コート・イン・ジ・アクト2 通り魔が町にやってくる
01
ゴーアヘッド、メイクマイデイ。来いよ、さあやろうじゃないか。
いま殺しのときが来た。
おれはMA-1ジャケットの下の、腰に付けた〈グロック36〉の感触を確かめながら、雑踏の中を歩いていた。今日も足元はコンバースだ。
横浜市伊勢佐木町のショッピングモール。まっすぐに長く続く歩行者天国。冬の街はクリスマスの装いで、『ジングル・ベル』や『サンタが町にやってくる』のメロディがそこかしこから聞こえてくる。歳末の人で賑わう〈伊勢佐木モール〉は昔ながらの下町の商店街のたたずまいを残していて、あちらこちらに昭和の風情さえも感じさせている――らしい。昭和どころか平成の時代もロクに知らないおれにはよくわからない。
わかってるのは、今日この街にやってくるのがサンタなんかじゃないってことだ。だから今おれはここにいる。そして他にも殺人課の課員達が、私服の下にチャカ(拳銃)を忍ばせ周辺に散らばっている。耳に超小型通信機。おれはそいつをニットキャップで覆って外から見えなくしていた。
で、目には伊達メガネだ。うつむきかげんに歩きながら、おれは周囲を窺っていた。
情報としてわかってるのは、やがて現れる通り魔が『灰色のコートを着てる』ことだけ――そんなの、そこらにいくらでもいる。喉がカラカラに渇いてきた。心臓がドクドク鳴っているのが聞こえる。歩いていても何か頼りない気分だ。眩暈がクラクラしてきそうな……。
通り魔が町にやってくる。事件は数分後に起こる。殺されるのは三人だ。それに、おそらくケガ人が多数。
だが正確なところは知れない。殺人予知でわかるのはここでこれから死ぬ者のことだけなのだ。それも刺されてすぐ絶命する者が何を感じるかしかわからない。
傷をいま受け五時間後に息を引き取る人間がいたら、能力者がそれを感知するのはなんと今から三時間後ということになる――それじゃ意味がないのだが、原理上そういうルールになるのだからしょうがない。犠牲は今わかってるより多いのかもしれないが、それを知る手立てはない。
〈予知システム〉には限界があるのだ。数分後にここで何が起こるのか、詳細はまるでわかっていない。あるのは断片の情報だけ。
この行き交う人の中に、殺人鬼が潜んでいる。警官の姿を見ればどこか他所へ行くかもしれない。で、そこでやることにされたら、それについての予知もできない。
殺人予知を元におれ達が出動した時点で既に、この辺り一帯の事象は変わってしまっているのだ。本来の時間の流れと違う殺人の予知はできない。マルタイ(殺害阻止対象者)が別の殺人をするとして、それが予知できるようになるのにまた二時間――それだけあれば、新幹線で名古屋辺りにまで行って通り魔するのもそいつの勝手ということだ。
よっておれ達の行動がマルタイに影響を与えることがあってはならない。何も知らずに周囲を歩く人々に事態を教えることもできない。
もしおれ達がしくじれば、死ななくていい人間が死ぬ。傷つかなくていい人間が、包丁で刺されて重傷を負う。だからミスは許されなかった。どんなささいなミスさえも。
通り魔は見つけ次第射殺しろ。それが決まりだ。おれの前からマルタイが来たならそいつはおれが片付ける。それで一丁上がりだが、事は言うほど簡単じゃない。
手が汗ばむ。プレッシャーで気が遠くなりそうだった。この人込みでそれができるか。間違って別の人間を撃っちまったりすることはないか。通行人が邪魔でマルタイを撃てなくて、その隙に本来死ぬはずなかった人が刺されてしまうことはないか。
歩行者天国。人の群れ。道はまっすぐに伸びている。弾丸(たま)もまっすぐに進むのだから、撃てばどこかに当たるだろう。通り魔は立ち止まったりしないだろう。動く標的。だから撃つのは難しい。もし狙いを外したら、ここは〈歩行者地獄〉に変わる。
ジングルベル、ジングルベル、ジングルオールザウェイ……。陽気な曲が流れている。どこか陰気な冬の空。今日は楽しいクリスマス……いや、聖夜(イブ)はあさってだったか。殺しのときまで何分――いや、何秒なのか。
はっきりとはわからない。おれが護るべきマルキュウ(要救命者)が、少し離れた斜め後ろを歩いてるのを眼で確かめる。
見るのは相手の足元だけだ。それが四本。予知では最初に刺されて死ぬことになってるふたり。ひとりは年配の婦人で、もうひとりは幼稚園くらいの男の子。
クリスマスの買い物に来たおばあちゃんと孫だ。これから起こるはずの事など、何も知らずに歩いている。
おれは周囲を窺った。道のあちらにもこちらにも、灰色コートの男がいる。前方少し先に四つ角。そこからいきなり男が飛び出てくることだって――。
そう思った。そのときだった。
「うおおおお――っ!」
突然の雄叫びとともに、ひとりの男がこちらに走ってくるのが見えた。
真正面だ。灰色のコート――しかし、ずいぶんな小男だった。ガニマタの短い足で道をドタドタと駆けてくる。ギラギラ光る包丁を片手に振りまわしていた。
眼はまっすぐに自分の正面を向いている。間違いなく狙いはおれの後ろのおばあちゃんと孫だ!
おれはグロックを引き抜いた。初弾は薬室にブチ込んである。だから引き金を引くだけだ。しかし撃てるか、この状況で! 男の後ろには大勢の人が――。
通り魔は見たらすぐさま撃ち殺せ。警告は抜きだ。『止まれ』とか、『武器を捨てろ』とか言わなくていい。0.1秒の遅れさえもが生死を分かつ。だからあれこれ考えるな。撃て――もちろん基本はそうだ。しかし状況が許すならばだ。これじゃ撃てない!
「止まれ!」
叫んだ。しかし止まるわけが――。
ないと思った。だが男はおれを見て『アッ』という顔をした。何かに躓きでもしたように、オットットという感じで止まる。
男は喚くのもやめていた。包丁をかざしたままの格好で、『だるまさんが転んだ』とでもいう調子に動きを止めている。
そうしておれを、次の指示でも待つような顔でじっと見た。
「えー……」
おれは男に銃を向けたまま考えた。こうなると、本来は言うべきじゃないことを言うべきなのか?
「その……武器を捨てろ」
男は包丁を捨てた。チャキンという音を立てて道に落ちる。
それから男は両手を挙げた。『撃たないでくれ』という顔してる。
まさかこいつ……おれは思った。こんな通り魔がいるわけない。いや、いるにはいるんだが、しかしまさか……こいつ、通り魔は通り魔でも……。
思い当たることはあった。けれどもそれは、認めたくない考えだった。降伏などいっそ見なかったことにして、撃ち殺しちまった方がいいんじゃないか――そんな考えもチラリと浮かんだ。
が、無論そんなことはできない。道端で大勢の通行人がおれ達を、『何事か』という眼で見ている。中にはケータイを突き出して、写メを撮り出すやつまでいた。
そうして数秒。男の顔におれは見覚えがあるのに気づいた。
「ああっ!」叫んだ。「また、あんたか!」
作品名:コート・イン・ジ・アクト2 通り魔が町にやってくる 作家名:島田信之