ヘルメットの中の目
「いいか、最初はおとなしくゆっくり目に走るからな。」
先輩は私を振り返ってそう言うと、バイクを発進させた。
走り始めてみると、怖かった。これでもおとなしい運転なのか、普通に運転したらどうなるのかと思った。
バイクが発進するときは後ろに置いていかれそうになり、ブレーキをかけたときは先輩の体を飛び越えて前方に投げ出されるのではないかと思った。カーブを曲がるときは、車体がイン側に倒れ込み、怖くて反射的に反対側に重心をかけてしまう。曲がろうとするバイクを私は直進させようとする、そんな形になってしまい、先輩はさぞかし運転しづらかっただろう。
しばらく走ったところで、先輩は道の脇にバイクを止めて、私を振り返った。
「乗り方を変えよう。今の乗り方は割と上級者向けだった。」
先輩はそう言うと、私の両手を取って自分の体の両側からお腹に回した。
「両手でしっかりと俺の体にしがみつけ。」
先輩がそう言うので、私は先輩のお腹に回した両手を、お祈りするときのように組んだ。
「そうじゃない、こうするんだ。」
先輩は私の両手を90度づつ回し、両手の全ての指をフックのように曲げて嚙み合わさせた。
「これはインディアン・グリップと言って、人間が手を組むときに一番強く組めるグリップなんだ。」
先輩はそう言うとバイクを発進させた。
今度は先輩にぴったりと密着しているので、先輩の動きと自分の動きが完全に一致していた。だからあまり怖くはなくなったが、先輩の背中に密着しているのが、恥ずかしかった。父親以外の男の人にしがみついて、体に密着するのは生まれて初めてだったので、恥ずかしくて堪らなかった。ひょっとしたら、恥ずかしい方が大きくて怖さを感じる余裕がなくなっていたのかもしれない。だけど、先輩の背中の温もりが自分の体全体に伝わってきて、恥ずかしい一方で嬉しかった。
作品名:ヘルメットの中の目 作家名:sirius2014