コート・イン・ジ・アクト4 あした天気にしておくれ
予知ができないものは防げず、そのときはまあしょうがない――とは言え、望みがまったくないわけでもなかった。殺人予知者の中にごく一部だが、児童虐待致死も感じ取る者がいるのだ。
〈力の強さ〉と言うより〈質〉の問題で、それができる者によると、親に虐待されて死ぬ子が逝くときの悲しみの思いというものは、他の殺しのときとは別種の感覚で弱くてもはっきり伝わってくるのだという。
最近この神奈川県警にやって来た殺人予知特捜官の前田奈緒はどうやらそのひとりだった。これにより、日本国内で年に五十――週に一件の割で起こる児童虐待致死のうち何割かは事前に予知されることになる。
だが問題はむしろそこから。それはたんに、『予知されることになった』というだけなのだ。報せを受けて救命部隊が出張っても、救けることができるのはさらにそのうちのわずかに過ぎない。
部隊がゲンジョウに着いたときにはすべてが手遅れである場合が多いのだ。人が死ぬのが予知されるのは絶命の二時間前――なぜかそう決まっていて、なんとかリポートみたいな映画のように五分置きにコロコロと設定が変わることはない。必ず『絶命の二時間前』だ。それがおれ達殺急にとっての基本的なタイムリミットということになる。
で、救命出動となるが、児童虐待では予知があったその時点で、既に子供は長期の責め苦で死に瀕しているのが普通だ。『基本的なタイムリミット』なんていうのは、子供殺しに当てはまらない。そこに融通つけてくれる都合のいい神様はいない。駆けつけても虫の息で、病院に運び込んでも間に合わず、子供達の多くが死んでしまうのだった。
ゆえに〈年間十から二十〉という殺しの実被害者数は、児童虐待致死を入れると数倍にハネ上がってしまう。
予知システムの限界だ。よりにもよって、もっとも痛ましい〈殺人〉を未然に止めるに止められない。そしてなんとか助かった子も、まともに歩けるようになるかも運次第。心に受けた傷はどうすりゃ癒せるのか。
児童虐待致死はもちろん殺人だ。それ以外のなんでもないとやはり言い直すことにしよう。〈虐待致死〉とはつまり〈嬲り殺し〉だから、そうではない殺しよりもっと悪いものだとやはり言い直すことにしよう。だからやっぱりただの普通の殺人と分けて数えるべきだろう。それをやる親どもは、遊ぶカネ欲しさのために人を殺すクズよりもさらに下に見るべきなのだと、おれはここにあらためてそう定義することにしよう。
だがある意味、それ以上に許しがたいのは、これをして、『何がシステムの限界だ欠陥以外の何物でもないではないか』と叫ぶ廃止論者がいることだ。
彼らは言う。どんな親でも親であり、子供は親と一緒にいたいと望むはず。虐待致死とは大げさな。ちょっとばかり躾が過ぎただけであろう。人を殴れば自分の手も痛いもの。平気で我が子をいたぶる親などひとりもいるはずがない。マスコミがありもしない現実を嘘で書きたてているだけだ。こんな話を絶対に信じることはできないゾ。子供を親に返してシステムを取り止めなさい。
そうです。すべては予知システムが悪いのです。世の中に本当に悪い人などいないのだから、間違った法律が犯罪を生むとしか考えようがないでしょう。予知システムをなくしたら犯罪がなくなることは明白ではないですか。あの『マイノリティ・リポート』が美しい結末で描いたように! だから欠陥システムをただちに廃止するべきなのです!
そう彼らは叫び立てる。そして虐待の親どもも、その手合いに後押しされて『子供を返せ』と喚くのだった。
信じてください、ワタシ達は虐待など断じてしておりません! それは確かに躾はしました。ですが決して死に至らしめるような行為は加えていないのです!
息子が、娘が死んだのは警察のミスです! 警察はその事実を隠し、すべてをワタシ達のせいにしようとしているのです! なんと汚いやつらでしょう。ワタシ達の子供を返せ! ワタシ達の幸せを返せ!! ワタシ達はいつだって我が子の幸せを考えていました。虐待をするはずなんてありませーんっ!!!
彼らはそう言い募る。しかし幸いなことに――と言っていいのかどうか――この言葉に大多数の人々が耳を傾けることはない。
マスコミによって報道されるこの連中のしたことがあまりに異常なせいだろう。この親は子供の髪にライターオイルをドボドボかけて火を点けた。この親は子供を氷の風呂に沈めた。この親は子供を廊下に這いつくばらせ、ボーリングの玉で死ぬまでストライクだスペアだガーター、避けるんじゃねえよとスコアをつけて遊び続けた……。
そうだ。そこまでのことをやらない限り、滅多に子は死んだりしない。だから〈児童虐待致死〉と言えば、話はこういうものになる。これをやらかすような親に、マトモな親はひとりもいない。
いるわけがない。とは言え、この親どもにしても、決して子供を死なすつもりで虐待しているわけじゃないのが、予知システムがあるというのに子殺しがまるきり減る気配も見せないひとつの理由に違いなかった。
『殺すつもりがない』どころか、まったく最後の最後まで『まさか死ぬとは全然思っていなかった』と言って、それが大マジなんだからなんと言うかのそうですかで、『うーん困ったもんですネ』と言って済んだら警察は要らねえんだまったくよお。
マスコミは凶悪顔に撮るコツ知ってていろいろやるが、間近で直(じか)に見てみるとどこにでもいる普通の人間みたいなのがなんかかえって怖い気がする。
いや、普通の人間なのだ、本当に。マトモじゃないけどフツーなのだ。そしてほんとに、自分達に落ち度はなく、正しく子供を育てていたつもりで、死んじゃったのはたまたまのたまたまのたまたまに過ぎない、それをどうして犯罪者扱いされなきゃいけないのか、むしろ自分は被害者なのに、どうしてそれがわからないバカが世の中にいるんだろうかと、すべてを己に都合のいいように折りたたんで別の形にしてしまえる頭で考えるのだ。
それが〈普通の人間〉というもの――おれは再び、雨に濡れるマンションを見上げた。壁を相当厚くしなけりゃ、こんなに高いもんは建たない。中に子供はあとどれだけいるのだろうか。
作品名:コート・イン・ジ・アクト4 あした天気にしておくれ 作家名:島田信之