コート・イン・ジ・アクト
02
「未来殺人罪じゃないの?」
と以前ちょっと付き合った女に訊かれた。いやその彼女だけじゃない。同じことをおれは一体何十人に言われてきたか。
「テレビだとそこんとこ、『未来殺人罪で逮捕する』って言うじゃない」
「いーや、監禁の現行犯。未来殺人罪なんて罪は法律にない。テレビの嘘だよ」
とおれはそのたび答える。だがそう言って相手が納得してくれた例(ためし)がない。ドラマどころかニュースでも「いわゆる未来殺人罪での逮捕ということですが」なんてまやかしフレーズをいちいち使いやがるのだから無理もない。ピューリツァーの時代からマスコミがこの種のテクで大衆を騙し続けてきたことをどれだけの人がわかっているだろう。
超能力者の未来予知による殺人や事故死の未然阻止――人の暴力死を感知し、数時間後の惨劇を予見するエスパーが発見され、研究によって充分に信頼できる確度と多数の能力者確保に至った。そして警察が起こるべき事件を未然に止められるようになった時、世の政治家や役人達は言ったものだ。「これで犯罪は無くなるでしょう。予知されると知ってて罪を犯す者などいるはずありませんからね」と。
そんなふうにいくわけなかった。ほとんどいくらも減らなかった。妻の浮気を見つけた亭主がゴルフクラブで野郎のド頭をカチ割るとか、中学生がクラスメイトをフクロにしていいえボクは見てただけいいえボクは止めましたいえいえボクはそもそもその場にいませんでした、なんていうのが無くならないのは当然だが、そんなのは別に問題じゃない。殺しを未然に防いだ後はカウンセリングをちょいと受けさせて放免だ。どうせ昔からそういうのは傷害致死で執行猶予か、鑑別所送りってのが相場だった。
問題なのはたとえば幼女殺人だ。これをやる連中は殺すつもりで小さな子を襲うんじゃない。ちょっとおじさんおままごとで遊んであげたいだけなんだよね、などと言いながらいつの間にかに息を止めさせてしまうのだ。だもんだからこいつらは、草むらやクルマの中で赤ちゃんがどこから来るかもう少しで教えちまいやがるところをおれ達が引きずり出してもポカンとしている。
そんな話で済まないのは児童虐待致死ってやつだ。能力者が予知するのは、その人物が死ぬ二時間前――それは絶命の時であって、それ以外の、たとえば加害者が殺意をもって襲う瞬間などではない。だから虐待の場合には、予知があった時点で既に子供は瀕死であることが多い。駆けつけてみても長期にわたるリンチと絶食で見るもむごい状態にあり、病院に担ぎ込んでも手遅れなのがほとんどなのだ。
だから結局死んでしまうか、奇跡的に助かっても心や体に重い障害を背負って生きねばならない子を作り出すことになる。なのに当の親どもは、あくまでただの躾のつもりだ。
おれ達殺急とは別のチームの仕事になるが、轢き逃げ殺人なんてのもある。こればっかりはほんとに悪い人間てのもいないのだが、人をハネて平気でそのまま行っちまったり、元から保険をケチっていたりと無責任で頭が悪く、よって罪の意識も低く、「飲酒暴走ありとあらゆる交通違反で免許停止の身なんだからもう逃げるしかないじゃんか」なんて考えのやつばかりだから無くなるなんてあるわけがない。予知で未然に防いでるため反省てものがなくなって、タチの悪いドライバーがかえって増えたとさえ言われる。
強盗殺人・強姦殺人・放火殺人なんていうのもよって同じだが、そういうのは少しは減った。ほんのほんの少しだけ――しかしその一方で、減るどころか百倍にも増えたのが女性監禁殺人だ。
いや、本当は増えたんじゃない。それまで表に出なかったのが、殺人予知で発覚するようになっただけだ。〈若い女の失踪などよくあること〉としてしまって警察がロクに捜査しないうえ、死んだ女を床下にでも埋める時間が犯人にいくらでもあった。かつての社会で拉致されたまま人に知られず消えていった女達は、相当な数にのぼるのではないかと言われる。
それが予知で事前にわかり、殺しの前にゲンジョウに踏み込めるようになったのだ。監禁男は飼えば女はいつか自分を好きになると本気で信じ込んでいる。んなわけないから暴力のエスカレーターを駆け上がる。捕まえても言い張るだけだ。「俺を愛そうとしなかった彼女にすべての責任がある」と。
殺人課急襲隊は、こうした人間に殺されるはずの人々を救出するために生まれた。未来予知が二時間ほど先のことしかわからないため、ゲンジョウに部隊が到着する頃には被害者は死の瀬戸際にあることになる。ゆえに急襲隊員には、必要とあらば被疑者を射殺する権限が与えられるのだ。
だがもちろん、これが数々の軋轢を生み出さないはずもなかった。なんと言っても人権保護団体の反発だ。
彼らは言う。「未来予知が本当に確実なものとどうして言える。踏み込まなくても殺人なんて起こらないかもしれないじゃないか。本当に悪い人間なんて世の中にひとりもいはしないのだから。未来殺人罪なんかで重い刑を科せられるなど決して許してはならないのだ」と。
そうして未来殺人罪廃止運動が起こるわけだが、それはそもそも存在しない法律を無くせと言ってるだけだった。
当然だ。未然に防がれた殺人を殺人罪では裁けない。それどころか検事が起訴状に殺人未遂を加えても法廷では滅多に認められないのが現実だった。情状酌量も難しいのでかなり刑は重くなるが、それでも誘拐や監禁などで法律が定める範囲内。轢き逃げをするはずだった人間もスピード違反や飲酒検査で捕まえることができるだけ。罪人(ざいにん)どもは長くてもほんの数年で娑婆に出てくる。
おれ達急襲隊員にしても、被疑者逮捕の名目はありもしない未来殺人罪なんかじゃない。あくまで暴行や強盗や、監禁などの現場を押さえるコート・イン・ジ・アクト――現行犯逮捕だ。
作品名:コート・イン・ジ・アクト 作家名:島田信之