コート・イン・ジ・アクト4 あした天気にしておくれ
児童虐待致死はもちろん殺人だ。それ以外のなんでもないとやはり言い直すことにしよう。虐待致死とはつまり嬲り殺しだから、そうではない殺しよりもっと悪いものなのだとやはり言い直すことにしよう。だからやっぱり他の殺しと分けて数えるべきだろう。それをやる親どもは、遊ぶ金欲しさのために人を殺すクズよりもさらに下に見るべきなのだと、おれはここにあらためてそう定義することにしよう。
だがある意味それ以上に許しがたいのは、これをして「何がシステムの限界だ欠陥以外の何物でもないではないか」と叫ぶ人間がいることだ。
彼らは言う。どんな親でも親であり、子供は親と一緒にいたいと望むはず。虐待致死とは大げさな。ちょっとばかり躾が過ぎただけであろう。人を殴れば自分の手も痛いもの。平気で我が子をいたぶる親などひとりもいるはずがない。マスコミがありもしない現実を嘘で書きたてているだけだ。こんな話を絶対に信じることはできないゾ。子供を親に返してシステムを取り止めなさい。
そうです。すべては予知システムが悪いのです。世の中に本当に悪い人などいないのだから、間違った法律が犯罪を生むとしか考えようがないでしょう。予知を無くせば犯罪も無くなることは明白ではないですか。あの『マイノリティ・リポート』が美しい結末で描いたように! だから欠陥システムをただちに廃止すべきなのです!
そう彼らは叫び立てる。そして虐待の親どもも、その手合いに後押しされて「子供を返せ」と喚くのだった。
信じてください、私達は虐待など断じてしておりません! それは確かに躾はしました。ですが決して死に至らしめるような行為は加えていないのです!
息子が、娘が死んだのは警察のミスです! 警察はその事実を隠し、すべてを私達のせいにしようとしているのです! なんと汚いやつらでしょう。私達の子供を返せ! 私達の幸せを返せ! 私達はいつだって我が子の幸せを考えていました。虐待をするはずなんてありませーんっ!
彼らはそう言い募る。しかし幸いなことに――と言っていいのかどうか――この言葉に大多数の人々が耳を傾けることはない。
マスコミによって報道されるこの連中のしたことがあまりに異常なせいだろう。この親は子供の髪にライターオイルをドボドボかけて火をつけた。この親は子供を氷の風呂に沈めた。この親は子供を廊下に這いつくばらせ、ボーリングの玉で死ぬまでストライクだスペアだガーター、避けるんじゃねえよとスコアをつけて遊び続けた……。
そうだ。そこまでのことをやらない限り、滅多に子は死んだりしない。だから児童虐待致死と言えば話はこういうものになる。これをやらかすような親にマトモな者はひとりもいない。
いるわけがない。とは言えこの親どもにしても、決して子供を死なすつもりで虐待してるわけじゃないのが、予知システムがあるというのに子殺しがまるきり減る気配も見せないひとつの理由に違いなかった。
殺すつもりがないどころか、まったく最後の最後まで「まさか死ぬとは全然思ってなかった」と言って、それが大マジなんだからなんと言うかのそうですかで、「うーん困ったもんですネ」と言って済んだら警察は要らねえんだまったくよお。
マスコミは凶悪顔に撮るコツ知ってていろいろやるが、間近で直に見てみるとどこにでもいる普通の人間みたいなのがなんかかえって怖い気がする。
いや、普通の人間なのだ、本当に。マトモじゃないけどフツーなのだ。そしてほんとに自分達に落ち度はなく、正しく子を育ててたつもりで、死んじゃったのはたまたまのたまたまに過ぎない。それをどうして犯罪者扱いされなきゃいけないのか。むしろ自分は被害者なのに、どうしてそれがわからないバカが世の中にいるんだろうかと、すべてを己に都合のいいように折りたたんで別の形にしてしまえる頭で考えるのだ。
それが普通の人間というもの――おれは再び、雨に濡れるマンションを見上げた。壁を相当厚くしなけりゃ、こんなに高層(たか)いもんは建つまい。中に子供はあとどれだけいるのだろうか。
作品名:コート・イン・ジ・アクト4 あした天気にしておくれ 作家名:島田信之