遊園地などのレジャースポット、ビルやデパート……。
凶悪性こそないが、予知システムが生んだ新しい犯罪の中で最も悪質なものと言われる。
横浜の遊覧飛行船なんて、そんな連中にしてみればいちばん仕掛けてみたい目標になりそうだが――。
副操縦士が言う。「あのテのテロは滅多に捕まることがないとわかってるからやるわけだろ。昭和の〈青酸コーラ〉とか〈グリコ・森永〉とかと同じさ。ほんとの危険は冒さない。難しいとわかってる飛行船なんかやるかね」
「ふうん」と言った。「そうか」
ただの愉快犯だから簡単なところを狙うだけ。捕まる危険の高くなる難しい場所は狙わない……。
理屈はそうなのかなと思った。しかしすべてのテロ犯がそうとは限らないのでは? 違った動機、違ったタイプのテロ犯が出ないと限らないのじゃないか……なんとなくそう思ったけれど言わずにおいた。雨雲は重く垂れ込めて空のすべてを覆っている。
作品名:コート・イン・ジ・アクト4 あした天気にしておくれ 作家名:島田信之